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西野と下北沢の駅前で待ち合わせしていた。近くにあるライブハウスで、彼の友人がギターを務めるバンドがライブをするという。ライブがあるんだという話をされても、最初彼が自分を誘っているのだとは思わなかった。西野はチケットを差し出し、『お前にも聞いてほしいんだ』と言った。西野が何を企んでいるのかは、何となく理解できた。『あの人たち絶対そのうち売れるから』となぜか得意げに言い、逡巡する俺の手に、チケットを強引にねじこんだ。俺は断り切れずそれを受け取った。
西野が駅、地下からのエスカレーターを上がってやってくる。英文がプリントされたシンプルな黒いTシャツと、細身のジーパン。今日は珍しく眼鏡をかけていた。おそらく、伊達だろう。
俺は手を軽く上げて西野に示した。
「ごめん、待った?」
目の前に来た西野が言う。首を振る俺に、行こうと言うと慣れた感じで歩き出した。
下北沢に来るのは初めてだった。
ライブまで少し時間もあるので、自然とそこらにある古着屋を見て回ることになった。
西野は、俺と違ってセンスがある。
「お前ならこういうのも似合うと思うよ」
そういって差し出した着たことのない色のシャツも、試着してみると意外と似合った。
ときどき、西野はもしかすると俺よりも俺のことを分かっているのかもしれない、と感じることがある。だから、本当は西野が正しいのかもしれない、西野の言う通りにするべきなのかもしれない――。そんな馬鹿げたことを考えながらシャツの会計を済まし店を出た。店の前で待つ西野に合流すると、目の前を、きゃっきゃとはしゃいだ声を出した一団が通り過ぎた。男数人のグループが、楽しそうにはしゃいでいる。そのはしゃぎ方や、身のこなし、しゃべり方で、俺は彼らが同性愛者(ルビ:ゲイ)だろうと思った。
咄嗟に彼等から目を離した。
じっと見つめてはいけなかった。
逸らした視線の先に西野がいた。
西野は、彼等をただ見つめている。
不思議と感情の感じられない視線で。
俺は、何かちょうどいい言葉を探したが、うまい言葉が見当たらない。西野の視線の先にある彼等を、再び見ることができなかった。彼等を見るとき、自分がどんな目の色をしているのか自分で分からなかったから。どんな目の色をしているか、西野に見られたくなかったから。
憐憫? 嫌悪? それとも――羨望?
西野が視線をそちらに向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「あのさ、お前って――」
「時間、そろそろかも。もう向かった方がいいんじゃない?」
西野の言葉を遮るように俺は話す。西野がアップルウォッチを見る。実際、もう開場時間にだいぶ近くなっていた。
ライブハウスに向かう俺たちは無言だった。俺はまた言葉を探したけれど、何もヒントが見当たらない。彼らの話をする方が良いか、触れずにやり過ごすかも、うまく自分の中で決定できなかった。
「最近は」
西野が、やがて口を開いた。
「ああいう人たち、多いよな」
それだけ言う。
俺は再び路頭に迷ってしまった。
「――うん」
なんとか、そう答える。
水が薄い紙の向こうに滴り落ちるように、ゆっくりと西野の言葉が俺の中に入り込む。
最近は、ああいう人たち、多いよな。
西野の横顔を見た。西野は、もう普段通りみたいな顔をしている。小石を投げ込んだ水面に、もう興味をなくしてしまったみたいな顔だ。俺は? 俺はどんな顔をしているだろうか。
ライブハウスに到着し、ライブが始まった。その演奏はとても素晴らしく、確かに彼等はこれから売れるだろうと感じさせた。しかし、その音楽にどんなに心踊らされても、喉元に刺さった小骨みたいに、ずっと西野の言葉が鳴っていた。
最近はああいう人たち多いよな。
かき鳴らされるギターの音、胃にずんと響くベースのリズムを感じながら西野を見る。
――なぁ西野、俺もそうなんだって言ったら、お前はどうする?
*
ラップ/ヒップホップは、ストリートカルチャーに出自を持つ。ストリートでのサイファー、言葉と言葉の応酬がヒップホップの源泉だ。
本来的にラップは「即興性」が重要な文化なのだ。
だから、再生機にディスクを入れて――いや、これはもう古い表現だ――ディスプレイに表示された曲名をタップするだけで何度も聴ける曲は、美しく完成されていても何か足りないと言う人も多い。綺麗に韻の整えられた言葉では、表現できないなにかがあるのだと。
中学からラップの真似事を始めて、ラップの歴史を勉強してすぐ、俺は知った。この現代日本でも、ラップバトルは行われている。
知っていた。だけど、俺は多分、わざと無視をしていた。
怖かった、のかもしれない。
西野に誘われたライブの数日前。
twitterで告知されたラップバトルは、渋谷のクラブで行われた。いかがわしいラブホテルの並ぶ繁華街、地下一階にそのクラブはある。俺は、ワンドリンク付きの入場チケットを受付で購入する。
中には、人が多くいた。
アルコール代わりに購入したオレンジジュースを片手に、俺はフロアを所在なく歩く。受付で「バトルに参加されますか?」と聞かれた言葉が、まだ耳に残っているみたいだ。まさか飛び入りで参加できるものと思っていなかったので、俺は少し慌ててしまった。オレンジジュースは飲んでも味が分からなかった。薄いのか、俺が緊張しているのか。
場内の電気が落ちて歓声があがる。ステージ上に、ホットパンツのデニムを履いた細い女性が立っている。どこか面倒臭そうにも見える表情で今日のルールを説明する。
攻守交代でのラップバトル。先攻後攻はじゃんけんで決める。合計三ターン。勝敗を決定するのはオーディエンス。
それこそ、YouTubeにあがっているラップバトルの過去映像を漁ったので、ルールは知っていた。だけどやはり――ライブの、リアルの空気感は、実際に来ないと味わえない。
ずん、ずん、と胃に響くようなビート。手元のコップに振動が響いて水面に波紋が立ちそうだ。
最初の対戦カードの二人が壇上に上がる。司会の女性が二人を紹介する。二人は睨み合う。まるでボクシングの前の選手みたいだ、とボクシングを見たこともロクにないのに思う。それはやはり、彼のことを思い出しているのだ。彼もこうやって、対戦相手と睨み合うんだろうか?
ビートが鳴り出す。二人が口を開く。
*
「ラップバトルぅ?」
ライブ終わりのファミレスで、西野に「ラップバトルに出てみたい」と伝えると、西野は眉間に皺を寄せ怪訝な顔をした。
「なんで、また」
石崎柊のことを言おうか迷って、俺は結局それを伏せた。
「ずっと、出てみたかったんだよね」
西野はそう言う俺をじっと見つめる。俺はなんだか、全てバレているのではないかという気がする。
石崎柊の動画を見たこと。
彼のリズムに、ビートに突き動かされるようにバトルに出たいと思ったこと。
そして、俺について。
だけどそんなことは杞憂だ。西野はエスパーでは無いのだから、いくらなんでもわからないに決まってる。
「俺は俺を試してみたい。俺の言葉 がどこまで通用するのか知りたいんだ」
「ふうん」
西野はテーブルに肘をついて手のひらに頬を乗せ言った。そこから顔を上げる。
「まあ、いいんじゃん」
西野は、思っていたほどの執着を示さなかった。俺はそれが意外だった。西野はもっと反対すると思ったのだ。そして、俺を呼び止めると思っていた。だからその反応を見て、なんだか足元が不安定になるような気がした。
急に、先ほどの西野のあの視線が思い起こされた。そして胃が締め付けられるような気分になった。
最近は、ああいう人たち、多いよな。
――西野。ああいう人たちは最近増えたわけじゃないんだ。彼らはずっとそこにいて、だけど黙っていただけなんだ。ただ姿を隠していただけ。
それを、そんな風に言わないでくれよ。
俺の震える唇が開いた。
「なあ、西野」
「ん?」
彼がこちらを見た。いつもの顔だった。俺は一瞬言い淀み、結局口から滑り出るように言葉が放たれた。
「俺……ゲイなんだ」
言った直後、言葉を取り消したいと思った。それを言えば、どんなことになるのか、どんな事態が起きるのか、俺はよく知っているはずだった。だから、うまくビートに乗らない言葉を修正するみたいに、全てを無かったことにしたかった。
だけどその言葉はもう西野の耳に届いてしまった。
「そう、か」
西野はそれだけ言ってふっと視線を逸らした。
俺は西野の言葉を待った。
どれだけ待っただろうかと思う。時間の感覚がなくなって、それが三分なのか十五分なのか、それとも三十分なのか、わからない。とにかく俺は、ずっと待ったのだ。西野はスマートフォンをいじることもなく、じっと机の上に立てかけられたメニューあたりに視線を向けていた。ずっと、ずっと。
「ごめん。俺、帰る」
俺はそれだけなんとか言葉を絞り出すと、席を立ちレシートを手にとってレジへ向かった。西野がこちらに顔を向けたのが視界の端に見えた気がしたが、俺はそれを振り切ってレジへ向かった。
彼は、追いかけてこなかった。
帰りの電車の中、気を抜けば泣き出しそうな自分がいた。
あれ以来、俺は誰にも言ったことはなかった。
俺は多分、誰にも言わないまま生きていくと思っていた。
なぜ、言ってしまったのだろう。
言わなければよかった。
ぐるぐると頭の中を回る言葉たち。
だけど、じゃあ俺は西野にどうリアクションをして欲しかったのだろう。
「なんだ、そうなのか。だけど、そんなの気にしないよ」
それも、違う。
「そうか、それは大変だな。なんかあったら俺に言えよ」
これも、違う。
だけど、何も言ってくれないなんて、あんまりじゃないか?
窓の外、夜景が滑るように流れていく。ぽっと灯る、一つ一つの窓のあかり。そのなんでもない風景が、自分の心のどこかを鋭くえぐってくる。
俺は何かにすがるようにYouTubeの画面を開いた。あのコメントを見る。
『石崎柊:いい曲。ずっと聴いてる』
彼のプロフィール欄には、ツイッターのアカウントも載せられていた。
俺はそのツイッターを開く。ツイートはどれも基本一言、ぶっきらぼうにも見えるツイートばかりだったが、ところどころかえって茶目っ気を感じさせることもあった。
俺はダイレクトメッセージの画面を開く。
画面の空欄を文字で埋めていく。
はじめまして。突然のメッセージ失礼します。
先日はYouTubeにコメントありがとうございました。
『Dawn』、気に入ってくれて嬉しかったです。
練習風景の動画を見させてもらいました。
うまく言えないですが、すごくリズムがあって、ビートを感じる動画でした。すごく、いいビートでした。変なこと言ってますかね……。
今度、ラップバトルに出ようと思います。
もしお暇なら、見にきてください。アドレス載せておきますね。
そして、送信をタップした。
夜景に目を戻すと、それはさっきよりもなんだか暖かく見えた。
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