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渋谷の大通りから一本裏に入るだけで、驚くほどアングラな風俗街が広がっている。呼び込みで立つ派手なメイクをした女性や、スリーピースを着た男性、そして立ち並ぶどこかのテーマパークから抜け出たような風貌の簡易宿泊所 たちを通り過ぎると、目的のクラブがあった。
立て看板に『ラップバトル・本日開催』と書かれている。ここで間違いないだろう。
入場料を払い、中に入る。予想していたより人が多い。自由に動けないというほどではないが、気楽には動き回れないくらいだ。薄暗いフロアにずっとビートが刻まれている。独特な雰囲気だった。
ここであのトレーニングをしたら、さぞかし練習になるに違いない、などと思う。密集した人に、動作の気配を鋭敏に察知しなければならない暗さ、そして体に割り込むBGMのリズム。もちろんそんなことはここではしない。
時刻は間もなく試合開始時間。そう思って、そうか、これは試合なのだと思い至る。だから俺は、少し浮き足立っているのだ。格闘技の試合などはもちろん好んでよく見にいくが、こんな形の試合は初めてだった。
開始時間前、前説で女性がルール説明をする。それを聞いた俺は色々と考える。この試合に必要なもの。
ラップのテクニックは、もちろん必要だ。だけどこの試合の勝敗には具体的な定義がない。なぜなら、勝敗はオーディエンスの審判に委ねられているからだ。俺はここに来るまで、どうやってラップバトルは勝敗を決めるのだろうと思っていた。彼等はダウンし床に膝をついたりしないし、リングロープがあるわけでもない。だから、フロアの歓声で勝敗が決まると聞いた時、納得すると同時になんて面白いんだと思った。ボクシングの試合でも、勝敗と観客を沸かせるパフォーマンスをすることはまったく違ったベクトルで存在している。どんなに観客の心を躍らせるファイトをしても、負けることはある。だけど俺は、観客の心を掴むプレイをしたいと常に思っていた――だから、このルールはなんだかとても胸のすく気持ちだった。
面白い。
一組目の対戦者が、壇上に呼ばれて上がってくる。いかにもラップが好きそうな、キャップを後ろ向きに被った少し小太りのだぼっとした服を着た男。男は慣れた感じで聴衆に手を振る。聴衆も盛り上がってレスポンスを返している。
「対戦者はこの方! 本日初参戦でーす!」
呼ばれて出てきた、一人の男。俺はそれを見ただけで、それが彼だと分かった。
ラッパーのイメージとは程遠い、大学生のような服装。ラフな襟シャツに黒のチノパン。彼は何も言わず、じっと観客席の少し上――照明のあるあたりを見上げている。少し眩しそうに目を細めた。
対戦で使うビートを選択し、じゃんけんで先攻後攻を決める。彼は後攻になった。
「大丈夫? 緊張してる?」
司会の女性が、少しからかうように彼に聞いた。彼は小さく首を振る。女性は少し顔を困ったように歪め、そのままビートをDJに依頼した。ずん、と胃に響く音が流れる。
二人がマイクをそれぞれ女性から受け取った。
ふっふっ、と先攻の男はマイクに息を吹きかけて、息を吸い込んで、彼の言葉を刻み始めた。
どもこんにちは 初めまして
なんて挨拶は すぐやめまして
あらあら緊張してまして?
も少し気軽に Yo, Take it easy
そんな震えてるだっせぇビビりに
負ける気しねぇな1mm 、も
言葉で発射する持て余したリビドー
お前に顔射して一発で ジ・エンド
場内が歓声にどよめく。今日の試合の一発目、男は見事にフロアを沸かせた。男は得意げな顔で、手を差し出し、くいくいっと挑発するように振った。
続いて、彼のターンだった。
彼はビートに合わせて縦に体を揺らしながら――それはまるでボクシングのステップみたいに見えた――ゆっくりとマイクを口に近づけた。
俺は下品な言葉では 戦わない
占い には頼らない
強い 俺のこれは武者震い
デビュー試合 見せる格の違い
俺がホンモノだってことを 証明
お前うち倒し俺が勝つの 当然
彼のターンが終わった。
彼は、自分の今のプレイに納得していない顔をしていた。歯痒さを抱えている顔だ。本当の自分ならもっとできるはず、そう思っている顔だ。
そんな彼の動揺を、相手は鋭敏に感じ取って攻撃してくる。
チンケな屁理屈をうだうだ こねこね
そんなんじゃ胸に迫ってこねえ こねえ
度胸がねえだけの 情けねえ 姿勢
ここは 男の 戦うとこ
ホンモノ じゃなくてまるで ホモ
それなら 用はねえ 今すぐ ゴー・ホーム
家 帰ってマスかいて寝てるのがお似合い
男は、相変わらず強気な顔でガツガツと言葉を紡ぐ。勢い余ったそのラップは、やや駆け足になっているほどだったが、観客を十分すぎるほどに沸かせていた。
俺は彼を見た。彼は、そのラップに対し、何かひどく動揺した顔をした。
彼はゆっくりとマイクを口元に持っていった。彼のターンのビートが鳴ったが、彼はほとんど言葉を発することができない。
俺――は
俺は……
ビートだけが、追い込むように無情に流れていく。彼は口を何度か開いて、水から浮かび上がった時のような息苦しい顔をした。
そして、彼の番はほとんど何も言えずに終わった。
場内判定の間、彼は、じっと場内を見回して――そして、俺と目があった。
先攻の男に票を入れる、観客たちの歓声が聞こえた。
彼の目が、俺に向けて見開かれた。そしてすぐに視線を逸らした。
後攻の彼に、歓声はなかった。俺はどちらにも声をあげることはしなかった。
次の試合が始まって、群衆の脇を一つの影が通り過ぎた。俺はそれを追いかけてクラブを出て階段を登る。
まだ、外は暗くなっていなかった。日の傾きかけた時間の冷え始めた空気の中、彼を探す。
そして、肩を落とし歩く彼を見つけた。
「――あの」
俺は後ろから呼びかける。彼はすんなり振り返った。
「石崎です」
俺が言うと、
「本当に来てくれるとは思わなかった」そう言い、彼は笑った。無理に笑っているのがわかる笑顔だった。「情けないところを見せちゃって、すいません」
「いえ、……その……」思わず彼を追いかけてきたものの、自分も何も言葉を用意していなかった。
困った俺は、思わず言った。
「うちのジム、ここから近いんだ」
そのまま続ける。
「ちょっと、見に来ないか?」
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