7 / 12

 俺は再び、あのクラブへと向かっていた。iPhoneに表示された日付は、石崎の試合の三日前。  石崎には、今回のことは話していない。彼の試合を見に行かないと言ったのに、自分の試合は見にきてくれなんて虫の良いことは言えなかった。それに彼は、自分の試合の準備でそれどころではないに違いない。  入り口で試合にエントリーする。出番は三番目。対戦カードを見ると、なんとこの前のバトルと同じ相手だった。  俺はぐっと、手に持った紙コップを握りつぶした。  二組の試合が終わり、俺の番がやってくる。客席の何人かが「また来たのか」と呆れた顔をしているのが見える。 「おう、またお前か」  男が、にたにたと笑いながら巨体を揺する。 「またこてんぱんにしてやるよ」  そう言い、嬉しそうに笑った。  ――こてんぱん なんて ごめんだ  俺は頭の中でそう呟く。それだけで、少しリラックスできた気がする。  男は怪訝そうな顔で俺を見つめている。  じゃんけんをする。また俺は後攻になった。  ビートを選ぶ。この間のものとは違い、かなり攻撃的なビートだ。  試合開始。男が、マイクを構えた。   また 来たおかま どうせやられるぜまた   この前お前はパンチ喰らった   かまかけたら ど真ん中思い切り当たった   ただ、ただ、突っ立って黙ったまんま   It doesn't matter? んなこた なかった   ふらふらふらつくだっせぇ負け方   言霊 の力知らない お子ちゃま   本当のパンチ 繰り出してみろよ   お子ちゃまランチ がお前にゃお似合い  男は的確に、俺の弱点を突いてきた。  俺があんなに動揺した理由を、しっかりと見抜いている。意外と、観察眼のある男のようだ。  しかし。  だとしても。  男は判断を誤った。  俺はそのバースを聞き奮い立った。   本当の 繰り出してみろよ  男が放ったそのパンチライン。  俺は思う。お前は知らないだろう? お前は見たことがないだろう? ――本当のパンチ。  俺の脳内で、一羽のカラスが音を立てて羽ばたいた。俺はマイクを取る。   夜明けにはもう見かけないカラス   その嘴で突つく割れかけたガラス   詩人はただひたすらに喉を枯らす   路上から消えた彼ら 物語る   俺の 言葉が そう 言霊   そうなら 俺はただ紡ぐ そのまま   ランチも パンチも かんち、がい   段違い(ダンチ)な俺の ここが一番地  場内にいる誰も、その時、俺の言葉(ラップ)に期待してなかった。俺はまたじっとずっと黙ったままかもしれないと思っていた人だっているだろう。だけど俺の言葉を聞いて場内が沸き立つ。俺の全身に鳥肌が立つ。  俺は、自分が放った言葉に、自分で驚いている。俺はそのとき初めて、と思った。俺は、もう少しいけるのかもしれない。俺の中の可能性を、俺自身が信じて良いのかもしれない。俺を見る相手の目に火が灯る。今まで俺のことを、舐め腐った目でしか見ていなかったこの男が、本気になったのが分かる。相手がマイクを口元に持っていく。フッ、フッと唇から漏れた荒い呼吸がリズムを刻む。男が口を開いた。   チンポのねぇ インポみてぇな   テンポに乗れねえお前は   ぜってぇ一歩も踏み出せねえ   実力ねえ から 輝けねえ   墜落していくだっせぇ惑星   それがお(めぇ)だ 間違いねぇ   そのままブラックホールに飲まれちまえ  男のパンチが俺を襲う。俺はステップを踏んでそれを軽やかに受け流す。  俺は、俺の言葉を掴み取ろうとしていた。   お前もこいつら(フロア)も五十歩百歩   見る目もねぇ ただ突っ立つのっぽ   跳梁跋扈 フロアを闊歩   目ん玉かっぽ じって良く見とけ   太陽と惑星 の距離だって   たった三歩で俺は飛び越え   いまここで覚醒 して   そんでお前に引導渡すぜ   そう今日が俺の本当のバースデー  どよめきのような歓声が耳に届いた。フロアをディスるようなことを言ったが、その挑発的な態度に観客はむしろ沸いたようだった。  そのとき俺が戦っていたのは、目の前の大男ではないのかもしれなかった。俺は、俺自身と戦っている。目の前の男を通して、その向こうにいる自分と戦っている、そう思えた――あらゆる対決において、本当に戦っている相手は結局のところ自分自身なのかもしれない。  ――それを。  俺はあいつに教えてあげたいと思った。  あいつはそれを聞いてなんて言うだろう?  そんなことは、とっくに知ってる。  今更そんなことを言っているのか?  そう言いそうな気がした。  相手のターンだ。   ハッピーバースデー・トゥーユー   プレゼントをお前に空輸   どろどろ腐ったくっせぇ重油   を口の中に直輸入 で食らわす   ブーブー 言わずに黙ってろ   お前に敗北を 思い知らす今すぐ  観客が再び男のバースに沸き立つ。俺は傾きかけた空気を取り戻すべく、マイクを手に取った。   街中 ど田舎 どこだっていいから   声出して叫んで戦ってんだ   俺はここにいる 俺は負けない   いらないものと放逐された   俺の才能 持ち腐れた   ほんとはこんなもんじゃないって I know   お前らの中に確かに巻き起こす感動  フロアを、鳴り響く拍手が満たす。  なんだお前、やればできるじゃん。  相手の大男はクリスマス、枕元にプレゼントを見つけたときみたいな顔で言った。  また今度。次は俺が勝つからな。  そう言って、ステージを降りていった。  見送る俺に、拍手と歓声が降り注いでいる。           *  準決勝敗退だった。クラブの外に出ると、すっかり暗くなった外は案外肌寒かった。渋谷駅に向かって歩く。  黒い影が俺の前を横切った。  一羽のカラスだった。  ぴょん、ぴょん、と跳ねながら移動し、投げ捨てられたビニール袋を突いている。 『なんだよそれ、褒めてるのか?』  石崎の言葉を思い出す。確かに、これに喩えられたら素直に嬉しいとは思わないかもしれない。  近くを通りかかった酔っ払いが大きな声を出し、カラスはバッと羽を広げて飛び立った。 『as the crow flies』――カラスが飛ぶように、という言葉には、一直線に、という意味がある。石崎の繰り出すパンチみたいに。でも多分、彼はそれを知らないだろう。  真っ黒い空、真っ黒なその影はあっという間に、一直線にまっすぐ飛んで見えなくなった。俺はその影の溶けてしまった夜空を、何も言わずしばらく見上げていた。 「創!」  声がかかる。 「いた、いた」  そこにいたのは、西野だった。 「探したんだぞ、連絡しても返事もないし」 「ああ、――ごめん。来てくれたんだ」 「ツイッターに書いてあったから、見に来た」  西野はそう言い、俺の隣に立った。二人で歩く。無言でいると、渋谷の喧騒がよく耳に入った。街宣バスの下品なメロディー、女子高生たちの楽しそうにはしゃぐ声、キャッチの呼びかけ……。 「この前は、ごめん」  そう言う声が聞こえた。 「なんか、……その、うまく気持ちが言えなくて。……頭の中で一生懸命整理してたんだけど、黙ってて気まずかったよな、ごめん」 「ううん、俺の方こそごめん。あんなの、言われても困るよな」 「そんなことない!」  西野は大きな声で否定した。 「だけど、その……違うんだ。なんか、何を言っても嘘っぽくなっちゃうと思って、だから何も言えなかった。だけど俺は、お前に打ち明けられて嬉しかったし、……でも、正直に言っちゃえば」  彼は少し言い淀んだ。何を言われるのだろうと身構えた。 「――俺には、よくわからないよ」  ぽつりと言った彼の言葉。困惑の滲んだ声色。 「俺は、よくわからない。そういう人がどういう気持ちなのかとか、どうしてそうなのかとか、どうしてほしいのかとか、どういう言葉をかければいいのかとか、……どう接すればいいのかも、よくわからない」  その言葉は、俺にはなんだか救い染みて聞こえた。西野が、真剣に考えてくれたことがよくわかったから。真剣に考えて、そして、わからないということをしっかりと俺に伝えてくれたから。 「ありがとう」 「ごめんな」 「謝るなよ、謝られるのが一番嫌だ」 「……そっか」  西野が言ったことは、俺自身にもよくわからないことだった。俺はどういう気持ちで、どうしてこうなっていて、どうしてほしくて、どういう言葉をかけてほしいのか、俺にもわからないのだ。だから西野にそれがわかるわけがなかった。 「俺はただ、西野に知って欲しかっただけなんだよ。本当に、それだけ」  好きな映画とか、苦手な食べ物とか、ただ、それと同じなんだ。 「そっか」  西野はなんとなく納得したような顔をした。  家についた俺は、パソコンの前に座り、作りかけの音楽ファイルを開いた。俺は今まで、どちらかと言うと耳に優しい、ローファイな曲を作ることが多かった。だけどたまには違うものを作りたくなって、ガッツリと音をはめ込んだ(トラック)を作ったのだ。でも、うまく言葉が載せられなくてお蔵入りしていた。  ヘッドフォンを耳につけ、ビートを再生する。  ガツンとパンチの強い、圧のある音。  俺の脳裏に、石崎のステップが蘇った。音のテンポを調節し、頭の中の石崎の動きに合わせる。ステップ、ステップ、パンチそしてパンチ。  俺はファイル名を更新する。  ――『Pitchblack』。  マイクを準備すると、俺は一発本番で声を叩き込んだ。

ともだちにシェアしよう!