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10:「作品は作品」と言えたら、どれだけ楽だったか

 三日間、俺は部屋から一歩も出られなかった。 「……また授業をサボってしまった」  今日だって、一限から必修科目があった。  しかも、テスト前だから出席しておいたほうが絶対に良かったはずだ。それでも、どうしても無理だった。 ―――― ・最後まで読んだけど、時間返してって思ったの久しぶり ―――― 「お、思い出すな、思い出すな、思い出すなっ!」  脳裏をよぎったコメントに、心臓がキュッと縮み上がり布団の中にもぐりこんだ。 「ぅ〜〜〜……」  そんなことをしても意味がないのはわかっている。わかってはいるけれど、世界中の人から自分の作品を否定されているような気がして、全てから逃げるように目を閉じた。  まさか、この世に「嬉しくない感想」があるなんて思ってもみなかった。  そうこうしている間に、時間だけが刻々と過ぎ、気が付けば、テスト前にもかかわらずベッドの上でゴロゴロと過ごすだけの怠惰な三日間を過ごしていた。  しかも、ちょうどバイトを入れていなかったのが、逆によくなかった。  店に迷惑をかけずに済んだのは幸いだけど、外に出る理由がないことがこんなにも致命的だなんて予想外だ。 (……【ツク・ヨム】。見るのが怖い)  スマホは、机の隅に置いたまま。  何度か投稿サイトを開きかけてはやめて、衝動のまま作品ページを削除しようかとまで思った。  けれど、それすら怖くて何もできなかった。通知はすべて切ってある。 「……そろそろ授業には出ないと」  さすがに、これ以上部屋に閉じこもっているわけにもいかない。  テスト前だし、本当に留年してしまう。そんな事になったら、学費を出してくれている爺ちゃんに申し訳ないどころの騒ぎではない。 「でも……」  でも、でも、でも……とウジウジと堂々巡りの思考に囚われそうになった時だった。 「そういえば、【ナゼヤミ】って、あのあと……どうなったんだろ」  この瞬間、俺は部屋に閉じこもって初めて「怖い」以外の感情を発露させた。  余生先生は更新を止めない。何があっても、きっちり決まった時間に物語の続きを送り出してくれる。 「気になる」  あの主人公は一体どうなった。  闇落ちした勇者を前に、一体何を、どう、伝えた?  俺は頭からかぶっていた布団からもぞもぞと抜け出すと、ずっと見て見ぬ振りをしていたスマホを手に取った。そして——。 「よ、よぜいぜんぜい……やっばり、ざいごうでず」  気が付けば俺は、部屋の真ん中でボロボロと泣きながら蹲った。 ——座れば? 「っ!」  余生先生の声が聞こえた。  やっぱり、余生先生は凄い。俺をどんな窮地からも救い出してくれる。 「……がっごう、いご」  こうして、俺はイマジナリー余生先生に手を引かれ、三日ぶりにアパートを出たのだった。 ◇◆◇  三日ぶりの学校。  そして、ぼんやりしながらもしっかり授業を受けきった俺が最後に向かったのは、久々の月曜倶楽部の部室だった。 「あっつ……」  相変わらずエアコンのない蒸し暑いその空間が、既に異様に懐かしく思える。どうやら、一番乗りだったようでまだ部室には誰も居ない。 「本、返しとこ」  そうやって、三日前に借りていた本を部室の本棚へと戻そうとリュックを机に下ろした時だ。花織先輩がいつもの重苦しいまでに優雅なゴスロリ姿で現れた。 「あら、渡り鳥クン。お久しぶりね」 「あ、花織先輩……」 「あなたのことだから、どうせまた別の文壇の花の蜜でも啜ってるのかと思ったわ。なに、久々に月曜のランチでも気まぐれに食べたくなった?」  開口一番の強烈な皮肉。  普段なら笑って流せていたのに、今の俺にはちょっとだけキツかった。何を、どう答えればいいのか全く言葉が出てこない。 「……」 「渡り鳥クン?」  俺が借りていた本をギュッと握りしめて何も答えられずにいると、花織先輩が少しだけ目を細めてジッと俺を見つめていた。 「……その本、どうだった?」 「よ、良かったです。すごく」 「どこが、どんな風に?」  花織先輩に尋ねられて、喉の奥で言葉が詰まった。  いや、嘘じゃない。本当に、この本は最高だったのだ。あの大量の批判コメントを見る前に読み終わっていて良かった。心底そう思えるくらい、最高だったのに……やっぱり、言葉が喉の奥に詰まる。 「……ほ、本当です。本当に良かったんです。あの、嘘じゃ、なくて」  しどろもどろになりながら、どうにか感想を伝えようとする俺に、いつの間にかすぐ傍まで来ていた花織先輩がソッと俺の背中に手を添えていた。 「何かあったの?」  それは、いつもの皮肉とはまるで違う、驚くほど優しい声だった。 「うぅ、がおりぜんばい。おで、おでぇ……」 「ほら、座りなさい」 「あ゛いっ」  多分、花織先輩には分かっていたのだ。俺の言葉を詰まらせている〝何か〟を吐き出させないと、何も言葉が出てこないって。  俺はそこからしばらく、決壊したダムのように言葉の濁流を放流し続けた。それを、先輩は、ただ黙って聞いてくれた。  そして、俺が話し終えた瞬間——、 「投稿サイトなんてやってたらバカを見るわ。私の忠告を聞かないからそうなるのよ。愚か者が」 「ぐふぅっ!」  あまりにストレートな言葉に、俯くしかない。でも、話したことで気持ちはずいぶん軽くなっていた。  そんな俺に、花織先輩がまさかの一言を放つ。 「そうね、どうせならそのコメントとやら、見せてみなさい。私が添削して差し上げるわ」 「っへ、添削?」 「ほら、早く」 「あ、はい」  圧に負けてスマホを差し出すと、彼女は真剣な表情で画面に視線を落とした 「ふぅん」 「あ、あの……、花織先輩?」 「黙って。読んでるから」  そう言って、先輩は俺の作品に付けられたコメントを一つひとつ丁寧にスクロールしながら、上から下までじっくりと読んでいく。そして——。 「まったく、本当に……ここは変らない。見てられないわね」  口元にふっと笑みを浮かべたかと思うと、今までに見たことのない勢いで、まるで機関銃のように言葉を紡ぎはじめた。 「【共感できない=失敗作】と断じる思考の短絡さ。たかが自分一人の意見を〝読者は〟というクソデカ主語を用いて、まるで大衆の総意であるかのように物語を斬る卑しさ。自身の読解力の浅さを棚に上げるお前は一体何様なんだという〝打ち切り〟評——まったく、ここに書かれている批評には感性も構造理解も見当たらない。ね、そうは思わない?」 「あ、えっと」  唖然としていると、彼女は髪を優雅にはらいながらはっきりと言い切った。 「宮沢直樹君。あれだけ、作品の良さを情感豊かに語れるあなたの物語がつまらないわけないわ。もっと自分の作品に自信を持ちなさい」 「っっ!」  ほ、褒められた。あの、花織先輩に。  いや、彼女は俺の作品を読んだわけじゃないから、別に作品自体を褒められたワケではない。でも、なんだろう。俺が肯定された事で、同時に作品まで救われた気がした。  そして、理解した。  作品を否定された時、俺は「俺自身」も否定されたような気がしていたからこそ、あんなに落ち込んでしまっていたのだ、と。 「あ、あ、っあ!ありがとうございます!」 「いいえ、私は別にお礼を言われるような事はなにもしていないわ。うちの部員を可愛がってくれた論評面の読者さん達に一言モノ申しただけ」  体が熱い。汗がにじむ。でも、それは部室が暑いからじゃない。身体の奥から湧いてくる、嬉しさのせいだった。  ぼうっとしていた俺の視界の端で、花織先輩の眉がぴくりと動く。 「……なにこれ」  ボソリと呟かれた言葉に、俺は思わずその場から身を乗り出した。 「な、何かあったんですか」 「あなた、コメントは全部読んだの?」 「え、いや……全部は、さすがに」  最初の方は読んだが、その後はもうまったく見ていない。いくら余生先生の小説で気を持ち直したとはいえ、ソレはソレ。コレはコレだ。 「……凄いコメントがあるわよ」 「凄い?」 「なんて言ったらいいのかしら。これは、論評しづらいのだけど。そう、一言で言うなら……」  そう言って、先輩はためらうことなく画面をクルリとこちらに向けた。 「凄く、キモイわ」  突然の行動に、逃げる暇もなく、俺の目は否応なくコメント欄へと釘付けになる。そこには、他のコメントとは明らかに毛色の違う、なんだか妙に癖の強い感想があった。 ———— なにこれ最高か。 まさかここでこんな神作品に出会えるなんて。運命だろこれ。 最初の〝ラノベあるある〟展開から、よくぞあのラストまで持っていってくれた。ラストのあの台詞、刺さりすぎて全俺死んだし。 ていうかこの主人公、俺か?俺だった?(錯覚) 完璧な幸福に唾を吐く主人公の〝あの笑顔〟で、世界は滅んだかもしれんが、全俺が救われた。天才?作者天才?ほかの作品は!?え、供給これだけ!? 飢える飢え死にしちゃう……しゅきしゅぎる、作者様。お願いです……俺の心が飢え死にする前に新しい餌をお与えください……しゅきぃ。 投稿者:ログイン外ユーザー ———— 「う、わ……!」  俺の目に映し出されたのは、匿名のユーザーから届いていた、あまりにも濃すぎるコメント。文体も独特で、読んでいてちょっとソワソワしてしまうような内容だった。でも、そこにあるのは紛れもなく——。 「花織先輩。あの……俺の作品。ほ、褒められてますか?」 「えっ?……いや、まぁ。そ、そうね。褒められてるんじゃない」  「キモいけど」と、再び俗っぽい一言を添える花織先輩から、俺はそっと自分のスマホを受け取った。  そして、何度も、何度も、画面に表示されたあの癖の強いコメントを読み返す。気づけば、この短時間で十回以上は読んでしまっていた。 「ねぇ、こう言ってはなんだけど……気持ち悪くないの?」 「たしかに文章の癖は強いけど、本当に、俺の作品が好きなんだって伝わってきて嬉しいし……俺も、この人しゅきです!」 「……あ、そう。なら、いいのだけれど」  どこか引き攣った笑みを浮かべる花織先輩を後目に、俺は再びコメントに目を通す。現金なもので、大量の批判にさらされていた中に一人だけでも俺の作品を認めてくれる人が居るという事実が堪らなく嬉しかった。 ——全俺が救われた。 「……俺の方が救われたよ」  誰なのかは分からない。でも、この人は、俺の小説をちゃんと最後まで読んで、考えて、感情を動かしてくれた。  落ち込んでいた心に、少しだけ、風が通った気がした。

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