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15:好きなモノは、同じ熱を持った相手にこそ
八月も後半に差し掛かったある日。
その日も、ブルーマンデーの新しくなったエアコンは強めの冷風を送っていた。
「なぁ、マスター。ちょっと最近、店の冷房が効きすぎじゃないかい」
「猛暑日なんだから、このくらい涼しくていいんだよ。ねぇ、直樹君?」
「あはは、えっと……」
いや、正直言うと俺も少し寒い。
でも、この冷房の設定温度に関しては、俺がぶっ倒れたあの事件がきっかけになっているため、かなり指摘しづらい。
「えっと、ずっと締め切ってるのもあれですし、空気の入れ替えでもしませんか?」
「そうかい?直樹君がそういうなら」
じわりと苦し紛れの提案をする俺の横で、余生先生は今日もパソコンに向かい、キーボードをカタカタと……いや、ガタガタと叩き続けている。
え?余生先生、キーボード殴ってる?
「クソ蝿共が。全部ゴミ……クソほど読解力ない癖にコメントすんなや。マジでムカつく。くたばれ、カスカスカスカスカス」
そして、相変わらず独り言も物騒だ。
「こら、コウ。また言葉遣いが汚くなってる」
「だって」
「返事は?」
「……はい」
余生先生は不満げに眉をひそめながらも、マスターの言葉に渋々うなずいた。けれど、キーボードを殴るようなその手は、一瞬たりとも止まらない。
たぶん今も、コメント欄でどこかの誰かと戦っているのだろう。
だって、さっきから届く大量のコメント通知により、スマホが震えまくっているのだから。
「……クソ、なんで皆わかんねぇんだよ。ムカつく」
最近の余生先生は、ずっとこんな感じだ。
俺の作品についたアンチコメントに、俺以上に本気で怒っては、四六時中ネットの向こうで誰かと戦っている。そのせいで、俺のコメント欄は【ツク・ヨム】内でもちょっとした〝炎上名所〟になりつつあった。
(まぁ、そのぶん読者は少し増えたけど……)
ただ、応酬の方が話題になって作品よりコメント欄目当ての人も増えてる気がする。
しかし、そんなのはもう今更だ。
正直今の俺にとって一番問題なのは——。
(また、前みたいに……なんでもいいから、一緒に感想会したいなぁ)
バイトに復帰してから、殆ど余生先生に話しかけられないことだった。
——へぇ、分かってんじゃん。
一緒に感想会をした時の、あの顔が忘れられない。できれば、また何の本でもいいから感想を言い合いたいのに。
なのに今の余生先生ときたら、正直出会った頃以上に話しかけるなオーラが凄く、ちっとも話しかけられない。
「……掃除でもするか」
そう、俺が手持無沙汰に店の掃除でも始めようとした時だった。
「ねぇ、ちょっと」
「っ!」
不意に名前もなく飛んできた声に、俺は思わず振り返る。すると、そこにはいつもの席で気だるげにこちらを見つめる余生先生の姿があった。
「え、あの。俺、ですか?」
「アンタだよ、決まってんだろ。他に誰がいんの」
そっか、そっか!余生先生が声をかけたら「俺」に決まってるんだ!
たったそれだけのことで、じんわりと嬉しさがこみ上げて、頬が熱くなる。慌てて彼のテーブルに駆け寄ると、彼はいつもの調子で言い放った。
「コーヒー持ってきて」
「あ、おかわりですか?」
グラスに目をやると、まだ半分ほどアイスコーヒーが残っている。
そんな俺の視線に気づいたのか、余生先生は一度、口を開きかけて閉じた。それから、頬をかきながら少し目を逸らして、ぼそりと呟く。
「……ほ、ホットで」
なるほど。きっと店内が寒くて温かいものが飲みたくなったんだろう。
だとしたら、この効き過ぎた冷房も悪くない。空気の入れ替えは……もう少し後にしよう!
「わかりました!すぐに持ってきます!」
最近ろくに話せていなかったこともあり、それだけで嬉しくなった俺は急いでコーヒーを準備し、奥のテーブルへと足を運んだ。
「はい、どうぞ。ホットコーヒーです!」
「……どうも」
俺は、半分残ったアイスコーヒーの隣に、ふわふわと湯気を立てるホットコーヒーのカップをそっと置く。もちろん、いつもの通り砂糖とミルクを添えるのも忘れない。
しかし、差し出したコーヒーに手を伸ばすでもなく、余生先生はしばらく無言のまま、モニターをじっと見つめていた。
そして数秒後、ぽつりと口を開く。
「アンタ、この作品どう思う?」
「えっと、どれですか?」
「これ」
彼が指さした先には、つい最近読んだばかりの【無知なる沈黙】という本があった。
「え、あ。はい!凄い良かったです!好きでした!」
「どんなところが」
「えっと……そうだな。主人公の無知さが、怖くて、でも目が離せなくて。最後まで読んでも、何も報われなかったのに、心の奥がざわざわして。でも、それが妙に心地よくて。いや、心地よくはないんですけど、えっと、何て言ったらいいんだろ……」
あぁ、言葉が出てこない!もどかしい!悔しい!
言いたいことも、伝えたい感想も山ほどあったはずなのに。とっさのことすぎて、言葉がうまく出てこない。
せっかく余生先生に感想を求められたのに、こんなのもったいなさ過ぎる!
「あ、あの、ちょっと待ってください!感想ノートもあるので、ちょっと取って来ていいですか!?」
俺が慌てて、リュックの中のノートを取りに戻ろうとした時だ。余生先生の静かな声が、俺の鼓膜にスルリと潜り込んできた。
「いや、いい。ちゃんと分かるから。あの主人公の無知さと愚かさ、読んでてムカつくし、最終的に本人も周囲も誰一人として報われない。……でも、そこがいいんだよな。読後の不快感が、死ぬほど堪らない」
「……ぁ」
静かに、でもどこまでも情熱的に告げられたその言葉に、俺は腹の底にゾクリと快感が走るのを感じた。
「そ、そうなんです!ソレ、不快感!まさに、ソレです!」
「ん」
〝おまおれ〟という、コメント内で余生先生が書いてくれていた言葉が脳裏を過る。
あぁ、本当に、その通りだ。自分の中でもモヤのかかっていた感情にピッタリな言葉を当てはめてもらえるのは、ともかく気持ちが良かった。
(体、あつい……)
さっきまで冷房が効き過ぎて寒いと思っていたのに、今では体中が火照って仕方がない。しかし、感動に打ち震える俺を他所に、余生先生は更に店内の本棚を次々と指さしていった。
「じゃあ、こっちは」
「あ、えっと。どれ?」
「【肢体の肖像】」
「あぁ、それも最高でした……!官能の概念が打ち破られたっていうか、肉体というより脳に直接信号が送られてくるような濡れ場ってこういうことを言うんだって——」
これは。こっちは。じゃあ、あれは。
余生先生がどういうつもりで尋ねているのかは分からない。でも、俺は戸惑いながらも、素直に思ったままの感想を答えていった。
面白かった。ここが印象に残った。これはちょっとよく分からなかったけど、むしろその分からなさが心に残った……などなど。
そういうのをしばらく繰り返したあと、ずっと俺の感想を黙って聞いていた余生先生が、ふいに小さく笑った。
「……アンタだったら、いいか」
「え?」
「ちょっと、こっち来て」
その言葉と同時に、ポンポンとその手で示されたのは余生先生の隣の席だった。今までテーブル席の向かい側に「座れば」と言われた事はあったが、こんなのは初めてだ。
戸惑う俺を他所に、先生はどこか得意気な顔で、口の端をほんの少し上げながら言った。
「俺の〝推し作家〟知りたい?」
「っっ……!」
呼吸が止まりそうになった。いや、多分、実際に止まっていた。
「前に気にしてただろ。特別に教えてやる」
「ぁ……えと、はい」
声が変に裏返る。熱い熱い、熱い。
「おい、顔。真っ赤だぞ。今日はそんなに暑くないだろ」
「だ、大丈夫です」
「ほんとかよ。こないだみたいに倒れられても困るし、早く座れよ。あとアイスコーヒーなら飲めば。俺の残りだけど」
余生先生に釘を刺され、俺は慌てて隣に座った。チラリと店の奥へと視線を向けると、マスターが「良かったね」とばかりの笑顔でこちらを見ている。
(な、なんだ。この状態……!)
突然降ってわいた僥倖に、俺は余生先生の隣でそわそわしっぱなしだった。ちらりと彼の横顔を盗み見るたび、心臓の音がうるさく響く。
そんな俺の動揺には目もくれず、余生先生は黙って【ツク・ヨム】のユーザー画面を開き、「お気に入り」のボタンをクリックして、俺にその画面を見せてきた。
「この作者。ノキって言うんだけど、知ってる?」
「あ、えと……その」
余生先生の「お気に入り一覧」に映っていたのは、やっぱり、俺のハンドルネームだった。言い淀む俺に、先生は目を輝かせながら言葉を続けた。
「久々に本物だって思った。言葉の選び方が異常。全部が刺してくる。展開も描写もキャラも、全部がちゃんと痛い。それが、いい」
「……」
「マジでいいから、すぐ読め。アンタならわかるはずだから」
「っぅ」
体が、爆発しそうだ。
(はず、かしい……)
自分の作品を、信じられないほど真っ直ぐに褒められてしまった。しかも、俺が一番尊敬する余生先生に。その熱量と真顔に、俺はもう、嬉しいを通り越して、恥ずかしくて恥ずかしくて。
だから思わず、言ってしまった。
「でも、その作品。先生のと違って、凄い叩かれてますよね。どこが、良いんですか……?」
「は?」
その瞬間、空気がピンと張りつめた。
ヤバ、と思った時には時既に遅く、余生先生の眉間の筋肉がヒクリと動く。同時に、それまで親しみを込めてくれていた瞳に浮かんだのは「失望」と「怒り」だった。
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