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LESSONⅡ:第10話

 雅紀と恋人の「仮契約」を交わしてから数日が過ぎた。  自室の部屋にカーテンの隙間からまぶしい光が差し込むとベッドで寝ていたナギサは身を起こした。きっと窓の向こう側に広がる朝の空は真っ青で、雲ひとつない秋晴れだろう。  猫のような伸びをしてからベッドを抜け出し、バルコニーに続く窓を開けた。  やはり青い空がどこまでも広がっており、都会の裏側を見下ろしている。夏ようにギラギラとした太陽ではなく、すこしずつ弱まる秋の日差しが満遍なく降り注いで気持ちが良い。  バルコニーからは都庁をはじめとする高層ビルの後ろ姿が遠目に見渡せる。  雅紀が住む渋谷の高級マンションには敵わないけれど、ナギサは都会の裏側が見渡せるとくべつ広いわけではないこの部屋を気に入っていた。 「今日も好きな歌が歌えることに感謝……!」  誰もいない空を見上げて祈りを捧げた。  歌うことを地道に続けていたおかげで運良く音楽業界に存在することができている。  これからは歌うことで業界の頂点を目指さなければならない。  今朝の秋空のように美しく晴れた心で感謝を述べる朝もあれば、悔しくて拳を握り締める夜もある。  ひとつひとつ心の奥底に眠る自分の感情を紐解きながら丁寧に歌うことができれば、きっと雅紀のように都会の中心で活躍できるミュージシャンになれるはず、とナギサは信じていた。  雅紀がナギサの魅力を引き出してくれるというから連絡先を交換したというのに「仮恋人」として契約を結ぶ運びになってしまった。恋を経験したことないナギサはいまだに雅紀のことを「好き」だという実感は理解できない。  しかし【偏愛音感】は示しているのだから認めざるを得ないだろう。  いったいどうやったら自分のなかで「好き」という気持ちを認識できるのだろうか。  それが分かったときに正式な恋人に昇格できるのか──。  もし本当の恋人同士になれたら、拒むように噛みついてしまったキスを自分からリベンジしたり、もっと言えば、身体がどうしても疼いてしまったときには抱いて欲しいとねだっても良いのだろうか。  ナギサの頭のなかではベッドの上で雅紀が覆い被って唇を這わせている姿が浮かぶ。 「うわぁ……ボクはなにを考えてるんだ」  彼のことを思い出すだけで、初めて交わしたキスの感触がありありと浮かび上がる。  ナギサは頭を強く横に振って妄想をクリアにしようと努めた。  胸の奥がほのかに苦しい。部屋にひとりきりでいる時間が長くてつまらない。  彼を想うたびに触れてくれた箇所が明らかに体温を求めて火照っている。 「ど、どうしちゃったんだろう。身体が変だよ。ひとりなんて慣れているはずなのに……」  つい先日会ったばかりなのに、雅紀のことで頭がいっぱいだ。  いままで人の温もりを求めることなんてなかったのに、いまはとても欲しい。  それは知らない誰かでは埋まらず、雅紀でないとダメなようだ。  雅紀に触れて欲しい。  そればかり考えてしまう自分が狂ったようで、不安が押し寄せてくる。 「うぅ……、次に会えるのはいつなんだろう」  約束をしなくたってナギサは雅紀の部屋の合鍵を持っているから、いつ行ったって構わない。しかし雅紀が在宅しているとは限らない。鍵があるからと言って会える保証はどこにもないのだ。彼は売れっ子音楽プロデューサー兼ギタリストだ。知らぬ間に海外に行っていることもある。それに居場所をいちいち聞いていいのかナギサは分からなかった。 「いま、どこにいるの? って聞くのかな。こういうときは。あ、それとも、次はいつ部屋に行けばいい、かな……」  ナギサは迷う心を抱えたまま真っ青な空を見上げた。  あまりにも眩しくて溜息が出てしまい、空を汚してしまいそうな気がした。  だいたい恋人の居場所すら分からないなんて、仮の恋人だとはいえ失格ではないだろうか。 「ボクが雅紀さんに尋ねないのも悪いけど、恋人同士ってマメに連絡取りあったり、デートとかしたりするよね……?」  ドラマや小説で恋人同士だと定義されている姿を思い浮かべて、ナギサはふたたび頭を振った。  誘い方も尋ね方も分からない。  どうやって世の中の人たちは恋愛をしているのだろうか。 「ダメだ。何かしていないと、息が詰まりそう……」  スマホに登録している仕事のスケジュールを確認すると、午前中なら時間がありそうだった。ナギサはバルコニーから部屋へ戻ると車のキーを握りしめた。 「モヤモヤするときはドライブがいちばん!」  ひとりごとを言いながら愛車である赤いボディーのスポーツカーを停めている駐車場へ向かった。

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