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LESSONⅡ:第15話
「お疲れ、ナギサ。ちゃんと時間通りに到着したな」
事務所のエントランスにはプロデューサーの理人が出迎えてくれた。二重の目尻を下げた柔らかい笑顔にナギサも微笑む。
「一緒に昼飯食えなかったから、ナギサの好きなドーナツ買っておいたぞ」
理人は打合せ室へ向かいながら言った。
「ほんとに? ありがと、理人さん」
前を歩く理人の背中に大好物のドーナツを買ってくれたことへの感謝の念を投げつけながらナギサも打合せ室へ入る。
「ナギサ、お疲れ」
打合せ室のソファーで細いフレームの眼鏡をかけ直しながらナギサに声を掛けたのはマネージャーの涼太だ。
彼の前へ座るとデスクの上に置かれた紙袋を「これな、ドーナツ」と理人から差し出された。
「いかにも理人が買ったように見えるけど、俺が買ったんだぞ」
冷めた表情で涼太は理人を一瞥してから「シュガーとチョコのトッピングが好きだよな?」と付け足した。
甘党だということと好きな味まで覚えていてくれた涼太にナギサは心が温かくなる。
「買おうと提案したのは涼太だけど、俺も一緒に店へ行ったからな!」
「うん、ありがと。涼太さん、理人さん。このお店のドーナツ、渋谷でいちばん美味しいから大好き」
紙袋を開けるとふんわり漂う質のよい油の香り。
きめ細やかにかかる上品なシュガーにナギサは目を輝かせた。
「その笑顔を見れてよかった」
正面に座った涼太は中指でメガネのブリッジを押し込むと冷静な表情を緩ませた。
「運転で疲れただろう? なんでまた、そんな遠くに行っていたんだ?」
「まだボクに家族がいたころに住んでた街の海なんだ」
理人と涼太には事務所へ所属する際に身内がいないことを伝えてある。
だからかどうかは分からないが契約を交わすときに涼太から「自分たちを家族のように思ってもらって構わない」と言われていた。
その「家族」という言葉は鉄格子のような要塞に守られたナギサの心が少しずつ開く感覚があった。
「よく行くのか? その場所に」と涼太はさらに質問を重ねる。
「まぁね。気分転換というか、ドライブというか……」
雅紀との関係性に悩んだ頭を冷やそうと車を走らせた、なんて言えそうになかった。
家族というコミュニティをほとんど知らないナギサにとって「過保護」という言葉とは無縁だった。しかし涼太が描く家族像はどうやら「過保護」が含まれるようで、ナギサの一挙一動が気になって仕方ない様子だ。
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