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LESSONⅡ:第22話
(ボクのことは……ということは、他に誰かを好きになったことがあるってことだよね)
雅紀の何気ない発言すら心に引っかかって仕方ない。
彼がいままでに誰とも付き合ったことがないなんてありえないことぐらい理解している。
だけれど、すぐにでも雅紀が抱き締めている両腕から抜け出して、他に誰か好きな人がいたことを問い正したいと思ってしまう。しかしそんなことをしても、お互いに傷つくだけだろう。
聞きたいことだけを聞き出すだけなど自己満足の極み。
ただ自分だけが苦しみから逃れたいだけなのだから。
「どうしたらいいか、分からないよ……」
不安定な雅紀の行動が伝播したようにナギサの脳内には靄がかかる。このまま雅紀に抱かれてしまえばいちばん楽なのは理解できるが、快楽と反比例するようにきっと心は沈むだろう。
「……このまま雅紀さんに抱かれたら、ボク、壊れちゃうよ」
「それは……どういう意味だ?」
「ねぇ……ボクはさ、こういう……つまり、は、裸になって誰かと抱き合うのって初めてなの。でも……雅紀さんはさ……」
さきほどエレベーター前ですれ違った綺麗な面持ちの男性の不穏な笑みが脳裏をかすめる。
「ボク以外ともこういうことしてるんでしょ……?」
疑う気持ちが制御できずに、けっきょく口から飛び出してしまった。
雅紀があの男性を抱く姿が勝手に頭のなかで再生される。
その腕のなかにいるのは、あの男性のはずなのに再生される映像は八重歯をだらしなく覗かせた自分だった。抱かれたくて仕方ない自分に呆れてしまう。
「ほんとうにボクだけが、雅紀さんの恋人なの?」
想像の中で雅紀に抱かれている誰かは満たされた表情で卑猥な声で叫び続けている。
それがあの男性なのか自分自身なのかまるで区別がつかない。
抱かれたい。
雅紀が自分だけを見つめて想ってくれる瞬間を独り占めして果ててみたい。
それがナギサが望む初夜だ。
「もしかして……さっき部屋へ来る前に誰かとすれ違ったか?」
やっぱり、とナギサはエレベーターホールで自分と同じ合鍵を持った男性の笑みを繰り返し思い出す。望むような初夜が叶わないのに、焦りから身体を捧げようとしている自分が悔しくて目頭が熱くなった。
「……別に、誰とも会ってないよ」
震える声で答えると雅紀は、そうか、と柔らかく目尻を下げた。
「大丈夫、心配するな。ナギサだけが俺の恋人だから」
さまざまな感情が一気に全身を駆け巡ったせいか、身体の力が抜けて雅紀にもたれかかってしまう。いま雅紀が歌えば、ほんとうの気持ちが【偏愛音感】で分かるのに。お互いにその能力を認知しているせいで、コントロールができてしまうのが辛い現状だ。
「駆けつけてくれたのに、いきなり抱いたりしてごめんな、ナギサ」
雅紀の声が遠のいてゆく。
身体が浮いたような気がしたが、すぐに弾力のある場所に下ろされたようだ。
適度に沈み込む背中は心地よく、意識は真っ暗な世界に連れていかれた。
「さっきは誰とも会ってないって言っていたけれど、タイミング的にはアイツとすれ違ったかもな」
どれくらい時が経っているかは分からない。そのあいだ雅紀がずっと隣でナギサに寄り添いながら髪を撫でてくれた。
「まさか碧海奏 が日本に帰ってきているとは思わなかったな……それにまだここの鍵を持っているなんて」
ぼんやりと耳の奥に届く低音の声は雅紀のものだ。何を言っているのだろう。さっきすれ違った男性も乱暴なキスも夢であったらいいのに。
「奏とは、もう終わったんだ。俺はナギサが好き。奏だってあのとき、俺のこと嫌いになって出て行ったはずなんだ」
雅紀が好きだと言っている。
なんて素敵な夢だろう。
このまま目が覚めなければいいのに。
このまま誰も現れずにふたりだけの世界で、雅紀の気持ちも身体も独り占めできたら最高だ。
この感情をなんて言うのだろうか。
雅紀に自分だけを見ていて欲しいという気持ちを抱くのは、恋なのだろうか。
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