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LESSONⅣ:第44話
ライブの開演時刻が迫っている。
ナギサはほどよい緊張と高揚の狭間で落ち着かなくなり、ステージ裏から会場の様子を覗いた。
地あかりだけでは客の顔までは見えなかった。
スタッフにこっそり耳打ちしてモニターで会場内を見せてもらったが、ステージ上に広がったスモークでよけいに見えづらかった。
漣音と雅紀はほんとうに来ているのだろうか。
涼太が渡した招待チケットは関係者席のはずだ。その位置はだいたい頭に入っている。
関係者受付を通るはずだから、口添えすればナギサの楽屋へ来ることも可能だ。しかし雅紀とは公ではない関係というのもあるし、漣音と一緒となればマスコミの目が気になるだろう。もしかしたら来てくれるかもしれないと淡い期待を抱いたが、けっきょく本番直前になっても楽屋に雅紀は現れなかった。
それとは別にナギサの楽屋にいる理人のところには、かつて日本を代表するバンドのひとつだったトリックスのギタリストが楽屋へ挨拶に来ていた。活動休止をしていたが、【偏愛音感】の映画で主題歌を担当することになり、復活を遂げたらしい。
そのギタリストの恋人なのか分からないがシャンプーの広告に起用されてもおかしくない艶のあるロングヘアの女性が隣に立っていた。その女性の姿を見た瞬間に涼太が殺気立ったことをナギサを見逃さなかった。
「ねぇ涼太さん、あの女性は誰? 理人さんにやたら話しかけてるけど」
「あの女性はトリックスの裏ボスだ。彼女がいなければトリックスは復活しなかっただろう。元をたどれば、トリックスが活動休止したのも復活したのも、きっかけをつくったのが理人かもしれないな」
冷静に答えた涼太だったが、その表情には余裕はなさそうだ。
きっと理人と彼女のあいだには何かあったのかもしれない。しかしそのことについて涼太から聞きだすのは不可能だとナギサは諦めた。
涼太は最初から同性愛者だったが、理人はそうではないと聞いている。性別ではなく、涼太だから好きだと言うのだ。
雅紀はどうしてナギサのことを好きになったのだろうか。
もし女性だったとしても好きになってくれただろうか。
ミナミ・ナギサが好きなのか、三波渚が好きなのか。
それとも漣音の弟だから好きなのか──。
スタッフが開演が近いことを告げる。
よけいなことを考えるより、いまは会場の天井席まで歌を届けることに集中しようと気持ちを切り替える。
張り詰めた緊張感のなかで、脳内はアドレナリンを出す準備が整う。
この瞬間にしか味わえない空気をめいっぱい吸い込んだ。
ライブのスタートまで三分前。
ヘアメイクを施してさらに美形を際立たせた理人に後ろから抱きしめられた。
後方では腕組みをした涼太がこっち睨んでいるのは振り返らなくても分かっていたたまれない。
「さぁ、ナギサ。SEが流れ始めたら俺が恋人だ」
ふたりでステージに上がるようになってから理人はライブの開演直前にまじないをかけるようになった。
ナギサに足りない要素は誰かを想って歌うこと。
だから疑似の恋人としてコンセプトを組めば、ナギサも仕事として捉えて歌唱に色気が出るのではないかとプロデューサーとして思ったらしい。
そのコンセプトが正解だったかは、アリーナ級の会場を埋めることができる歌手に成長したことが証明しているだろう。
それに理人を恋人だと思い込む気持ちに変化が起きている。
いま後ろから抱き締めてくれているのが、雅紀だったらいいのに、と思っていることにナギサは気づかされた。
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