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LESSONⅣ:第47話
〈ねぇ、ナギサ、聞こえてる?〉
雅紀の声だと思ったナギサは脳内の聴覚を研ぎ澄ませる。しかしその声は彼ではなかった。甘くて高い自分によく似た声だ。
〈マサキさんだけに話しかけるなんて許さないからね?〉
雅紀の電話から聞こえた声だ、とナギサは直感で分かった。
どこから【偏愛音感】を使って語りかけているのか、会場の左右あちこちを見渡す。
〈僕ね、この曲を動画でたまたま見たときに気づいたの。ミナミ・ナギサはたったひとりの弟の三波渚だ、って〉
(れ、漣音……!)
やはり彼は【偏愛音感】を持っていた。
双子はいったいどこまで似るのだろうか。それに恋人ではなく、兄弟同士なのに【偏愛音感】の声が聞こえるということは、漣音とは前世からの繋がりがあるということだろうか。それとも兄弟愛も【偏愛音感】が発動する原因になり得るのだろうか。
とにかく互いに聞こえ合っている事実は間違いない。ナギサが歌っているあいだはすべて漣音に気持ちが聞こえてしまうということだ。
〈やっぱり絶対音感を持ってるナギサは違うね。とっても羨ましいよ。こんな大きな会場を自分のファンで埋めることができるんだもの〉
漣音の声が脳内に響くたびに会場のどこかで雅紀と漣音が手を繋いでステージを見つめている映像が脳裏にちらついて仕方ない。これは【偏愛音感】の能力のひとつで、相手が歌ったときに声以外に届く念のような映像だ。
その漣音から届く映像のせいで、胸が絞られるように苦しい。
手を繋がないで欲しい。その手に収まるのは自分の手のひらだけなのだから──。
雅紀を独占したい感覚が喉を絞め上げる。
まるで誰かに両手で殺められるように。
それは冗談ではなく、このままだと声が出せなくなり歌うことができなくなりそうなくらい苦しい。
もうこの際、歌うことをやめれば漣音からの【偏愛音感】で聞こえる声は止まるかもしれない。そして息を吸えるようになる。しかしナギサはアーティストとしての意地で歌い続けようと喉から血があふれたとしても歌う覚悟を決める。
〈双子だからって同じ人を好きにならなくてもいいのに。どうして僕がマサキさんに捨てられて、ナギサは愛されているの?〉
かろうじてそのヒット曲を歌い切ったナギサはセットチェンジでステージが暗転した隙に、ドリンクを喉に流し込んだ。熱気で流れる汗とは別の大粒の水滴がだらだらと背中に流れ落ちるのが分かる。タオルでは拭いきれな量だ。
時間は限られているためにそのままびっしょりと背中を濡らしたまま、次の曲のためにマイクスタンドの前に立った。
セットチェンジのあいだに下手側へ設置されたグランドピアノの前に理人が腰掛け、繊細なタッチでバラード曲のイントロを弾き始めると会場内は静寂に包まれた。さきほどの大合唱が嘘のように。
漣音が発した【偏愛音感】の声のせいで、まだ喉は苦しい。
歌い出せるか不安になったナギサは進行を裏切ることになるが、マイクをスタンドから取ると理人が座るグランドピアノへ移動した。まだスポットライトは当たっていない。
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