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LESSONⅣ:第48話

「どうした」  理人の口元はそう動いたように見えた。  ナギサは眉をひそめて胸のあたりをこぶしで擦るジェスチャーをする。気道が狭まるような感覚が伝わって欲しかった。 「座れ」と理人は前奏を弾きながら椅子へ一緒に腰掛けるよう、顎で指示をした。  理人の右隣に腰を下ろし、彼の肩に頭をもたげると重力に抗うことを身体が止めたせいか息が吸えるようになった。  スポットライトが寄り添うナギサと理人を照らし出したので、予想外の演出に静まり返っていた会場は悲鳴で溢れた。切ないメロディーのバラード曲でナギサが苦痛の表情をしているのも相まったのかもしれない。 〈な、ナギサ……っ、どうしてそんなに今日は高輪理人にくっつくんだ? その恋仲設定を俺は絶対に許さないからな! はやく俺のプロデュースで歌えるようにしてやらないと!〉  とつぜん脳内に雅紀の声が流れた。ナギサは反射的に理人にもたげていた頭を起こし、会場を見つめる。  声が聞こえたということは、雅紀はこの会場にやはり来てくれている。そして周囲に気づかれないように歌っているのかもしれない。客席もまだ動揺のざわめきが続いているので、小さな声なら歌ってもバレないだろう。 〈ちょっとマサキさん。僕が隣にいるっていうのに、ナギサに【偏愛音感】で聞き取ってもらおうとするのをやめてよ。僕も聞こえること忘れたの?〉  今度は漣音の声が入り混じった。  やっぱりほんとうにふたりが一緒にこの会場にいる、と思った瞬間、ナギサは目の前が真っ暗になった。見たくない光景を見ないように自己防衛が働いたのかもしれない。  母が男と一緒にナギサを置いて部屋を出て行く瞬間が嫌だった。  部屋にひとりきりにされる。もう二度と誰も戻ってこないのではないかという恐怖。  それは高校生になり、母の元を離れてからも続いた。  学校の授業を終えて、寮の部屋で配信作業を終えたあとに起きたのがきっかけだ。  歌っているときは淋しくなかった。ぷつりと配信終了のボタンを押したあとの真っ暗な画面が母と暮らした暗いひとりきりの部屋を思い出させたのだ。 「ナギサ!」  理人に名前を呼ばれる声が遠くで聞こえる。  身体の重心が揺らぎ、固くて冷たいグランドピアノに頭をぶつけるかもしれないと覚悟を決めると、予想とは裏腹に温かいなにかに包まれる感触があった。  倒れている場合ではないのだ。  大勢のファンが目の前で待っている。だからライブを続けなければ。  歌うことしかできない自分が歌えなければ、せっかく音楽業界の頂点を目指そうと一緒に頑張ってくれる理人や涼太に迷惑をかけてしまう──。  口を動かしても喉が塞がって声が出ない。  それでも唇だけで「歌いたい」と理人へ伝えようとした。落ちた瞼すら上げることもできないというのに、歌うことなんかいまの状態ではできない。それでも気持ちばかりが焦ってしまう。

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