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LESSONⅣ:第49話

「ナギサ、悪く思うなよ」  理人の低いビターな声が耳元でうっすら聞こえたと思ったら、唇になにかが重なった。  それは、ついこの前、知ったばかりの温度だ。  酸素が脳に行き届かず、うまく頭が回らない。  会場からは悲鳴のような歓声がずっと続いているような気がする。  どれくらい唇がなにかで塞がっていたのかは分からない。  目がうっすら開けられるようになるとそこには理人が眉をひそめて困惑した表情で覗き込んでいた。 「あぁ……よかった。俺のおかげで気が付いたな。よし、演出のひとつとしてこのまま続けるぞ」  理人は得意気な表情のまま、うまく身体に力が入らないナギサを隣に座らせて演奏を続けた。歌えない状態だと気づいた客席はナギサの代わりに大合唱している。 (みんながボクの歌を歌ってくれるなんて……泣きそうだよ。ボクはぜんぜんひとりじゃないね) 「……ありがと、理人さん」  理人のおかげなのか、ファンの合唱に力をもらったのかは分からないが、ようやく声が出るようになったナギサは客席と一体になって歌い始めた。するとふたたび脳内に声が流れ始める。 〈くっそ、アイツ許せねぇ! いつか絶対、高輪理人とのコンビを解消させてやる……。ナギサにキスをしていいのは恋人契約をしている俺だけだというのに〉  雅紀の声だ。怒っているような声と表情が脳内に映し出された。 (えっ? もしかしてさっきの唇に当たっていたのは、り、理人さんの唇ってこと?)  なにごともなかったかのようにピアノを弾き続ける理人だが、ナギサは舞台袖にいる涼太の様子を伺うことすらできなかった。  そして雅紀からの怒りの声が届いたあとは【偏愛音感】の発動が収まった。もしかすると雅紀と漣音が示し合わせたように歌うことをやめたのかもしれない。  声が出なくなるハプニングも演出のひとつとしてやりこなしたライブは無事に幕を閉じた。  このライブを通じてナギサが気づいたことは、漣音と雅紀は噂どおり関係があったということだ。そしてナギサは雅紀が誰かと一緒にいるだけで声が出なくなるほど狂おしく好きになってしまっていた。  アンコールを終えて客席に手にを振りながら舞台袖へ戻る最中まで、目線は雅紀を懸命に探してしまう。  一般のファンよりも先に退場していることくらい分かっていたが、目は勝手に雅紀の残像を見つけようと必死になった。

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