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LESSONⅤ:第56話

 兄は死んだと母から聞かされていたから、二度と会えないという気持ちと本当はどこかで幸せに生きているのかもしれないという葛藤がせめぎ合って、会いたいと願って海に叫んでいたのは、真実を知りたい気持ちからかもしれない。 「ナギサはナギサだ。俺は初めて見たときから気になって仕方なかった。動画ではなく対面で出会ってからも、一緒に部屋で暮らすようになってから、もっともっとナギサに惹かれていったんだ。どこか悲しそうで自信がなさそうな姿も、笑ったときに覗く八重歯も。そして兄に譲ろうとする控えめな性格も、ぜんぶ、好きなんだ」  まっすぐ気持ちを伝える雅紀に対して、本当は言いたくないことまで言わせてしまったような気がした。 「……雅紀さん、ごめんなさい」 「謝るなよ。俺が好き勝手に言ってるだけだから。ただ相手の気持ちに寄り添えるナギサのことを俺は嫌いになったりしない。だってナギサのいない人生を想像するほうが怖いんだ。だから俺はずっと傍にいるから、ナギサはもっと自分のことを好きになって、誰かに譲るばかりではなく、自分の想いを優先して生きて欲しい」  冷酷な表情で有名な雅紀の声は羽根よりも柔らかく聞こえる。纏えば身体ごと浮いてしまうような優しい羽根。 「自分のことを好きになるっていうのは……どういうこと?」 「ナギサは好きという気持ちが分からないって言っていたけど、誰しも無意識では自分のことがいちばん好きだし、大事だと思っているはずだ」 「そんなことはないよ。ボクは生まれてこなければよかった人間だし」  自分のことを好きだなんてナギサは一度も思ったことはなかった。  ずっと母から「お前さえいなければ良かった」と言われ続けてきた人間だから、大切な命を自分へ授けた神様を恨んだ。  それでも涼太が動画配信で見つけてくれて、いまはたくさんの人へ歌を届けることに生きる道を見出すことができた。  その歌だっていまだに自信がない。  絶対音感のおかげで、音程は正しく歌えるけれど、誰かのために歌うことに困難を極めていた。 「ナギサ、生まれてこなければよかった人間なんているわけないだろ。現に、俺はナギサがいなければ、バンドが無くなった時点でこの業界にはいなかったかもしれない」 「雅紀さん……」  柔らかな羽根が解かれるような気がして、ナギサは自分を卑下したことを後悔した。

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