59 / 100
LESSONⅥ:第59話
いつから雅紀のことが「好き」だったのだろう。
ナギサは浅い眠りを何度か繰り返したあと、寝ることを諦めてベッドを出た。
明日になれば雅紀に会えると思うと、ライブでひどく疲れている身体でもうまく眠ることができなかった。
リビングのテーブルに置いたままのノートパソコンを開いて、ナギサがレギュラーパーソナリティーを務めているラジオ番組のデータを再生する。
番組の初回のゲストが宮國雅紀だった。そこで初めて彼と出会った。
『みなさん、こんばんは。ミナミ・ナギサです。今日から始まりましたボクのレギュラー番組。スタッフさんやファンのみなさん、そしてプロデューサーの高輪理人さんなど、たくさんの人々に支えられて初回の放送日を迎えることができました。そして今回のゲストは超ビックな人だから聞き逃さないでよ。ではゲストに登場してもらいましょう。世界的ギタリストの宮國雅紀さんです』
レギュラーラジオ番組の初回ゲストに大物ゲストが登場してくれるなんて想像していなかったので、ひどく緊張したことを思い出す。
動画配信がナギサの真骨頂であるから喋ることに抵抗はなかった。
動画はひとりで話し続けなければならないが、ラジオ番組には台本もあり、ゲストとトークを繰り広げることもできる。
簡単そうに思えたのは本番の前までで、番組が始まると周囲の人たちと作り上げる仕事だということを体感し、緊張を隠しきれなくなってしまった。
それに初回のゲストから音楽番組や雑誌でしょっちゅう見かける宮國雅紀が目の前にいる。トークが盛り上がるかどうかなど、考えなくてもいいことが頭の中を駆け巡り、いっそう緊張してしまった。
彼は対面に座るナギサのことをじっくりと見つめながら話した。
ただでさえ初めてのゲストでうまく進行できないのに、彫刻刀で丁寧に掘られたようにくっきりとした二重の瞳が緊張とは別の意味でナギサの胸を高鳴らせた。
左側の目尻に泣きぼくろがあって冷酷そうな彼でも泣いたりするのかな、とぼんやり考えながらトークを進めたことを覚えている。
いま思えば、それがもう恋に落ちた瞬間だったのかもしれない。
まだ何も彼のことを知らなかったけれど、フェロモンにも似たような惹きつけられるオーラにナギサは全身で抵抗したが、しっかりと取り込まれてしまっていたのだ。
身体の中心まで届かないように胸に蓋をして、雅紀にときめいて揺れるもう一人の自分を閉じ込めた。
『ナギサくんが歌う曲をプロデュースできるなら、まず〈パッヘルベルのカノン〉のような曲を作りたい。ナギサくんはさ、一音ずつじっくりとコードが動く曲が得意だと思うんだ。きっと聞いている人も高音域へ上り切った瞬間の声に心が震えるんじゃないかな。俺ね、ナギサくんが動画配信で歌っていたころから、ずっと聞き続けているから、ものすごく高いキーの曲を歌っている配信で涙を流したこともあるんだよ。ナギサくんのハイトーンボイスをもっともっとみんなに聞かせたいなぁ。あ、でも俺のためだけに歌って欲しいかも……なんてね』
『ちょっと、宮國さんってば、どれだけボクの動画見ていたの? なんか恥ずかしくなってきちゃった……』
このときの雅紀の表情は彼に群がる女性陣にはきっと見せない温かな血が通った笑顔だったのかもしれない。
まだこのときは、それが自分だけに向けられた好意とだということに気が付いていなかった。ひたすら心臓の音がうるさくて、ふだんなら早く終えたい仕事も、彼と話し続けていたい気持ちでいっぱいだった。
『それではここで一曲聴いてもらいます。ボクの歌のなかでもいちばんキーが高い曲だね。えっとリクエストくれたのは――あ、これは宮國さんからのリクエストなの? どんだけボクのハイトーンボイスが好きなんだろ。それでは聞いてください。ミナミ・ナギサで――』
ともだちにシェアしよう!

