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LESSONⅥ:第64話
「あのときは俺も悪かった。漣音の好意を感じて分かっていた。それに【偏愛音感】で気持ちも聞こえてた。でもバンドでデビューして売れることしか頭になくて。恋人になったら他のメンバーからなんて言われるか、とか、マスコミや世間からどう思われるか考えすぎて、責任とれるか不安で仕方なかった」
「あんなに僕のこと抱いたのにね」
漣音はわざとナギサに聞こえるように言う。
「おい、それは……」
雅紀が慌てた声を出すと漣音は「もう行くね」と雅紀の腕をするりと抜け出して、搭乗口へ歩き出す。
「漣音、待て。聞きたいことがある」
雅紀は漣音を呼び止めた。彼は振り返らずに立ち止まる。
「イギリスで幸せに過ごしているんだろうな?」
漣音が振り返ると感情を失った顔で雅紀を見つめた。なぜ、そんなことを聞くのか、幸せだったら、いまここにいないと言わんばかりに。
「もちろんだよ、マサキさん。心配しないで?」
八重歯を覗かせて笑った顔は嘘で作られたものだということをナギサは理解した。
「イギリスで僕の帰りを待っている恋人がいるから。その人はね、マサキさんよりも若くて、とってもハンサムだし、ギターも上手いんだ。僕の歌声も褒めてくれて、夜になると必ず優しく抱いてくれる。マサキさんみたいに僕の気持ちを無視して乱暴に抱いたりしないんだから」
そう言い放った漣音の目線は雅紀ではなくナギサに向けられていた。挑発するような目つきだ。ナギサはまだ雅紀に抱かれていないということを見抜いているかのように。漣音はゆっくりとナギサの前に戻ってきた。
「ナギサのことが本当に羨ましいよ。歌手活動は順調で人気もあって。でもね、僕も絶対に負けないから。イギリスでもっともっと音楽を学んで、また日本に戻ってきたときにはナギサと対等に音楽の舞台に立つつもりだから覚悟してよね」
「漣音、対等ではなくて、いつか一緒に、歌おうよ?」
ふたたび伸ばした手に漣音は手のひらを重ねる。
「嫌だよ。僕はね、ナギサが日本の音楽シーンでトップランナーとして走り続けられるように、後ろからずっと追いかけて脅かしたいの」
負け惜しみと捉えてしまえばライバルになってしまう。
ナギサは素直になれない漣音にやはり兄弟だと安堵した。
愛され方も愛し方も知らなくて、不器用ながらにどうにか想いを伝えようと懸命になる姿は一緒だ。
手のひらが溶け合うように温かい。
それは遠い記憶に追いやられた海辺で感じたふたりの歌声の温度と同じような気がした。
漣音はもう片方の手のひらで赤く腫れたナギサの頬を撫でる。
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