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18 ガリ勉、休む

 翌日、僕は学校を休んだ。  朝起きて、学校へ行きたくないと思ったのは初めてだった。のろのろと支度をして、ちょっとでも登校までの時間を稼ごうと思ったんだ。ジェラルドに合わせる顔もないのに、学校へ行ったって、つまらなくってつらいばかりだ。  そしてルークは、いやいや支度する僕に、学生かばんを渡さなかった。一旦手に持った後、引っ込めて、こう言った。 「エリスさま。体調が優れませんよね?」  ルークの口調は、ちょっと強かった。その勢いに押されて、思わずうなずいてしまった。  そしたら、あれよあれよと学校へ連絡が行って、僕は風邪ということになった。生まれてはじめてのずる休み。 「こんなことして、いいのかな……」  部屋に閉じこもりながら、ジュースをちびちび飲む。ルークは「当然です」としれっと言った。 「今日くらいは何も考えないでください。ジュース、おかわりありますよ」 「ううん。いい」  罪悪感。学校を休んだという事実が、かえって重たくのしかかった。  甘やかされているなぁ、とは思う。それは、素直にありがたいんだけど。 「今日は遊んでください。あ、買い物に行くとか、観劇に行くとかなら、旦那さまからお小遣いを預かっています」 「うん……分かった」  でもさすがに、そこまでは甘えられない。首を横に振った。 「図書館に行くよ。一日、本を読んで過ごそうと思う」 「承知しました。ゆっくりしましょう」  僕の気持ちに気づいているのかいないのか、ルークはにこりと微笑んだ。 「では、支度をしましょうか。荷物をまとめますから……」  その時、扉がノックされた。僕たちがそちらへ視線を向けると、お母さまがそっと顔を出す。 「エリスちゃん、お母さまよ」  ルークと顔を見合わせた。すると飛び込むようにして、お母さまが入ってくる。  僕をぎゅうぎゅうに抱きしめて、「大丈夫?」と頬擦りをした。あまりのことに目を白黒させていると、お父さまもやってくる。 「勉強好きなお前が学校を休むとは、心配だ。今日はいちにち、お父さんとお母さんと気晴らしをしよう」 「買い物に行きましょう。それから観劇をして、楽しく過ごしましょうね」 「いえ、僕は」  僕の言葉なんか聞かずに、両親はルークへ支度を命じる。ルークは僕をちらりと見てから、従順に外出の準備をはじめた。  どうやら、逆らうのは無理らしい。僕は内心ため息をつきつつ、こちらも従順に支度を始めた。  とはいえ休むことを責められないのは、ありがたい。両親はいそいそと、僕の手を引いた。一体、僕は何歳児だと思われているのだろうか。  結論から言えば、その日は、全然気が休まらなかった。  元気じゃない姿を見せれば、お父さまとお母さまは落ち込んでしまうだろう。あえて明るく振る舞わなければいけない。そうするのは、疲れた。  だけど、そういう風にすれば、二人はほっとした顔をする。僕だって、気を遣わせたくないから、それでいい。  それにしたって、疲れたのはどうしようもない。遊び回って、夕方には、すっかりへとへとになっていた。両親は元気なのが、またなんとも言えなかった。  帰宅してからは真っ先に部屋へ戻って、靴を脱ぎ捨ててベッドへと倒れ込む。眼鏡が邪魔で横向きに突っ伏す僕の手から、ルークが荷物を取り上げた。 「お疲れ様です、エリスさま」 「うん……」  眼鏡を外した。身体を丸めて、布団を抱きかかえる。ごろごろと寝転がる僕を、ルークはじっと見つめていた。 「エリスさま。明日も、学校を休んで構わないのですよ」 「え? なんで? さすがに、明日は行くつもりだけど」  思ってもみない言葉に、思わず顔を上げる。ルークは真剣な顔で、ベッドサイドへしゃがむ。僕と視線を合わせて、「無理をしないで」と言った。 「俺はずっと、あなたが心配なんです。あなたは昔からずっと、無理をしすぎだから」 「そんなことないよ」 「そうですか? 無理をしていなかったら、あなたはこんなに体調を崩していないと思いますが」 「……怒ってる?」  おずおずと尋ねると、ルークは「ちょっとだけ」と、微笑む。僕は気まずくなって、枕へ顔を押し付けた。声がくぐもって、小さくなる。 「ごめんなさい」 「いいえ、あなたが謝ることじゃないんですよ。俺の問題です」  あのね、と、ルークは内緒話みたいに、こしょこしょ囁く。僕は首を回して、ぼやける視界の真ん中に、ルークの顔を置いた。 「俺たちきょうだい。一番上の俺から、一番下の子まで、あなたの教室のおかげで、就職が決まったんですよ」  え、と、思わず声が出た。ルークが小さく笑ったらしいと、気配で分かる。一番下の子というと、今やっている教室の中でも優秀な子だ。  あの子の仕事、決まったのか。僕は、ルークの表情が見たくて、がんばって目を凝らした。 「あの子は商家の奉公へあがります。給料の支払いもいい。あなたが教えてくれた、読み書き計算のおかげです」  彼は、深々と頭をさげた。その声は静かで、だけど張り詰めていた。  はっきりと見えないけれど、分かる。今のルークは、すごく真剣だ。 「ここに俺たちきょうだいがいられるのも、一番下の子まで仕事にありつけたのも、全部あなたのおかげだ。あなたには、どれだけ感謝しても、しきれないんです」  なんだか、実感がない。僕が目を凝らすと、ルークは立ち上がってしまった。  視線を動かしても、ルークの表情は、全然分からない。彼が「熱くなりすぎましたね」とくすくす笑う声がした。何かを誤魔化すときの笑い方だ。いつもの、顔をくしゃくしゃにした笑顔が、なんとなく浮かぶ。 「とにかく、あなたはしばらく休んでください。あなたは十分がんばった。これだけ結果を出しているんだから、もう少し、誇ってください」  誇る。いまいちピンと来なくて、首を傾げた。  やっぱり、僕は、まだ甘えているところがあると思う。がんばれたのだって、たまたま、運がよかったから。  それをどうして、誇ることができるんだろう。僕はまだがんばれるところがあって、それをやっていないのに。 「分かってないって顔してますけどね。あなた、そのままだと、取り返しのつかないことになりますよ」  ルークはそう言い残して、部屋から出て行った。僕は身体を起こして、眼鏡をかける。  夕暮れ時ということもあって、部屋の中は薄暗い。もう、活動時間じゃないな。そう思って、また眼鏡を外す。  もう一度、ベッドへ横になろう。食事の時間までごろごろしていよう。  僕はまた手足に布団を抱き込んで、ぐったりと目を閉じた。  うつらうつらしている間に、ジェラルドが夢に出てきた。  夢の中の彼は、僕の頭を撫でて、すごいってしきりに言っていた。嬉しくてたまらなくて、いっぱい甘えた。ジェラルドは、なんでもしてくれた。キスも、ハグも、いっぱいした。気持ちよくて、幸せな気分。  ご飯に呼ばれて目覚めたとき、そんな夢を見たことが、恥ずかしくてたまらなくなった。

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