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監禁型④
「は、怪我!?」
「うん。ごめん、一緒に帰れなくなっちゃって……」
教室につき、生徒たちの声で賑わってきた頃。クラスを訪れた怜央くんに、俺は頭を下げていた。
絶対に帰れると豪語し約束までしてしまったのに、足がこれでは歩くこともままならない。治るまで登下校は家族の送り迎えになるだろう。
どんな反応が返ってくるだろう。納得はしてくれないだろう──と身構えていた。
「……お前が怪我してることのほうが大変だろ。そんなん、治ってからでいい」
しかし。返ってきたのは、予想していたよりもずっと優しい言葉だった。
「……おお」
拍子抜け、というか。杞憂だったらしい。なんだ。可愛いところもあるじゃないか。身構えていた自分がバカみたいで、笑いが込み上げた。
「っふは、ありがとう。やりたいことあったら付き合うから」
「ああ。……早く治せよ」
頭を搔き撫でられる。うん、と笑いながら頷こうとしたとき。登校してきたらしい四方田くんが、俺の机の元へ駆けてきた。
「直くん、足大丈夫!?」
「うん。伍代先輩が処置してくれたし、痛みは昨日より無いから。……ごめんね、しょうもない怪我しちゃって。邪魔しちゃった」
「何言ってんの、邪魔なんかじゃねーって!」
少しだけ怒りを浮かべて、眉をつり上げる。しかし、へにゃりと頼りなさげに眉を今度は下げて。
「……あんなことあってあれだけどさ、また見に来てくれる?」
「何言ってんの、もちろんだよ」
あんなこともなにも、今回は俺が勝手に怪我をしただけだ。優しい彼のことだから自分が誘ったせいだ思ってしまっているのかもしれないが、とんだお門違いだ。見学自体はかなり楽しかった。また見に行きたいと思っていたくらいなのだから。
笑えば、くいと肩を掴まれて。前に参宮くんが押し出た。
「そんときはついてく」
「……少しくらいバスケ見るならね? マジお願い」
いつにない切実な声に笑ってしまったのは、仕方がないことだと思う。
翔や文月くん、それに二階堂くんに怪我について根掘り葉掘り聞かれたのはまた別の話である。
それから、しばらくして。伍代先輩はことあるごとに俺の手伝いをしてくれた。部長としての責任を何度も主張したけれど、それ以上に手を焼いてくれている気がする。
「遠慮なんかするな。前も言っただろ、兄貴みたいに思えって。好きに甘えていいからな」
そう、快活な笑顔とともに言われれば。俺は返す言葉を見失って、お言葉に甘えてしまったのだ。
その甲斐もあり──すっかり痛みは引いていた。たまに部活を見に行くようになり、伍代先輩ともすれ違えば立ち止まって話し合う仲にもなった。
ある日、放課後。いつもは部活があるだろうときに、制服に身を包んだままの伍代先輩と廊下で会った。お互い顔を合わせて、笑う。普段ならば練習が始まっている時間のはずだ。急遽部活が休みにでもなったのだろうか。四方田くんは教室を早々に出ていたが、あれは帰っていたのか?
ふと気になって、聞いてみる。
「今日、部活無いんですか?」
「ああ──いや、あるんだけどな。今日は休むことにしたんだ」
「へー……そうだったんですね。なんか用事ですか」
何気なく、問いを投げた。投げて、しまったのだ。
「まあ、そうだな──今日は、両親の命日だから」
「──え?」
思考が停止する。思わず彼の顔を凝視した。すると先輩は眉を下げて、酷く儚げに。同時に、覚悟を決めたような瞳で微笑を浮かべている。
「俺、両親を小さい頃亡くしてさ。ひとり暮らししてるんだ」
「……それは……」
ああ、だからか、と。彼が周りから頼られるほど歳の割に落ち着いて見えるのも、しっかりしていると伝えたときに複雑な感情が綯い交ぜになった表情を浮かべたのも。きっと、ご両親が亡くなって、しっかりするしかなかったからなのだ。
言葉が見つからない。何を言っても、失礼になってしまう気がして。続く沈黙が息苦しいのに、どうしようもない。
「……悪い。湿っぽい話しちまって」
「……そんなの、謝るのはこっちです。無理やり聞き出すようになってしまって……」
「なんだ、無理やり聞き出された覚えは無いぞ?」
からりと笑う。いつも通りの爽やかな笑顔なのに、今は酷く痛々しく映った。無理に笑っているようではないから、尚更。なんだか悲しみに慣れきってしまったように思えて。
「何も無いところで怪我するし、人のことは庇うしでほっとけなくてさ。……でも、いい奴だからか? なんか、言いたくなっちまった」
「いい奴なんかじゃ、ないですけど……」
周りや伍代先輩に比べたら、それこそ俺なんてちっぽけな人間だ。いい人だなんて思ったこともない。自己保身だって考えるのだ、優れた人間からは程遠いだろう。言葉を切れば、先輩は続きを待つように押し黙っていた。
「……先輩は、すごいですね。……なんて言えばいいんだろう、そうならなきゃいけなかったのかも、ですけど……」
俺の周りには、頑張りすぎてしまう人が多すぎる。二階堂くんも、参宮くんも──他の皆も頑張り屋だが、このふたりは特に──家族に関することで悩んで、周りにそれを言わず無理をしてしまう。みんなもう少し、息の抜き方を覚えた方が良い。そうでないと、自分が苦しくなってしまうから。……そうできる環境にはいなかったのかもしれないが。
もっと周りを頼って欲しい。俺のように呑気に生きればいい。俺なんかで良ければ、いつだって話は聞くし。この世界で息がしやすくなる手助けを、小さなことでもしたいのだ。
「なんであれ、すごく頑張ってきたんでしょう。……たまには力を抜いてくださいよ。そうじゃないと、疲れちゃいますから」
目を丸くして。
「…………田山……」
消え入りそうな声で、俺の名を呼び。くしゃりと、今にも泣きそうな顔で眉を下げて笑う。
「……そんなこと言われたの、初めてかもな」
「そうですか? ……みんな、そう思ってるんじゃないかな。先輩、いい人だから」
四方田くんが疲れを表に出さないことを案ずるように。部長として周りに頼られ、信頼を寄せられる先輩を気にしている人はたくさんいるはずだ。例え口にはせずとも。それは間違いなく、彼の人徳のなせるところだろう。
「けど、頼ってくれってよく言うでしょう。それは……なんか兄ができたみたいで嬉しいです、はは」
そうだ。四方田くんを始めとしたチームメイトが、伍代先輩のことをこう呼んでいたっけ。
「ゆう兄、なーんて……」
数秒目が合い、沈黙が落ち──彼が視線を逸らす。……調子に乗りすぎただろうか。はたから見て普通にイタかったか。あの先輩がこんな何も言えなくなるなんて相当だろう。頭を抱えたところで、後悔先に立たずだ。
調子に乗るなと心の中で自分を罵倒していると、ふいに彼が距離を詰めたのがわかった。
「なあ」
落ちてきた声に、顔を上げる。なんだか──やけに、真剣な顔をしている、気がした。
「……今度、俺の家に遊びに来ないか」
思ってもみない誘いに。俺はただ流されるまま、首を縦に振っていたのだった。
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