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監禁型⑥
「……ん」
意識が浮上する。見慣れない薄暗い天井に一瞬思考が止まったが、そういえば先輩の家にお邪魔していたのだとすぐに思い出した。ずいぶん寝ていたような気がする。彼の家はなんだか居心地が良くて。
傍には先輩が居て、微笑ましいものを見る目で俺を見下ろしていた。いつから見られていたのだろう。気恥しさとともに、上体を起こし──じゃら、と金属が擦れるような音が聞こえた。
……なんだ、今の音。それと、右足首を硬いものが覆っているような、強烈な違和感は。恐る恐る視線を向けると──無機質な鎖が繋がっていて。囚人の動きを制限するような足錠がついていた。
現状が理解できず、先輩の顔を見上げると──安堵させるように柔らかく微笑んで、彼は口を開いた。
「大丈夫だ。俺がここで一生面倒見てやるから──好きなだけ甘えていいぞ」
なんて?
今度こそ思考が停止する。一生面倒を見る、と言ったのか。……ここで? 足首を繋がれたまま?
そんなの、俺がゲームでプレイしていたヤンデレと同じじゃないか。
身動ぎをする度、不穏な金属音が耳に入る。場にそぐわぬほど優しい顔の先輩が、無骨な手で俺の足に手を置いた。
「ああ……そうだ。頼むから逃げ出そうとはしないでくれ。お前の脚を折りたくはない」
しかも逃げたら傷つける系のヤンデレだ。タチが悪すぎるだろ。
手は封じられていないようだが──ポケットを漁ってもスマホが見当たらない。「悪いな、預かってるよ」考えを読んだのか、先輩がそう言う。
「見返りは要らない。ただ、ここに居てくれ。お前が居るだけでいいんだ」
だって、そんなの。俺にも生活があるのだ。家族だって、友人だっている。やらなくてはいけないこともある。閉じ込められるわけにはいかない。
「家族は……学校、とかは……」
「……もうここから出ないんだから、関係ないだろ?」
口もとは微笑みの形を保ったまま、幼い子どもを言い聞かせるように彼が言う。関係ないことはないだろう。
「ええ……? 困りますよ。親が学費払ってくれてるのに勿体ないじゃないすか」
眉を寄せて言えば、打って変わって彼はぽかんとした表情を浮かべて。
「……え、そこなのか?」
「大事でしょ!」
大事すぎる。そもそも親も納得しないだろう。……ここへ閉じ込めて、失踪したという扱いにするのかもしれないが。
反論すると、彼は少しだけ気まずそうに口を開く。
「いや、まあ……親からの支援を無駄にするのは、確かにあれなんだが……」
ふと気づく。彼は、生い立ちのせいもあってか──両親に関連する言葉に弱いのではないだろうか。僥倖だ、このまま行けば押し切れるかもしれない。
今までのヤンデレと比べればずっと説得しやすかった。こちらの話も聞かずに問答無用で閉じ込めるタイプでもないようだし、良心的だ。……人を閉じ込めるのに良心的もなにもあったものではないような気もするが。
「でしょう。だから、ここから出して──」
言った瞬間、顔の横に風圧を感じた。
「絶対に駄目だ」
どん、と頭のすぐ横で鈍い音がした。肌が痺れる。壁を強く叩いた彼に威圧される。太い腕には力がこもり、血管が浮きでている。
見たことのない、表情だった。地を這うような低い声に、心臓が大きく跳ねる。
「また、目の前から居なくなるのは嫌だ」
だが──酷く、切実な声色で。その言葉が、いやに胸に引っかかったのだ。
「……また、って……」
震える声で、問いかける。先輩は眉根を寄せ、顔を顰めたまま。懊悩を吐露するように言葉を紡いでいく。
「……両親は、俺を庇って事故で死んだ。──お前が、誰かを庇っていなくなったら、俺は……」
言葉が途切れる。嫌な想像をしてしまったのか、唇はわなわなと震えていて。俺を見ているのに、どこか遠くを見つめているようだった。これは──まず、彼を落ち着けないと駄目だ。軽くパニック状態に陥ってしまっている。
「…………それで、閉じ込めるんですか?」
問いかけると、は、と息を飲んだ彼が俺の顔を見つめる。ようやく目が合った。
「ああ」
「俺の世話をしてくれるんですか」
「もちろん。好きに甘えてくれ」
「いや──」
ひとつ息を吸って。からからに乾いた喉で唾を飲み込み、真っ直ぐ彼の顔を見据えた。
「普通は先輩が甘えるべきでしょ。いつも皆から頼られてるんだから」
「……ん?」
数秒落ちた沈黙。理解できないといったような声色。彼の頭の上に、疑問符が見えるようだった。
「家でもひとりで立派に生活してて、外でもみんなから頼られてるのに。俺の世話までするんだったら、先輩はどこで息を抜くんですか」
「……俺は別に、お前と一緒にいられるなら問題は……」
「あります」
きっぱり言い切れば、少しだけ気圧されたようだ。
「疲れだって溜まるでしょう、倒れたらどうするんですか。もしここに閉じ込めるとしても──少しくらいは人に甘えてくださいよ」
皆の兄を自称していても、頼られてばかりでは気も抜けないだろう。そのうえ他人の世話なんて、いくら体力があろうと続くわけがない。……いや、俺も別にすんなり監禁されるつもりはないのだが。
「……甘え方が、わからないんだ。両親にそうしたのは、ずっと昔だし……」
視線を伏せ、そう続ける様は幼い子どものようだ。
「それでもいいし、皆からされてるようにしてもいいんです。……先輩。俺には別に、ここに閉じ込めなくても甘えてくれていいんですよ」
それは、紛れもない本心だった。世話をされ、彼の負担になるのならば──俺は彼が心を許せる拠り所になりたい。学校でだって、どこだっていい。苦しみを吐露してくれていいのだ。
そう、思ったのだが。
「……そうやって、俺を言いくるめて外に出るつもりだろう」
酷く冷えた声が。酷く熱のこもった瞳が。俺の体を、固まらせた。
「お前は外に出たら、いつかまた誰かを庇うんだろう。傷つくんだろう。そんなの、許せない……!」
肩を強い力で掴まれる。痛みに顔が歪むが──辛そうに言われるそれに。俺はただ、鬼気迫る彼の顔をじっと見つめた。
ねえ、先輩。
「先輩だって、わかるでしょう。俺たちはまだ子どもで、外に出ないで生活することなんてできないのも」
返事はない。代わりに、肩に置かれた手に力がこめられる。
……監禁なんて、フィクションだからできることだ。それが俺たちのような学生ならば尚更。少し考えれば、現実的でないことはわかる。先輩も、頭のどこかではわかっていたはずだ。
それでも、こんなことをしてしまったのは、恐らく──
「それほど、思い詰めたんですね。俺の身を案じてくれたんですね。……居なくならないで欲しいと、思ってくれたんですね」
命さえなげうつほどに優しい人だった彼の両親のようにならないで欲しいと、優しい先輩は考えたのだ。
「…………」
「……もしこれが大事になって、先輩が責任を負うことになったら。俺はやりきれません」
ねえ、先輩。
もう一度呼びかける。肩に置かれた手は、いつからか力が抜けていた。項垂れるように、顔を伏せる彼。その瞳は、僅かに潤んでいるように見えた。
「貴方が俺を失うのを恐れているように、俺だって貴方が居なくなるのは嫌だ。それに、皆から慕われてる先輩を俺が奪うのも、忍びないんです。わかってくれませんか」
「…………わかっ、た……」
揺れる声色で、彼は返事をしてくれた。
内心は──心臓がうるさいくらいに脈打っていた。言った言葉は本心だが、説得できなかったらどうしようという不安もいっぱいだったのだ。
……しかし。なかなかヤンデレをいなすのも上手くなってきたのではないだろうか。基本的に彼らには、歪んでしまった愛情を向ける複雑な理由がある。それを上手く受け止めてあげることが大切なのだ。やんぱらと実体験で俺は学んだ。……実体験で学ぶことってあるんだ。事実は小説よりも奇なりとは言うが、限度があるだろう。
「……すまないな。足首も痛かっただろ」
「ああいや、それは全然……」
どこからか取り出した鍵をさし、足が自由になる。随分軽い。
申し訳なさそうな先輩がなんだかいたたまれなくて──俺は、口を開いていた。
「あの。先輩が嫌じゃなければ、なんですけど……今日、泊まっていってもいいですか」
「……! ああ、もちろん!」
ぱあ、と顔が明るくなる。「上に戻ろう」そう言って、彼が立ち上がらせてくれる。口ぶりからすると──どうもここは地下室のようだった。……そんな部屋があったのか。
固まった体を動かし、伸びをする。そしてはた、と気づいた。
「……あ、服ないや」
「そんなの貸してやるよ。っはは、なんか楽しくなってきた!」
快活に返す先輩は、俺が知るいつもの先輩の姿だった。ほっと一息つき、階段を上がる。窓から射す光が、いつもよりずっと明るく見えた。
***
「……だけど、他の奴と近すぎるのは、少し……嫌、だな。……もし、大人になって、今度こそ閉じ込めたら……あんな杜撰じゃなく、念入りに、したなら。俺以外とは、関われない、のか……」
「…………?」
ぞくりと。悪寒が背中を走った。……風邪、だろうか?
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