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監視型⑤
周りの目を盗み、放課後に萌え語りなどを始めてから少し経った頃。
今日も話をするために遅くまで残り、陸奥先輩の教室へと足を踏み入れた。教室には俺たち以外、誰もいない。彼はノートと向き合ったまま、真剣な顔で何かを書いているようだ。
音を殺して、近くに寄る。覗き込めば、紙面には風景が描かれていた。見たところ──教室の外の景色のようだ。陰影は鉛筆の濃淡で見事に表している。まるでモノクロの写真のようですらあった。
「どう? そこそこ描けてるでしょう」
顔を動かさないまま、そう言われて。
「……気づいてたんですか」
「まあね。キミ、気配消すの下手すぎ」
消し方がわからないのだから仕方ないだろう。手を止めた彼はようやく視線を上げ、凝った身体を解すように伸びをした。
「絵、上手いんですね」
「んー、まあ。昔っから絵ばっか描いてたからね」
それにしたって上手だ。きっと研鑽を欠かさなかったのだろう。
「美術部は入らなかったんですか?」
「ウチの学校、結構ガチじゃん。緩くやりたいんだよね、オレは」
確かに──学校の廊下なんかに、たまに油絵が飾ってある。どこの美術家の作品かと思ったが、よくよく見ればそれはウチの美術部の生徒のものだった。コンクールで何人か賞をとったこともあるらしく、力を入れているらしい。美大を志望している生徒もいる、なんて話だって聞くほどだ。趣味でやりたいのなら、部活の空気感は合わないかもしれない。
「これ、絵を描く用のノートですか」
「まあね。見る? アナログよりはデジタル派なんだけど、多少は練習してるんだ」
デジタルとかアナログとかはよくわからないけれど、曖昧に頷く。「意味わかってないでしょ」笑いながらそう言われた。……絵の方面には疎いのだから仕方ない。
指の腹で開いたページを押し、ノートをこちらへ滑らせる。前の方へと紙を捲り──息を飲んだ。
授業中だろう教室の風景。教師の後ろ姿。様々な生徒。動物。どれもが真に迫るほどリアルで、一瞬を切りとったようだった。
思わず、うわあ、と小さく声が漏れる。美術部に入らないのがなんだか勿体なく感じてしまう。彼ならきっとコンクールでも上位に食い込める気がするのに。何も知らない素人だから、呑気にそう思えてしまうのかもしれないが。
他にはどんな絵があるのだろう。後ろの方を見ようと、ページを捲ったそのときだった。
「っあ、やば、まって、そっちのページは──」
「──え?」
焦りの滲む声でされた静止も間に合わず、そこを開いて。思わず、息が止まった。
開いたページには、たくさんの様々な少女たちが描かれていた。それらだけは写実的なタッチではない、アニメ風の絵柄だ。いや、それが理由で驚いたわけではない。俺が驚愕したのは──
そこに描かれていたのは、やんぱらの少女たちで。原作の絵柄まんまだったからだ。似ている、どころではない。細かなところも、僅かなクセも。なにもかもが、一致している。
「…………え? やんぱらの、作者……様……?」
口から、言葉が飛び出ていた。よくよく考えれば、タッチを模倣していたのかもしれない。だけど──自分には、その絵にこもる情熱のようなものが。魂のようなものが、本物だという証明に思えて。目の前の青年が、作者なのだとしか思えなかったのだ。
「……バレちゃった」
陸奥先輩は──否定することなく。焦った様子は消え。へらりと、いつもの笑顔でただ肯定したのだった。
「え? ……え、本当に、え?」
頭が上手く回らない。何を言うべきなのだろう。言葉が何も見つからない。そもそも──俺は夢を見ているのか?
だって、あの作者がまさか俺と同じ高校生で。しかも同じ高校に通っていて。さらには──目の前の生徒だなんて。現実にしては、上手くできすぎているじゃないか。
「あれ、信じられない? なら後で配信する予定のストーリーとか、次のヤンデレがどんな子か教えようか、次はおさ──」
「しなくていいですやめてください!!」
危ない。止めなければ楽しみが全部台無しになるところだった。
声を荒げれば、彼は笑って「じゃあやめる」と言う。口ぶりからして、本気だったようだ。
「……誰かと一緒に作ってるんですか?」
名義はひとりだったが──誰かと組んでいるのだろうか。聞けば彼は首を横に振る。
「いや? 単純なノベルゲーだからね。イラストとストーリーさえできてりゃ、ざっくりとしたものは作れる」
ひとりであのゲームを? ……天才だ。美麗なカラーイラストも、魅力的なキャラたちも、奥の深いストーリーも──全部彼の手でできているのか。
言葉が出てこない。あんぐりと開いた口は塞がらなかった。
「ゲーム性なんてもんはほぼ無いけど、まあ。オレみたいなやつが作る分には楽だね」
自然と手を組んでいた。神様を拝むように──いや、ようにではない。実際に神様を拝んでいるのだ。
「……先生……いや、神様……」
「わあ。拝まないでよ。普通に呼んで欲しいし」
そうは言うけれど。本当に俺にとっての神様のような人なのだ。やんぱらは自分のようなヤンデレ好きにとっての光だ。幅広い需要を余すことなく満たしてくれる貴重な栄養源なのだから。
シナリオも書いているのなら、文芸部に入っているのも納得できる。文章を書くのも得意なのだろう。そういえば、確かにやんぱらのクレジットでは製作者はひとりだけのようだった。
「思ってたよりキミ、ガチのオタクだねえ」
返す言葉は無い。組んだ手は外し、緊張で固くなる声を何とか絞り出した。
「……まさか、作者様……さん、と関われるとは思いませんでした」
視線をうろつかせて言えば、小さく笑いを漏らしてから彼は口を開いた。
「それならオレも、キミみたいな子と関われると思わなかったよ」
「……俺みたいな子?」
首を傾げる。言葉の意味がよくわからない。俺なんて特筆すべき点もない、ただの地味で平凡な男だ。そういう自負がある。……悲しいことだが。
「うーん、ほら。やんぱらオタクの優しい後輩ってこと」
「……優しくはないですけど」
「お友達庇って倉庫で怪我したんでしょ。いい子だね」
目を細めて笑いかけられる。そういえば伍代先輩も、俺が救急車で運ばれたことを噂で聞いたと言っていた。あのときは、自然と体が動いていた。立派な考えのもとで動いたわけでもない。……そりゃあ、友達が怪我をしそうだったら、代わりになりたい、とは思うけれど。伍代先輩は、そういうところに複雑な感情を覚えたわけだし。
ぐるぐると思考が回る。だけど。褒められたことは──素直に、嬉しい。
「いや、そんな……」
「謙虚で偉い。甘いものもあげちゃう、好きでしょ」
「え、ありがとうございます」
ポケットから取り出した小さなチョコレートを、いくつか手のひらに落とされた。
口に運べば、優しい甘みがじわりと広がった。彼だって、優しい人だ。それに、すごい人。
「やんぱらは、俺の生きがいみたいなものなんです。……本当に、ありがとうございます」
「……好きになってくれる人がいるから、世の中に発信できるんだよ」
感慨深そうに、「こちらこそありがとう」と言われる。……なんだか照れくさい空気の中、互いの顔を見合わせて笑った。
結局その日は気恥しさからか、語りもそこそこに──帰路へと就いたのだった。
***
それから──陸奥先輩と会う頻度が、やたらと増えた。会おうと約束することもそうだが、偶然校舎内で会うことも。下手をすれば、ゲームセンターなんかにひとりで寄り道したときすら。
ゆっくりとだが、確実に。違和感は芽生え始めていた。
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