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第1章 番を失ったオメガ1
第一志望の大学に合格し、住みなれた千葉を出て東京で初めてのひとり暮らしだ。
勉強の合間に幼稚園の頃から習っている茶道の感覚を忘れないよう、茶道研究会へ入った。新入生の歓迎会は学校近くの公園で桜を見ながらの茶会だった。
学校から公園に向かっている最中、道の交差点で魂の番――運命の赤い糸で結ばれているアルファと出会ったのだ。
一月経たないうちにおれたちは、つきあい始めた。といっても、相手がまじめな人だったから今どき珍しいくらいに清く正しく美しくな交際だ。
手をつなぐまでに半年、ハグをするのに一年、キスをするのに二年も掛かってしまった。
最初の頃は、男のオメガが魂の番なのが気に食わなくて手を出さないのだと思っていた。デートはほとんどないし、連絡もなかなかとれなくて、やきもきさせられたのを今でも覚えている。
だけど実際は、そうじゃなかった。
四年生になると卒論を抱え、足りない単位を取得し、アルバイトをしながら就職活動で日々、目まぐるしかった。ようやく落ち着いたのは秋も深まる頃。
学部によっては、大学最後の年を楽しむ人もいるけど、十二月のギリギリまで就職活動をやったり、就職先の新人研修に参加する人や大学院へ進むために過去問演習と論文対策をする人もいた。
一方、工学部の院生だった彼は実験・実習の時間が多い。教授から頼まれる仕事もこなしつつ夜間のアルバイトや論文を翻訳する仕事をして生活費や学費を集めていたから暇がなかったのだ。
おれの発情期が来ても、いつも冷静な様子で、オメガの抑制剤を用意している人だった。
研究一筋の人間で世間一般からすれば、おもしろみがない男。
事実、うちの親や兄弟たちも「ロボットやAIのほうが、よっぽど人間味があって、おもしろい」と言い出す始末だ。
彼と出会った当初は戸惑うことが多かったし、何を考えているのかわからなかった。
でも同じ時間を過ごすうちに彼のいいところも、悪いところも知った。
まじめで誠実だけど不器用で、いつも言葉が足りない。誤解されることも多いけど温かい心をしていて、おれのことや、ふたりの将来を堅実に考えてくれていた。
大学を卒業し、就職先からお盆休みをもらった最初の一日目に彼の番となった。発情している状態で彼に抱かれながら、うなじを噛 まれたのだ。
四年間ゆっくりとしたペースでいたからか、ふたりとも抑えがきかず、たかが外れたかのように三日三晩愛し合った。
だけど、おれの家族は児童養護施設の出である下級アルファである先輩を家族とは認めてくれなかった。
父に至っては地獄の獄卒である鬼たちが駆け足で逃げ出すほどの怒りっぷりだ。
「薫 、おまえに子どもができない間は、何があろうとこの家の敷居は跨 がせない。その浮かれた頭を冷やしておけ!」
実家から締め出しを食らい、毎年行 っている先祖の墓参りに参加することも禁止されたが、おれは一向に構わなかった。
家族が祝福してくれなくても彼のことを愛していたし、彼もおれを愛してくれたから。
大学時代の友人や、やさしい職場の人たち、先輩がお世話になっている大学の教授たちが祝福してくれるだけで充分だった。
彼の子どもを宿し、赤ちゃんを生みさえすれば頭の固い父親だって先輩を認めてくれるはず。そう遠くない未来を想像しながら幸せを噛みしめていた。
悲劇が起こるとも知らずに……。
いつものように車を運転して出勤していたら、飲酒運転をしていた暴走車が車線を越え、正面から突っ込んできたのだ。
先輩も、相手も即死。
彼と番になった日から一週間後のできごとだ。
葬儀を行う前に、番を失ったオメガ特有の発作を起こして倒れ、気がついたら病院のベットにいた。
看護師に日付を訊くと彼が亡くなった日から、すでに一ヵ月も経っていた。
退院後に、葬儀は、先輩の研究分野を監督していた教授が厚意で行ってくれた事実を知った。身内だけの小さな葬式だったそうだ。
そうして正面に飾りひものついた骨箱を渡された。ただの白い骨と化した彼が小さな四角い箱の中で眠っている。その事実を受け入れられず、一晩中、ぼうっとしていた。
フィクションの世界では、愛する人を失った主人公は新しい命を宿すけど、おれは先輩の子を授かれなかったのだ。
初めてもらったボーナスは、冬の沖縄旅行に使おうと約束していたのに、彼の墓を立てる代金となった。
復職したものの魂の番であるアルファを失った反動で頻繁に身体を壊すようになってしまった。ストレスによる喘 息 の発作や意識障害によって仕事を休んだり、早退することも多くなって短期の入退院を繰り返す。
番を失った状態での発情期は、まるで水や食事を何日もとっていないような飢餓感に襲われた。
抑制剤を服用しても効果はゼロ。
いっそ殺してくれと悲鳴をあげるほどの激痛に、さいなまれた。
それでも勤め先の上司や先輩は番を失ったオメガについて理解してくれる人たちだった。そのおかげで体調不良になっても仕事を続けられたのだ。
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