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第1章 番を失ったオメガ3

 目を覚ましたら見知らぬ天井があった。一点のしみもないような白色をしている。  腕に小さな痛みを感じ、目線だけ上げる。透明な液体の入った袋が銀色の棒につり下げられている。 「お加減はどうですか?」  どこからともなく女性の声がして銀色の棒の反対側へ顔を動かすと、視界の端に白い服を着た女性の姿が映った。 「どこか苦しいところはありませんか?」  バインダーを胸元に抱えた女性看護師に声を掛けられ、ようやくここが病室だと認識する。 「大丈夫です。すみませんが、おれは何ヵ月も寝ていたのでしょうか?」 「いいえ、昨日の夕方五時過ぎに運ばれてきたので丸一日寝ていただけですよ」 「よかった」  おれよりも二、三才は年下の看護師が、人をほっとさせる温かい笑みを浮かべ、腰をかがめる。 「お兄さん思いの弟さんが、すぐに救急車を呼んでくれたので、こちらも迅速に対応することができました。兄弟仲がいいんですね」  年の離れた兄たちは、おれをかわいがってはくれたけど大学進学を機に家を出ていってしまった。  人とうまくやっていけない性格で大学までは友だちが、ひとりもいなかった。家に帰れば弟の時雨に会える。それだけを支えにして学校へ通っていた。  父と反りが合わず、口(げん)()をするたびに仲裁にも入ってくれた。 「桐生さん、手術は、きっと成功します。今は昔と違ってオメガ専用のいい薬がありますから術後のケアも、ちゃんと行えますよ」  点滴につながれていない右手を首の後ろへやり、うなじに触れる。ぼこりと肌に(おう)(とつ)があるのは、おれが先輩の番になった証だ。  入れ墨やタトゥーのように一度つけたら残るもの。  大事な傷跡。  たとえ心臓の手術に成功しても番契約を解除しない限り、おれの身体はまた悪くなる。オメガの細胞やDNAが死んだアルファのもとへ()くために自己修復機能や免疫力を低下させているからだ。  健康を取り戻すためには番契約を解除するしかない。オメガの身体を番のいない状態へリセットする薬品を摂取して、先輩と番った証を――オメガのうなじに残るアルファの噛み跡を――消す。 「わたしは桐生さんの番が、どのような方か知らないです。ただ、その方はきっと、あなたに少しでも長生きしてほしいと願っているような気がします」  勝手にでたらめを言うなと彼女をなじることもできたが、彼女の言う通り、先輩はいつだっておれのことを一番に考えてくれた。  家族に交際を反対された後、家族の縁が切れると心配して番契約を結ぶことを渋るような人だ。  もしも幽霊なんて存在や、あの世なんてものがあったら、きっと彼は今のおれを見て「きみは、まだ、こっちに来るのが早いよ」と困ったような笑みを浮かべるはず。 「その通りだと思います。あの人は、おれが後追い自殺なんてしようものなら『死ぬのは許さない』って悲しむ気がするんです。『なんで身体を大事にしてくれないんだ』って」  涙腺がゆるみ、涙をこぼさないように目をつむる。 「番だった方のためにも体力が快復次第、手術を行いましょうね。ご両親が保証人となって、すでに入院の手続きなどを済ませています。一日も早く、よくなるようにがんばりましょう」  そうして彼女は静かにドアを閉め、廊下へ出ていった。  心臓の手術は成功した。  後から判明したのだが、おれの心臓には、もとから先天性の疾患があった。本来であれば十八になる前に一度、心臓の手術を受ける必要があり、医療技術が発達していない時代だったら子どものときに死んでいたそうだ。  しかし小中高大と学校に通っている間はもちろん、企業に勤めてから二年間受けた健康診断でも心臓の異常は見つからなかったし、何ごともなく日常生活を過ごせてきた。 「桐生さんが健康な身体で二十年以上も過ごせたのは神のいたずらか、あるいは魂の番だったあなたのアルファが、赤い糸で結ばれたオメガの命をここまでつないだとしか言いようがありません。まさに奇跡です」と執刀医が説明してくれたのだ。  だからといって非科学的なことは一切信じない父に「先輩が命の恩人なんです」と説明したところで意味はない。  術後の経過がよくなって体力が戻ると番契約を解除するための薬品とオメガの身体を細胞レベルで修復する治療薬が投与された。以前は副作用が強く記憶障害を発症する可能性の高い薬品だったが、科学者たちの涙ぐましい研究により現在は、安全に使用できる代物になったそうだ。  一週間後にはうなじにあった噛み跡の部分が、かさぶたになり、三週間後には新しい皮膚ができて噛み跡は、うっすらとしか跡が残っていない状態になった。  退院後は、すぐに面接を受け、会社勤めをしたが、勤務中に喘息の発作を起こし、出退勤の際に意識障害を起こして倒れることがしょっちゅうで仕事ができる状態ではなかった。  検査を一通りをしたが不思議なことに異常はなし。原因不明の体調不良のため、オメガの身体に詳しい産婦人科医を紹介された。 「桐生さんは魂の番であるアルファと愛し合う形で番になりましたよね」 「そうです」 「でも、お相手であるアルファは番ってから、すぐに亡くなった。違いますか?」

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