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第1章 番を失ったオメガ4
「違いません。番になった一週間後に、おれの好きな人は、この世を去りました」
難しい顔をして先生は考え込んだ。
「どうやら桐生さんの身体は番契約の解除を拒んでいるみたいです」
「そんな……治療は終わったはずなのに……先生、どうすればいいのでしょうか?」
「薬を摂取するしかありません。番契約解除の薬をお出ししますので飲み続けてください」
キーボードを打ちながら先生が薬の名前を出す。
あっと思い、「すみません」と口を挟んだ。「それは心臓の手術が終わった後に飲んでいた薬と同じだと思います。それを使っても意味がないのでは? 薬を変えてください」
産婦人科医の男性オメガが手をひざへ置いた。
「残念ながら今の日本には、ほかの薬がありません。現在、使っているものが最新のものになります」
「ほかにない?」
目の前の白衣を来た人間が「そうです」と首を縦に振る。「海外でも番契約の解除に関する研究は行われていますし、薬も作られています。しかし海外のものは、いまだに副作用が強く臓器へも大きな負担があり、記憶障害などの報告も多くあります。桐生様が以前ご使用になられたものが一番副作用が少ないタイプです」
「では、ほかのオメガの方は薬が効かない場合、どうやって番契約を解除しているんですか?」
目の前の医師は、PCの横にある縦型のデュアルモニターに映った、おれの首の骨のレントゲン写真や子宮の映像の中に少しでも不審な点がないかと注視する。
「まず脳外科医が執刀を担当し、脳に直接作用する特別な機器を使ってアルファの記憶を抹消します。パソコンやスマホに入っている一部のデータを完全に削除するように」
想像以上の恐ろしい答えに思わず、ごくんと生唾を飲んだ。
「オメガは、アルファにうなじを強く噛まれたときにできた小さな傷口からアルファのDNAを取り込むと子宮や脳下垂体のフェロモンが変化し、ほかのアルファを誘わない状態になると言われています。脳の記憶を削除した後は、番のいないフェロモンの状態にする器具を子宮へ入れる手術を産婦人科医が行います。器具を入れると次第に脳みそが番の契約はなかったと判断し、オメガの身体を番契約が行われる以前の状態へリセットするのです。最後に皮膚科医で、うなじの皮膚の再形成を行います。血液検査の数値が番のいないオメガの基準値と同じか、それ以下になっていれば契約解除です」
「もし、このまま定期的に検査を受けながら薬を摂取していく形にしたら、契約を解除するのにどれくらい掛かりますか?」
「一概に言い切れるものではありませんが早ければ三ヵ月、長いと十年から十五年以上は掛かります」
三ヵ月でも、とんでもなく長いのに十年、十五年だなんて冗談じゃない。
アルバイトやパートではオメガは食べていけない。三ヵ月に一度の発情期で必ず三日から一週間は仕事を休むことになるから戦力外とされ、低賃金労働者になってしまうのだ。
医療費が発生する上に先輩と一緒に住んでいたマンションの賃料が発生する。ふたりで働きながら毎月払っていた額を、これからはひとりで払うのだ。
まともに社会復帰ができないまま、この先、どうやって生活をすればいいのだろうと途方に暮れる。
「とりあえず今は痛み止めや、精神安定剤なんかで様子を見ましょう。次の診療予約はいつにします?」と訊 かれ、適当な日にちを告げたところで診察は終わった。
薬の量が一気に増え、財布の中から紙幣が消えた。
企業で働けなくなったおれは、短期のアルバイトやパートを掛け持ちしていたが、再度心臓を悪くしたのだ。
結局また両親の世話になり、二度目の手術をすることになった。
手術が終わり、一命を取りとめたときには、契約を解除する薬を飲む道しか残されていなかったのだ。
一日も早く以前のように働けることを祈りながら一年また一年と、ときがいたずらに過ぎていく。
番契約が完全に解除され、健康を取り戻したときには、先輩が亡くなってから五年も経っていた。
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