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第2章 変わるもの、変わらないもの4
コンビニエンスストアのアルバイトを終え、遅い昼食をとりにマンションへ帰ってきた。
企業から「今回はお見送りさせていただきます」と書かれた文面が来ていて気が滅入る。この後はスーパーのレジ打ちがあるのに、急に何もかもどうでもよくなってきた。
昨晩作ったコロッケと豆腐とわかめのみそ汁を温め直していたら電話が鳴った。受話器のボタンをタップし、耳にあてる。
「もしもし、瞬 ?」
『久しぶりだな、薫。どうだ、調子は?』
「ああ、よくなったよ。大学時代と同じ状態まで快復した」
瞬は大学からの友だちで親友だ。
栃木出身の彼は大学進学を機に上京してきた。
選択した教養科目がいくつも重なり、「オレら教室で顔を合わせることが多いよな」と話しかけられたのをきっかけに、仲よくなった。
気さくで明るいベータだ。大学在学中も、その後も先輩との恋を応援してくれて、いろいろと相談にのってくれた。
日本茶専門店の企業を教えてくれたのも瞬だ。
学校卒業後はUIターンで地元へ帰り、公務員となって私立高校の事務をしている。
マッチングアプリで出会った弁当屋の女性と結婚し、今では幼稚園に通っている女の子の父親だ。
おれが心臓の手術を受けるときも仕事を休んで駆けつけてくれた。手術が終わった後も「東京観光へ来たついで」と言いながら奥さんや娘さんと見舞いに来てくれた。
『それなら、よかった! おまえの元気な姿を見たいよ。それで、仕事が見つからないんだって?』
「ああ、そうなんだ」
『おまえ、初対面の相手には警戒心が強いからなー。おまけに性格合わないと思った相手には露骨に態度が悪くなるし』
痛いところを突かれ、ぐうの音も言えない。
瞬のカラッとした夏の空を思わせる笑い声がスピーカー越しに聞こえた。
『まあ、おまえのそういうところも嫌いじゃないけどな。ところで栃木に来る気はないか?』
「へっ?」
突然、話題が変わり、すっとんきょうな声が出てしまう。
『薫は図書館の司書の資格と、茶道の講師の資格を持ってるよな?』
「そうだけど」
『なら、問題ない! ちょうど、うちの高校で図書館の司書と茶道部の顧問を募集してる。図書館の仕事はシフト制、茶道部は週に二回だ。両方合わせれば、ひとりで食っていけるくらいにはなるぞ。高校で茶道部の名前が売れれば、外部から仕事を依頼されたり、茶道教室なんかも開けるだろ』
矢継ぎ早に話され、おれは待ったをかけた。
すると瞬は『悪い、悪い』とスマホ越しに苦笑いをする。『いきなり、こんなふうに話されても戸惑うだけだよな』
「仕事の話はうれしいし、ありがたい。だがなあ、栃木に行くとなったら、引っ越さなきゃいけないし、住むところを決める必要がある」
『そこは任せてくれ。うちの親戚が、なんでも屋をやってるから引っ越しを手伝うぞ。住むところも安心してくれ。こっちの知人が不動産屋をやっていて茶室ありの木造家屋を持て余している。おまえの話をしたら、格安で貸すし、給料後払いでいいから入ってくれと頼み込んできた。食費は金を工面できるまでの間、弁当屋を営んでいるうちの奥さんのうまい飯を食えるぞ』
「さすがだな。すでに準備万端というわけか」
学生時代も先手必勝とばかりに行動力のある男だった。相変わらず用意周到で手抜かりがないことに感嘆するばかりだ。
『こっちだと、みんな若いやつは都会に出て行って見つからないんだ。直属の上司もオレのダチなら大丈夫って期待してる。オレの顔を立てると思って受けてくれないか?』
「仕事を教えてくれて、ありがとう。今から、そっちへ向かう!」なんて気軽に決められるわけがない。
「いくらなんでも話が急過ぎるだろ」
先輩との思い出があるマンションを手放すつもりが毛頭ないおれは頭を抱えた。
『じゃあ、お試しでこっちへ来るのはどうだ?』
「お試し?」
『そうだ。企業や学校でも説明会がある。だから、まずはうちの図書館や司書の人たち、茶道部監督に高校の生徒たちを実際に見てから決めるのは、どうだ?』
「それは……」
中学・高校で、あまりいい記憶がないおれは今でも学生服を着たグループを見るだけで緊張してしまう。
ベータから距離を置かれ、オメガだからと、しょっちゅうアルファから声を掛けられる日々。オメガといえど男で生まれたのにアルファの女からも、か弱い存在として扱われる。かと思えばアルファ至上主義の連中から影で「ビッチ」「淫売」と罵られ、せせら笑われていた過去を思い出し、複雑な胸中になる。
すると瞬は『大丈夫、大丈夫』とお気楽な調子で言う。『うちの高校はオメガを受け入れる私立大学の付属校だ。オメガへの偏見は、ほかよりもずっと少ない。ましてや、おまえみたいにビジュアルのいいやつが来たら、うちの生徒も、教師たちもキャーキャー喜ぶぞ』
「でもなあ」
『せっかく具合がよくなったのに働き詰め、面接も受けまくりなんて疲れちまう。たまには羽を伸ばせ。日帰り旅行だと思って、こっちに来いよ!』
大学卒業後に先輩とデートで神奈川へ行って以来、日帰り旅行はしていない。先輩も、おれも同時に就職したから仕事で忙しかったのだ。
栃木へ遊びに行きたい気持ちがないといえば嘘になる。
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