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第4章 新生活1

「――桐生さんが来てくださって本当によかったです。仕事を覚えるのが早いし、わからないところはすぐ訊いてくださるので助かります」と図書館の締め作業を一緒にやっている笹野さんが微笑んだ。 「いえ、とんでもないです。おれのほうこそ、ようやく単発や短時間アルバイトでない仕事につけて助かります」 「館長も大喜びしていますよ。オメガで司書資格を持った司書を募集しても、そもそもそんな人物は都会に出てしいまってるし。あのチャランポランな朝霧さんに頼んだときは頭を抱えて『もう駄目かもしれない』って辞職届けまで考えてたみたいですよ。本当、大げさですよね」  今日も毒舌が炸裂している笹野さんに苦笑しながら生徒たちの使った椅子を整頓し、閉館の札をドアにかける。  受付では閉館間際まで勉強をしていた学生たちが慌てて本の貸出を頼んでおり、笹野さんが慣れた手つきで対応していた。 「桐生さん、バイバーイ!」 「まったねー」  オメガの女子高生たちに声を掛けられ、手を振られる。  元気いっぱいに青春を楽しんでいる、まぶしい夏の光のような彼女たちに手を振り返す。 「はい、さようなら。また来てくださいね」  ドアを閉め、最後のひとりが出ていったことを確認してから鍵を施錠した。そうして受付でPCをシャットダウンしている笹野さんにカバーを手渡す。 「ここへ来て二週間経ちますが、どうですか? 仕事には慣れてきましたか?」 「笹野さんや鈴木さんのおかげで少しずつですが司書の仕事が、どういうものかを感覚的に掴めてきたかなと思います」 「生徒たちとも打ち解けられているみたいで、よかったです。特に女の子たちが『イケメンのお兄さんが来た!』って大喜びしているみたいですよー。この学校で二十代の人は少ないし、番や結婚相手がいないのは楠先生だけだったから」  楠先生――その名前が出て、おれはなんとも言えない気持ちになり、曖昧な笑みを浮かべた。  ふたりで事務所に入り、帰り支度をする。 「慣れない土地に来たばかりだから大変でしょうけど、じょじょに仕事に慣れていくように、この町を知ってもらえたらいいなって思います」 「そうですね、そうしていきたいです」  深緑色のエプロンを脱ぎ、カバンを手にして裏口へ向かう。  文化祭のお点前の披露も終わり、十一月となって寒さも身に染みる。  コートとマフラーを身につけ、笹野さんの後をついていきながら、明日の茶道部の活動は何をしようかと考える。  先週は浴衣の手入れと保管方法についてを話し、実践した。明日は冬の炉開きの話をして、菓子は()の子餅がいいだろうと決める。  ドアを開き、先に笹野さんに出てもらう。その後、鍵を掛け、「今日の夕飯は何にしようかしらねー」と手をポケットに入れている笹野さんに声を掛ける。 「笹野さん」 「はい、なんです?」 「すみませんが、ここら辺にある、いい和菓子屋さんを教えていただけませんか? 口コミサイトとかアプリを見たんですけど、あまり情報が載ってなくて」  彼女は眉を八の字にして「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに謝った。「この後、わたし、小学生の息子たちを塾へ連れて行かなきゃいけないのよ」   「……そうですか、わかりました。ありがとうございます」  ひとりで町歩きをしてさがすのも一考かと、彼女に挨拶をしてバス停のほうへ向かっていると「あー、桐生さん、待って待ってー!」  そこには笹野さんに手を引っ張られて走っている楠先生の姿があった。 「おい、おばさん。俺だって、もういい歳の大人だ。ガキじゃないんだぞ!」 「あら、生意気なことを言うようになったわね。仕事で忙しい姉さんに変わって、あんたのおしめを変えたのは誰だったか忘れちゃった?」 「忘れるわけ……桐生さん、今、帰りですか」  こっちは気まずい思いをしているというのに、よくもまあ平然とした顔で話しかけられるなと内心怒り心頭になる。が、笹野さんもいる手前だから、そんなことをお首も出さず「はい、お疲れ様です」と返事をした。 「ねえ、桐生さん」 「はい、なんでしょう?」  まさかな、と思いながら、にこーと意味深な笑顔でいる笹野さんの言動に警戒する。 「わたしは息子たちの送迎をしなきゃだし、買い物に行って旦那のご飯も準備しなきゃだけど大和くんだったら、この後、なーんにも予定が入ってないのよ。というわけで大和くんの車に乗って和菓子屋さんをさがしてみてくれる?」  やっぱり、そういうことかと、頭が痛くなる。  「おばさん、いきなり横暴だ!」  生徒も全員帰宅しているからと楠先生が声のボリュームを考えずに大声で叫んだ。 「何回も言ってるけど、『おばさん』じゃなくて『お姉さん』と呼びなさいって言ってるでしょ」  こめかみに青筋を立てた笹野さんが威圧感たっぷりの笑顔で、ズイと楠先生に顔を近づけた。  すると楠先生は怒られた犬みたいにシュンとして、おとなしくなる。  いつも自信満々、唯我独尊な先生でも落ち込むことがあるのだなと複雑な胸中でいれば、「大丈夫よ、安心してね、桐生さん」と笹野さんに肩を叩かれる。

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