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第4章 新生活2
「笹野さん、『大丈夫』とは一体どういう意味でしょうか?」
「ほら、大和くんって、『古文の先生? 体育の先生か、警備員の人じゃないの?』って感じでしょ。いかつい見た目をしてるから、すぐにお腹を空かせた猛獣みたいにオメガを見境なく襲うアルファに見える」
「なんだ、それは!? 誤解を招く言い方はよせ!」と楠先生が目くじらを立てる。
仰る通りですとも、そんなふうには見えませんとも言えず、答えに窮する。
「でもね、実際は、その逆。オメガの生徒を守る北条高校のアルファのひとりよ。だから万が一、桐生さんが発情期を起こしてアルファに襲われそうになっても追い払ってくれるし、撃退するから虫よけには持ってこいよ」
「虫よけ……」
また、なんともいえない表現をするなと愛想笑いを浮かべていれば、楠先生が「俺は蚊取り線香じゃない!」と喚く。
「どちらかっていうと熊よけとか不審者対策になるワンちゃんのほうがあてはまるかしら? 柴犬とか?」
「誰が犬だ! いい加減にしてくれよ……!」
もうおれは絶対に余計なことは言わないぞと口を閉ざす。
笹野さんは、楠先生をからかうのがおもしろいといわんばかりの笑みを浮かべ、親指を立てる。
「どちらにせよ、いつも言葉が足りないところはあるけど、あなたに危害を加えたりはしないわ。何より甘いものに目がなくて、おいしい和菓子が好きだから役に立つはずよ」
「しかし楠先生だって――」
おれのような男と出かけるのはいやなはず、と言おうとした。が、「いっけない、子どもから『早く迎えに来て!』ってLIMEが来てる。それじゃあ、またね!」
そうしてスマホと車のキーを手にした笹野さんは、スニーカーを履いた足で車のほうに向かって、走っていった。
ふたりきりになったおれは気まずさを感じながら横目で先生の様子をうかがう。
「まったく、おばさんは、いつも慌ただしいんだから」と愚痴をこぼし、頭を掻 いている。
まさか笹野さんが甥 である楠先生を見かけたからって、こっちへ連れて来るとは思わなかった。どちらにせよ謝るのが先決だろうと頭を下げる。
「すみません、先生。ご迷惑をお掛けします」
「いえ、謝らなければならないのは、むしろこちらのほうです。おばがろくでもないことを言ったり、見苦しい姿をお見せしてしまい、身内として謝ります。大変失礼しました」
やっぱり何を考えているか読めない人だなと不思議に思う。
なんにせよ、前任の茶道部顧問の方がお子さんを無事に出産し、育休を消化するまでは、先生とは図書館と茶道部で顔を合わせる仲になる。
社交辞令でお互い謝罪をしたのだし、後は帰るだけ。
バス停に向かおうとすれば、「何をしているんですか。駐車場はこっちですよ」と彼に言われる。
「先生には言ってなかったですね。おれはペーパードライバーで車の運転は、からきし駄目なんです。だからバスで家からここまで来ています」
すると先生は眉を寄せる。顔には「嘘だろ」と書かれている。
「桐生さん、ここは都会と違ってバスの運賃も結構、高いんですよ。知らないわけないですよね?」
痛いところを突いてくる。
実際、一ヵ月ぶんの回数券を買ったときに万単位の金が出ていった。
図書館の司書をシフト制の週五日でフルタイム。火曜と木曜だけは実働五時間で切り上げさせてもらい、二時間、茶道部の活動に出る。
給料が出るのは一ヵ月後。オメガにとっては、なかなかいい給料ではあるが、生活を切りつめる必要がある額だ。
個人で茶道教室を開くという手もあるにはあるが、いきなり開いて、お客様がたくさんいらっしゃるなんて夢のまた夢。
母の名前を出したり、SNSを利用すれば、もしかしたら来てくれる方もいるかもしれないが、先輩の件がある。時雨や義理の姉たちを除いた家族に栃木へ行っていることを知られたくないし、父から「そんなんだから、おまえは駄目なんだ!」と後になって叱られることは避けたい。
それなら北条高校の茶道部顧問として地域の信頼を得たり、図書館司書として子どもたちに顔や名前、人となりを覚えてもらえるようコツコツ仕事をやって、仕事を変えるほうが商売としても成り立つ。
「もちろん、知ってます。でも事故を起こして罰金になったり、修理費を出すとなれば、ますます金が掛かります。瞬の家でいろいろと世話になっているから、これ以上は、あいつに負担を掛けるわけもいかない。とりあえず給料がもらえれば、なんとかなりますよ」
「ずいぶんと楽観的な思考ですね」
また、こいつは……と腹立たしい気持ちになる。
どうも先生とは反りが合わない。こんな状態で本当に一年――いや、四ヵ月も一緒にやれるのかと不安になる。
「そこは臨機応変と言ってほしいです。では、先生。お疲れ様でした。先生も授業や準備で忙しいでしょう。時間を取らせてしまい相すみません」
「待ってください」
手首を掴まれ、先生のほうを振り向く。なんだろうと思って先生の顔を見上げる。なぜか彼はムッとした顔をして、おれのことを見た。
「なんですか?」
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