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第6章 第一印象=反りが合わない人2
正直なところ笹野さんや鈴木さんと仕事をしてみたい気持ちがある。瞬や志乃さん、花音ちゃんともすぐ会える。
何より物理的に時雨や父さん、母さんとも距離を置けるから、これ以上、番契約についてをああだこうだと言われる心配はなし。
学生時代に取得した司書の資格を使い面接に受かれば正社員として図書館で働けるのも願ったり叶ったりだ。
それでも俺は――「東京のマンションを手放すつもりはないぞ」
「おい、薫……」
瞬が肩を落とし、うんざりした顔をする。
彼の言いたいことはわかってる。
「借りている金が高くて生活も逼 迫 しているが、あそこは彼と過ごした思い出が詰まっているんだ。おれにとっては命と同じくらい大切な……」
「桐生さんって、ずいぶんと頭の固い頑固者なんですね」
淡々とした声で楠先生が告げてくる。
「なんだと?」
敬語も忘れて話しかければ先生が口の端を上げ、人をバカにしたような笑みを浮かべる。
「マンションなんて、ただの無機物です。動物や人間といった有機物と異なるものになけなしの金を掛け、いつまでも手放さないなんて、どうかしています。ものに執着するなんて、まさしく物欲の権 化 だ」
「先生、いくらなんでもそれじゃ薫が誤解しますよ。語弊のある言い方になってます」
せっかく瞬がフォローしてくれたというのに、先生は語気を荒くして「この人に誤解されようと関係ありません」と一蹴する。「番を本当に思っているのなら亡くなった人のために日々の暮らしを充実させるはず。自分を大切にしないで賃貸マンションのほうを大切にするなんて、あまりにもバカげてる!」
まるで自分を害した人間を見るような鋭い目つきで見据えてくる。
ここまでコケにされるのだから、もう何を言ってもいいだろうと思ったおれは目の前の無礼千万な男へ真正面から反論した。
「それは、こっちのセリフです。なぜ今日出会ったばかりのあなたに、そのようなことを言われなくてはいけないのですか? 口出しされる筋合いはありません」
「何?」
ふたりで睨み合いをしていれば文化祭を楽しんでいる父兄や生徒の視線が集まる。
焦った表情を浮かべる瞬がおれたちの間に割って入った。
「楠先生、とりあえず茶道部へ行きましょう! 薫、おまえも腕を怪我したんだ。消毒をさっさと済ませて来い」
いくら北条高校で働いている仕事仲間といはいえ、まさか友だちである瞬が、ここまで楠先生の肩を持つことが信じられず彼の顔を凝視する。
そうこうしていれば楠先生に手をとられ、引きずられ、小走りをさせられる。
「先生、何をなさるんですか!」と聞いてみても返事がない。ズンズンと、こちらのことも速歩きをする。
慌てて後ろを振り返れば、顔をくしゃくしゃに歪ませた瞬が顔の前で手を合わせていた。「そのまま着いてけ」と口パクをした彼に「なんで」と言おうとしたところで、しっしと手を横に振られ、「行け」と声のない状態で言われてしまう。
「……足を怪我したわけではありませんから保健室へなら自分で行けます。ですので、どうぞお構いなく。子どもたちも首を長くして先生のお帰りを待っているでしょうから茶道部のほうへ、お戻りください」
「さっきも言ったように顧問がいるから問題ない」
おれのほうが問題あるんだよ! と内心、ツッコミを入れる。落ち着け、教師といえど向こうのほうが年下なんだからと自分に言い聞かせながら冷静な態度をとるよう努める。
「そうですか。どちらにせよ、このように手首を掴むのはやめていただけないでしょうか? 周囲の視線が刺さって痛いです。おれは、あなたの恋人でも、番でもありませんよ」
「そんなことは重々承知してる。だが、あんたは自分の身体を大事にしないだろ。『こんな怪我、大したことない』って思ってる」
「当たり前じゃないですか。たかだか女性の爪が食い込んで薄皮が向けて少し血が出ただけなんです。いくらなんでも大げさですよ」
ふたりで言い合いをしているうちに保健室へ着いた。扉の前には「ただいま外出中」のプレートが掛けられていた。
先生が扉を開ける。
電気はついているものの人気がない。簡易ベッドの仕切り用カーテンがすべて開いている。
不思議なことに養護教諭の席以外の椅子が、すべて取り払われていた。
扉を閉めた彼にベッドのほうへ連れいかれ、「座れ」と命令される。
「いやです」と断り、そっぽを向いていれば、腕をグイと引っ張られる。
「うわっ!」
何が起きたのだろうとあたふたしている間におれの身体は宙に浮かんでいた。
犬・猫のように小脇に抱えられ、ベッドの十センチ上から落とされる。
怖い顔をした楠先生に間近から顔を覗き込まれる。
まさか……といやな考えが頭をよぎり、おれは身体を強張らせ、身構えた。
鍵は掛かっていないし、発情期は来ていない。
だが保健室の周りには人が少ないし、瞬も途中でトラブルが発生したのか、この場にいない。
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