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第9章 雪あかりに照らされた道2

「もちろん構いませんが、よろしいんですか?」 「生徒たちの本分は勉強、先生のお仕事は生徒に勉強を教え学校生活を安心して過ごせるようにすることです。ですから掃除は、おれにさせてください。前任者の方のように家が遠いわけじゃないですし。よい時間つぶしになりますから」  前任者は、すでにお茶の先生として自分の茶室を持っている人で、ここら一帯では有名な人だ。北条高校まで車で一時間掛かるし、自分の茶室を清掃したり、市長や地方議員の相手や催しの準備で忙しかったため、先生が茶室を掃除していた。  ただ、おれの場合はシフト制で司書をやっていて残業は、ほぼゼロ。図書館から茶室まで徒歩三分で行ける。家もバスに揺られて二十分、停留所から徒歩五分のところにある。  茶道部の顧問をしていることは、ほかの先生方にも初日に挨拶をしたし、図書館で顔を知られているから職員室に茶室の鍵を借りられるはずだ。  そうすれば少しは親切にしてもらった先生への恩を返せる。何より彼の負担を、ほんのわずかだが減らせるだろう。 「お気遣い痛み入ります。助かります」 「いいえ、おれのほうこそ先生には助けてもらっていますから」  その後、今日の茶道部の話をして職員室まで先生に同行した。  館長がいないので代わりに校長先生に断りを入れて、茶道部と図書館の鍵をもらっていく。 「それじゃあ、また後で」 「はい、部活のときに会いましょう」  誰もいない静かな茶室に入る。はたきで上のホコリを落とし、ほうきでゴミを掃き出したら、しぼった雑巾で畳を拭いた。  本当は炭を使って炉開きをしたいところだが、子どもたちがやけどになったらいけない。前任者の置いていった電気炉と延長コードを出しておく。  職員室に鍵を返しに行くと先生が電話対応をしている最中だった。  鍵をもとに戻し、目が合った。拳を作り、「がんばろう」と口パクをして外へ出る。  図書館に入り、表に閉館中のボードをかけておいたまま、事務所へ入る。エプロンをつけた状態で朝の読書の続きをした。  九時十分前になると笹野さんがやってくる。 「あら、桐生さん。早いわね。おはよう」 「はい、おはようございます」  本を閉じ、ロッカーの鍵を開け、カバンの中にしまって扉を閉める。 「急に寒くなっちゃって、やんなるわよねえ」とため息をつきながらベージュカラーのマフラーを外し、オフホワイトのピーコートを脱いだ。立ち上がり、ロッカーのハンガーを手にした笹野さんに会釈する。 「そうですね。一気に寒くなってビックリしました」 「こっちは東京と違って雪が凍ったりすることもあるし、車のタイヤもスタッドレスに変えなきゃいけないくらいなのよ。冬場はスキーもできるわ」 「スキーですか」  北海道や長野県のイメージがあったので、栃木県でもできることに驚いた。 「ええ、そうよ。やったことある?」と笹野さんがエプロンをつける。 「いえ、ないです」  夕飯を食べに朝霧家へ向かったら、瞬が「冬は家の周りの雪かきが大変だぞ。覚悟しておけ」と言っていた。  酒も入っていたし、大げさなことを言っているのだと思い、笑い飛ばした。が、笹野さんの話を聞いて一気に現実味が増す。後でホームセンターへ行って絶対に雪かきを買おうと決意する。  タイムカードを押して小声で話を続けながら受付のPCをつけ、今日の日付と貸出期限の日付のカードを変える。 「笹野さんはスキーをやったことがあるんですか?」 「少しね。学生のときに習ったの。あまり上手じゃないから、やらないけど……楠先生は得意だから習ってみたら? おしゃべりは苦手でも人に教えるのは上手だから」  急に先生の名前が出て面食らってしまう。  まずいことを口にしたというふうに口元に手をやって、彼女は眉を八の字にした。 「もしかして、あの後、うまくいかなかった? 先生とケンカしたの?」 「いえ、そんなことはありません。ちゃんと茶道部で必要な和菓子を手配してもらいましたし、和菓子のお店も紹介してもらいました。今朝も車で送ってもらったんです」  虚を突かれたような様子で笹野さんが一瞬、言葉を失った。  しかし、すぐにほっとしたような笑みを浮かべた。 「そう、ならよかった」と目の際にしわを作り、胸を撫で下ろしたのだ。「子どもたちを送迎しているときも心配だったのよ。ふたりが話す機会を作ったつもりだったけど、余計なことをしたんじゃないかって。あなたたちが挨拶すらしない状態になったら、朝霧さんもいい顔をしないだろうし。だから本当によかったわ」 「おれのほうこそ助かりました。あのとき笹野さんが、きっかけをくれなかったら今も、楠先生を誤解していたまま、まとも話をすることもなかったと思います。ありがとうございました」 「いいのよ。それじゃあ、これからはギクシャクしないでやれていけそうね」 「はい」  満足そうに微笑んだ笹野さんはキーボードの上掛けを丁寧に畳み、棚へ入れた。  その後すぐに館長がやってきて朝の軽いミーティングをして、仕事へ入った。  四時には夕方に茶道部で炉開きの話をしながら部員たちと一緒に入れたお茶を点て、亥の子餅を食べた。

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