42 / 102
第9章 雪あかりに照らされた道4
「まさか……先生は、おれを特別に扱っていませんよ。あくまでビジネスライクな関係です」
茶道部の顧問と監督だから話をしているだけ。図書館の司書として正社員で雇ってもらっているが最低賃金だし、入りたてで昇給やボーナスも見込めず質素倹約をしている。バスの代金すら余裕を持って出せないおれを哀れだと思った先生が、たまに自分の出退勤に合わせて車に乗せてくれているのだ。
文化祭のときに保健室に行ったのは腕の怪我を治すためだ。先生は治療を終えたらすぐにあの場を離れたし、何があったのかはおれが一番よくわかっている。瞬だって証人になれる。
それなのに、こうも短期間で噂になり、広まってしまうのかと複雑な気分になり、胸がいやにざわついた。
番を失ったオメガで北条高校の図書館職員は構成されていることは周知のこと。図書館を作り直すにあたって指揮をとった瞬を筆頭とした事務員に教師、校長、理事といった学校の者だけでなく、生徒や生徒の保護者も事情を知っている。
子どもたちに悪意はないのは一目瞭然だ。自分だけでなく人の恋愛も無性に気になってしまう時期で、たまたまおれと先生が話題に上がっただけのこと。それを真に受けてどうする? 受け流せばいいと頭では理解している。
それでも亡くなった先輩を今でも思っている、おれの心に小さな傷を作った。
同時に、これから誰かと恋をするであろう……いや、すでに誰かに片思いをしているかもしれない楠先生に、いやな思いをさせているのではないかと身体の芯が冷えていく。頬の筋肉が、かすかに痙攣し始める。
「その……ぼくは、桐生さんと楠先生なら、きっとお似合いだ……おふたりと一緒にWデートでもできたら彼と、もっと話せるかなって思って……」
鈴木さんは名前も、顔も、居場所すら知らない魂の番であるアルファが亡くなったせいで死にかけた。
恋愛に縁がなかった彼は最近、親戚が持ってきた見合い話が成功し、アルファと婚約したばかりだ。男同士でのデートについてや手をつないだり、キスをするタイミングなどについてを休憩時間に相談されていた。
魂の番であるアルファと恋をして番になった人間とは違う。
だから彼には、この気持ちがわからないだけの話だ。
「すんません! 勘違いしました!」
慌てて鈴木さんが謝罪の言葉を口にした。
鼻から息を吐き、心を落ち着けた状態で笑みを顔に貼りつける。
「いえ……いいんです。誤解なんですから」
「休憩から戻りました。――って鈴木くん、桐生さんも、どうしたの?」
お昼休憩を終えた笹野さんが戻ってくる。
三人の男児を育てている母親だけあって鋭い。すぐに彼女は、おれたちのギクシャクした空気を察知し、訝 しんだ。
バツの悪そうな顔をして口を閉ざしている鈴木さんの代わりに返事をして、立ち上がる。
「なんでもありません。問題集に生徒の落書きが、またあったいう話をしていたんです。後、下書きらしきラブレターが入っていて、そこから恋の話をしていました。これです」
シュレッダーにかける紙を入れる箱の中から紙を取り出し、笹野さんに手渡す。
彼女は、さっと目を通してからもとの場所へ紙を戻した。
「今どき珍しいわね」
「そうですね。あえてペンを手に取って手紙に綴る形で伝えたいことがあったんだと思います」
「どちらにせよ、不要な私語は厳禁よ。利用者さんの迷惑になります」と厳しい目つきをする。「いつもはそんなことをしないのに、どうしたの桐生さん?」
「明日から冬休みなので少し浮かれているのかもしれません。最後まで気を引き締めます。鈴木さん、申し訳ありませんでした」
口を開こうとしている彼に目でアイコンタクトをとる。
鈴木さんは、なんともいえない顔をして口をつぐんだ。
笹野さんは、おれと鈴木さんのほうをじっと目を凝らして見ている。
「わかったわ……今後は、ふたりとも気をつけてね」
上ずった声で「は、はい」と鈴木さんが返事をする。
おれも「肝に銘じます」と口元に弧を描いた。「そろそろ五時になるので、お先に上がらせていただきますね」
席を立ち、事務所のほうへ向かう。
「年末最後の茶道部の活動ね。桐生さん、今年はありがとう。また一月にね」
「はい、ありがとうございました。来年もご指導よろしくお願いいたします。鈴木さんも、またよろしくお願いします」
「もっ、もちろんです! あけおめLIME送ります!」
「それから桐生さん、悪いんだけど大和くんにも、よろしくって伝えておいて」
親戚だし、あんなに仲がいいのに年末年始は顔を合わせないのか? と不思議に思いながら、それぞれ家庭の事情があるのだろうと飲み込んだ。
「承知しました。それでは、お疲れ様でした」
タイムカードを押したらエプロンを脱ぎ、冬物のロングコートを羽織る。紺の手袋と赤いマフラーをつけ、カバンを肩にかけて裏口から出た。
外に出るとやけにひんやりとしていて、空が白い。小さな花びらのような粉雪が舞っていた。
頭を冷やすのには、ちょうどいい。時間もまだ余裕があるからと、あえてゆっくり歩いて茶室へ向かう。
ともだちにシェアしよう!

