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第9章 雪あかりに照らされた道5
先生と過ごしていて少しだけわかったことがある。
彼には好きな人がいる。多分オメガだ。それも彼にとって唯一無二の相手のはず。
恋人ではない。そんな関係になっていたら、いくら朴念仁の先生でも、おれを車に乗せて頻繁に送り迎えすることはしないだろう。
「……悪いことをしてしまったな」
すでに心に決めた人がいるのに、べつの人間とつきあっていると周りから思われ、噂されるのは、あまりいい気分がしない。
弟の時雨とも話すことがなくなり、かわいい後輩が初めてできたような気になって距離を見誤ってしまった。
会ったら事情を話して謝ろう。今後は自分のためにも、彼のためにも必要以上に関わらないようにすべきだ。
「見つけた」
グイと腕を引かれたかと思うと身体と頭が壁にぶつかる。痛みと衝撃により目の前に星が飛んだ。何が起きたのか動揺していれば、文化祭のときに男子生徒をいじめていた女子ふたり組が目の前にいた。
指定制服である紺のコートではなく、それぞれピンクと水色の生地にファーがついた花柄のボタンがついたものを着用している。校則でスカートは膝上十五センチ以下、冬場はタイツかハイソックスを履くようになっているが、太ももをあらわにしたミニスカートにルーズソックスを着用している。
「てめえのせいで楠先生に嫌われて、親にもめちゃくちゃ怒られたし、彼氏にフラれたんだけど、どうしてくれんだよ!?」
「全部、おまえの責任だからな! オメガの分際でアルファの前を堂々と歩いてんじゃねえ!」
性懲りもなく因縁をつけに来たのだ。上級アルファでありながらやることは、ベータの輩や素行の悪いものと変わらないなんだなと思わず失笑する。
「何、笑ってんだよ?」
前回のように腕に爪を立てられるだけでなく、思いきり力を込めて掴まれた。痛みに顔を歪めそうになりながらも、余裕のある態度を崩さないようにする。
「べつにおまえたちの前を歩いていたわけではないし、あれは自業自得だろう。オメガの生徒を尊重する学校でいじめをやっていたんだから、因果応報だ。平然と嘘をつき、ひとりの人間の人生を壊そうとした。停学処分になり、人から怒られ、嫌われるのも当然の報いだ」
すると彼女たちは、あからさまに激昂し、つけまつげにマスカラを塗りたくった目をつり上げた。
「アルファは何やっても許されるんだよ。豚や犬にも劣るオメガを何人殺そうと、何人犯そうと構わねえんだ」
「てめえらみたいな男にも、女にも構わず腰を振るビチクソが、いっちょ前に口きいてんじゃねえ!」
「……ふざけているのは、そっちだろ?」
あまりの物言いに頭が痛くなる。
彼女たちが吐く、耳が腐り落ちそうなくらいの汚い言葉にヘドが出そうだ。
「そんなにアルファが偉いというのなら、アルファだけの高校へ行けばよかっただろう。この高校にいつまでもいる必要はない。さっさと退学願を出し、立ち去ることをオススメする」
「てめえ……!」
「なんだ、この間のように暴力で訴えるのか? やりたければ、やればいい。ただし、そのときは今、おれに吐いた言葉を楠先生を始めとしたアルファの教師の前でも、ちゃんと言うことだな」
そのまま彼女たちを押しのけ、ズキズキと痛む頭を押え、部室へ向かおうとする。――が、足を引っ掛けられ、こけそうになったところを拘束されてしまう。
「うっ……!」
口の中に丸められたハンカチを入れられ、コートを上に持ち上げられる。目の前の少女の手にはエピペンや抑制剤の注射に似たものが握られていた。
カチッと小さく音がして針が出る。そのままスラックスの上から太ももに注射を打たれた。
痛みに顔を歪ませていると背中を押されて地面に転がってしまう。
彼女たちは、おれのカバンを奪い取り、すぐに中身を漁った。口の中にあったハンカチを取り出し立ち上がろうとしたら心臓がドクンと大きな音を立て、全身から力が抜ける。
「なんで……」
まさか、と思っているうちに身体が熱を持ち、震え始めた。
「くっさ……もう始まったわけ?」と目の前の少女が蔑んだ目で見下してくる。
「あった、これだ!」
もうひとりの少女は、ポーチの中に入っている常備薬である抑制剤と緊急避妊薬を手にしていた。
「薬……」
もうひとりの少女がマスクをつけ、前回おれの腕に爪を立てた少女にマスクを手渡す。
「早くずらかろうよ。こんな中年の男とヤりたくないし」
「だよね。おい、おっさん!」とマスクをした少女が、こちらに目線をやる。「楠先生はね、あんたみたいな野郎のことは、なんとも思ってねえんだよ。あの人には好きな人がいるんだから」
「……その相手が魂の番であるオメガとは……考えたことがないのか?」
顔を真っ赤にした彼女が、おれ目掛けて拳を振るおうとした。
「ちょ、それはさすがにまずいよ! もう、こんなやつほっとこうよ!? 誰か、ほかのやつがあたしらの代わりにやってくれる。そうすれば、こいつも恥ずかしくて学校に来れなくなるよ」
「それもそうだね」と機嫌よく口角を上げる。「ネイルに傷がついちゃうし、手が痛くなるもん。――せいぜい先生に幻滅されて嫌われろ」
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