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第10章 思わぬ客1

 先生に送り届けてもらったおれは三日三晩、高熱にうなされて寝込んだ。熱が引いた後も全身筋肉痛。  誘発剤の注射を打たれたせいか、はたまた知恵熱のせいなのかは、病院へ行ってないので定かでない。どちらにせよ二十年以上生きてきた中で過去最低の年末年始を迎えたのである。  瞬や志乃さんが見舞いに来ようとしてくれたけど、万が一発情して彼らの家庭に亀裂を入れるような真似はしたくないと丁重に断った。  その代わりに笹野さんや鈴木さんがやってきてくれて、パンの詰め合わせやおかゆのセット、お吸い物なんかをいただいた。  兄さんたちからも、お歳暮として届いたみかんや缶詰めの魚介類、ポタージュスープがあったので食べるのには困らずに済んだ。  家族や友だち、仕事仲間からのLIMEで新年の挨拶をもらい、返信した。  時雨は、あいかわらずおれの名前が出ると父さんの機嫌が悪くなることを愚痴ってきて、母さんは「誰かいい人はいないの? どこへ引っ越したの?」としつこいくらいに訊いてきた(ちなみに栃木へ引っ越したことは両親には伏せるよう時雨に口を酸っぱくして伝えた。じゃないと母さんが教え子に連絡を取り、年頃の子どもと見合い話を言い出すに決まっている。先生を好きになったことを話しても「なんで、あなたはそう男の人の趣味が悪いの。もっと将来性のあるアルファの方にしないのは、どうして?」と泣かれるだけだ)。  そんな中、ひとりだけ連絡をよこさない人がいた。 「なんで連絡をくれないんだ……」  新年に送った「あけましておめでとう」のスタンプをじっと見つめる。LIMEを既読スルーされている状態に、ため息をつきながらスマホを手放し、こたつに潜り込む。  やはり思い人について、あれこれ自論を伝えたのがよくなかったのだろうか? 最初出会ったときも「でしゃばり」と言われたのに、また余計なことを言ってしまったとブルーな気持ちになる。  ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。 「はいはい」とはんてんを羽織り、玄関の戸を開けた。  そこにはキャリーケースを持った朝霧夫妻と、うさぎの耳がついたピンクのファーコートに茶色い革のリュックを背負った花音ちゃんがいた。 「あけましておめでとう、薫」 「今年もよろしくね、薫くん」 「薫ちゃん、あけましておめでとうございまーす!」 「あ、あけましておめでとう。瞬、志乃さん、花音ちゃんも」  なんだ先生じゃないのかとテンションが下がった状態で一家に頭を下げ、靴箱の上に用意してあったお年玉袋を花音ちゃんに手渡す。 「はい、お年玉だ。気持ち程度しか入ってないが、これでお洋服やクレヨン、本を買うんだぞ」 「ありがとう、薫ちゃん! ママ、貯金通帳に入れておいて」 「薫くん、そんなお年玉をもらいに来たわけじゃないのに……」と志乃さんがオロオロし始める。 「いいんです」と返事をした。「ふたりに世話になった恩返しを何かの形で返したいし、花音ちゃんが笑顔でいると、おれも元気をもらえるから」 「そう? じゃあ、ありがたくもらうわね。後、これ、うちのお弁当屋さんで作ったお正月限定のおせちセットよ。日持ちするから少しずつ食べて」と唐草模様の包みをいただいた。 「ありがとうございます。助かります」 「うちの奥さんの手作り料理は天下一品だからな!」  鼻高々な様子の瞬が腕組みをして奥さん自慢をして志乃さんが「もう瞬くんったら!」と頬を赤らめる。  新年そうそう仲のいい夫婦だなと、ほっこりすると同時に、人の家でのろけるんじゃないと刺々しい気持ちが表に出てきそうになる。 「玄関で話すのもなんだから中に入ってくれ、お汁粉と抹茶、みかんくらいなら振る舞えるぞ」 「お汁粉にお抹茶!? お邪魔しまーす!」  目をキラキラ輝かせた花音ちゃんがいそいそとくつを脱いだ。小さなおもちゃみたいなくつを揃え、とととと軽い足取りで家の中に入っていった。 「ごめんなさい、薫くん。わたしたち、ちょっと用事があって……」  気まずそうに志乃さんが目を泳がせ、顔を真っ赤にして身体をモジモジさせて恥ずかしがっている。  頭にクエスチョンマークを浮かべ、どうしたのだろうと思い瞬のほうを見る。やつは鼻の下をのばし、志乃さんの手をギュッと握った。 「いやな、群馬のほうへ温泉旅行に行くんだよ」 「ああ、冬のボーナスが思いのほか多く入ったんだろ? お土産、楽しみにしているぞ」  すると瞬は、お笑い芸人がボケの話しを聞いたときのように、よろめいた。  忘年会の酒の飲み過ぎで二日酔いにでもなっているのか、情けないと心の中で悪態をつき、親友を見下ろす。 「きみは先に車へ乗っていてくれ」と瞬が志乃さんに声を掛ける。 「薫くん、ごめんなさいね。花音のことをどうかよろしくお願いします」  切実な様子で頭を下げ、そそくさと退散する志乃さんの姿にピンと察しがついた。  一刻も早くこの場を離れ、愛する妻とふたりきりになり、思う存分いちゃつきたいとソワソワしている瞬のことをジトッとした目つきで睨んだ。

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