53 / 102

第10章 思わぬ客3

 私服姿もかっこいいんだなと関係ないことを思って、ぼうっとしていれば、「まだ具合は、よくありませんか?」と彼が目線を下にやって表情を曇らせる。 「いや、もう元気だ。ピンピンしてる。おれからしたら、むしろ先生のほうが元気がないように見えます。休暇中なのに、お仕事を夜遅くまでされていたんですか?」  うっすらとメガネの向こう側に見える目の下のクマを見つめる。  ようやく目線を合わせた彼は、なぜか緊張したような面持ちをしていた。  「ずっと悩んでいたんです。俺は、どうして桐生さんに若菜さんの話をしたのか、桐生さんとこれからどうしたいのかを……」  先生は玄関の扉を後ろ手で閉め、ひとつ息をついた。 「形は違えど、あなたも俺と同じ魂の番を亡くした人です。おばさんや鈴木さん、館長と違って顔も、名前も、住んでいるところも知らない見知らぬ魂の番であるアルファを失ったわけじゃない。魂の番であるアルファと出会い、恋をして、愛し合った上で番になった。そんなあなたが羨ましかった。俺のことを嫌っていたのに、理解しようと歩み寄ってくれたのが、うれしくて、ついこの苦しみを分かち合えるんじゃないかって期待しました。桐生さんとお茶の話や和菓子の話、猫のこと、古文のことを話していて、すごく満たされたから」 「そう言っていただけて光栄です」 「あなたとこれからも話をしたいです。仕事仲間や人生の先輩として桐生さんを尊敬しています」  胸の奥がヒリヒリする。まるで、やけどをしたみたいに痛い。  だけど先生に、こんなもったいない言葉を掛けてもらい、会えたのだ。気まずい関係になって言葉も交わせなくなったわけじゃない、無視されていたわけでもなかった。  「そんなふうに言われると、なんだか気恥ずかしいな。たった三つしか違わないんだ。おれは、そんなに年を食っていないぞ」 「えっと、すみません。そういう意味で言ったわけじゃないんです!」  うろたえながら弁解しようとする姿に自然と笑みがこぼれた。 「わかってます。連絡がなかったので、ちょっと意地悪をしました。嫌われたのかと思って落ち込んでいたので」 「ですよね。一言、返事を書いたり、スタンプを押せばよかったのに……」 「そうですよ。そうしてくれたら、こんなに悩まずに済みました。でも、もういいです。先生と今日、会えたから。ここじゃ寒いですから上がってください」  はにかんだ笑みを浮かべてから先生は、「失礼します」と断り、くつを脱いだ。  スリッパを履いてもらい、客間へ案内しているとタタタと小さな足音がキッチンからする。 「もう薫ちゃんったら、キッチンを離れるときは火を消さなくちゃ駄目じゃない……! って大和おじちゃん!?」  駆け寄ってきた花音ちゃんは、楠先生の姿を目にすると、警戒した猫のように物陰に隠れてしまった。 「桐生さんは病み上がりも同然だ。おまえのようなお転婆娘をひとりで相手して具合が悪くなったら大変だってパパが言ってたぞ」 「えーっ! せっかく薫ちゃんとふたりきりの甘い時間を楽しめると思ったのにー!」と彼女は地団駄を踏んだ。  あきれ顔をして腰に手をあてた先生は、頬をふくらませている花音ちゃんに目線を合わせる。 「何、言ってるんだ? おまえが生まれるずっと前に桐生さんは魂の番であるアルファと出会っていたんだ。おまけに恋人になって、番にまでなったんだぞ? ベータの小娘である、おまえはお呼びじゃない」 「なんでよ! だって薫ちゃんの番さんは、ここにいないじゃない。わたしが薫ちゃんのお嫁さんになったっていいでしょ!?」 「魂の番は、魂の片割れ、唯一無二の存在だ。自分の魂と言っても過言じゃない。フィクションの世界に出てくる赤い糸で結ばれた相手なんだ。相手が亡くなったとしても、すぐに忘れられるはずがないんだ」  その言葉に後ろめたさを感じながら、先輩の仏壇のほうへと目を向ける。永遠に年を取らず、まばたきも、呼吸もしない。いつも同じ笑顔でいる先輩の写真を眺めた。 「何よ! わけのわからないことばかり言って」 「第一どんなに容姿が整って若く見えても自分の父親と同い年の相手だぞ。年の差を考えろ。『パパのお嫁さんになるー』ってゴマでもすっとけ」 「むっきー! おじちゃんのバカ、オタンコナス!」 「誰がオタンコナスだ!? バカって言うほうがバカなんだよ。それにおれのほうが桐生さんより年下なのに、なんで『おじさん』なんだよ!」 「パパや薫ちゃんと並んでも同い年に見えるし、おじちゃんは薫ちゃんみたいにかっこいいお兄さんって感じじゃなくて、オッサンくさいところがあるもん!」 「何ー!?」  高校生を相手にするときよりも大人げない彼の姿に苦笑してしまう。  ふと若菜さんが生んだ腹違いの弟さんにも、こんなふうに接しているのかなと想像して、いたたまれない気持ちになった。  もしも、若菜さんと番っていたら、弟さんは先生の息子として生まれてきていたのかもしれない。  そんな未来が存在していたら、おれはここにはいなかった。先生と話をしたり、車で送迎してもらったり、今日この家に上がってもらうことも、おそらくなかったのだ。

ともだちにシェアしよう!