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第11章 生き物1
花音ちゃんはリュックからお出かけ用のポシェットを出し、財布などを詰め込んだ。
先生の車に乗せてもらい、志乃さんお手製弁当とお茶の入った水筒やコップにお箸、大判レジャーシートなどを持って動物園へと向かった。
花音ちゃんは、うれしそうに笑顔で後部座席に乗っており、おれも動物園へ最後に行ったのは小学生以来で胸が踊った。
車に揺られながら、しりとりをしたり、花音ちゃんの幼稚園での話を聞いているうちに目的地へ着く。
駐車場に車を駐車すると花音ちゃんは車をすぐに出て、助手席のドアを開けた。
シートベルトを外すとすぐに「薫ちゃん、早く、早く!」
大はしゃぎしている彼女に手を引かれる。
「花音、車がいるところは危ないから走るな。周りをよく見ろ!」
「わかってるよ、おじちゃん! パパみたいなこと、言わないで。ほら早く、荷物持ってー!」
荷物をすべて先生に持たせてしまう形になり、後ろを振り返る。
「先生ー、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですから前を見てください。花音、桐生さんを引っ張るな!」
「薫ちゃんの手、おっきくて、あったかいね」
目を細めて見上げる彼女に「そうか?」と返事をする。「でも、それじゃあ手をつないでないほうが冷たいんじゃないか? あかぎれになったら大変だ」
「ううん、大丈夫。ハンドクリームも持ってるから。それにしても大和おじちゃんったら、ほんっとに遅いね。うちのパパと大違い! あれじゃあ、運動会に出ても場所取りができないし、親子リレーもビリケツよ」
ツンとすました顔をして花音ちゃんは楠先生のほうを向いた。両手に荷物を持っている彼のことをジト目で見つめる。
「あのなあ、高校時代に朝霧さんは陸上部の短距離で、県大会を優勝したんだ。俺はリフティング部出身。勝てるわけがないだろ!?」
「だとしても、うちのじいじよりもずーっと動きが遅いわ。まるで亀さんみたい! だから、おじちゃんには恋人がいないのね」
「おまえ、勝手なことをズケズケと言うな!」
ふんと鼻を鳴らし、ずんずん歩く彼女の隣を歩きながら、いつもよりも辛辣な言葉を口にして、どうしたのだろうと困惑する。
どちらにせよ間違っていることは、しっかり正しておかなくてはいけない。
「そういう大人をバカにした言い方は駄目だよ、花音ちゃん」
「だって薫ちゃん……」
「おれは暇人だが、先生はお休みの日も、おうちで学校のお仕事をやっている。それなのにパパやママ、花音ちゃんのために来てくれた。動物園に来れたのも大和おじちゃんのおかげだろう? 『ありがとう』とお礼を言うどころか、車の運転をがんばってくれた人をバカにするのは、やっちゃいけない」
「ごめんなさい、怒らないで」
「怒ってるんじゃなくて叱ってるんだ」
「薫ちゃん、こんなわたしのこと、嫌いになった?」
「嫌ったりしないよ。でも、おれじゃなく、おじちゃんのほうに謝ろうな」
しゅんとしおれた花みたいになった花音ちゃんを連れて先生のほうへ向かう。
唇を尖らせながら、先生に「ごめんね」と、蚊の鳴くような声でつぶやいたのだ。
「もういい、わかっているから」
ヤケクソ気味に先生は答え、花音ちゃんも首を縦に振った。
ふたりのやりとりが理解できず不思議に思ったが、まあいいかと受け流す。
「先生、荷物をおれにもください」
「結構ですよ。先ほど言ったようにリフティング部出身ですから」
「ダンベルを持ち上げたりする部活動ですよね。先生、筋肉ムキムキですし。でも、おれも男です。これでは『アルファに全部荷物を持たせている傲慢でわがままなオメガ』と周りから思われてもしょうがない状況です」
「……では、お願いします」
レジャーシートの入った袋とコップやお箸を入れた弁当袋を受け取る。
「じゃあ薫ちゃん、おじちゃん、行こう!」
意気揚々と歩く彼女の姿を微笑ましく思いながら「あのね、花音ちゃん」と話しかける。
「なあに?」
「おじちゃんには恋人がいないかもしれないけど、好きな人はいるんだよ」
内緒話をするみたいに小声でしゃべる。
「ええっ、だあれ?」
花音ちゃんも声をひそめ、ふたりで楠先生に聞かれないようにしながら階段を上っていった。
「魂の番だったオメガ」
「じゃあ、なんで、おじちゃんは、その人とおつきあいしてないの? 好きなら告白して恋人になるんでしょ。フラれたの?」
「『好き』って伝える前に遠くへ行っちゃったんだよ。『会いたい』って思っても会えないくらい遠くへ行って、もう二度と帰ってこないんだ。それでも、おじちゃんは今でも、その人のことが一番大好きだから恋人がいないんだよ」
「……なんだか悲しいね。まるで薫ちゃんの彼氏さんが、お空へ行ったときみたい」
ただ笑みを浮かべて返事をした。
彼女は、きょとんとしながら、こちらを見ていた。
「ほら、入場料を払ってチケットをもらおう」
「うん!」
館内に入り、動物たちの姿を観察する。冬の寒さに負けずに動いているものもいれば、おれたち人間と同じように風が吹くたびに身を強張らせ、じっと耐えているものもいた。カピバラに至っては、あたたかい湯に浸かって気持ちよさそうにリラックスした顔で、のんびりしている。こちらまで熱い温泉に浸かりたい気分になった。
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