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第11章 生き物4

「父親の友だちで、オメガであるおれを信頼してくれているんですよ。ほら、幼い子どものときには父親や母親、身近な大人が完璧超人のスーパーマンに見えたりするでしょう?」 「花音は、そんなことは思っていません。あなたが、どういう人間か知った上で好きなんです。父親と同じ年の男である桐生薫という男に恋してしまった。冗談抜きで桐生さんの『お嫁さんになりたい』と願ってる。その気持ちが迷惑になるとも考えず、ストレートに表現しています。バース性のことは、いまいちピンときていないみたいだけど、花音は女なんですよ」  どうして、そんなことを言うのだろう。  まるで、先生にこの気持ちを見透かされているみたいだ。すごく居心地が悪い。 「なぜ魂の番であるアルファを忘れたのだ」と責められている気分になる。  彼のことだから、おれの気持ちに気づけば遠回しなことは言わないはず。率直に「おれは若菜さんのことを今でも好きです。ですから桐生さんの気持ちには応えられません」と宣言するだろう。  だから、これはおれ自身がおれに対して思っていること。 「五年しか経っていないのに、もう次のアルファに目をつけたのか? 魂の番だったのに、おまえの先輩に対する気持ちは、その程度の些細なものだったのか?」と己を責めている。 「おれだって男です。でも……オメガの男だし、異性を恋愛対象として好きになることは一度もありません。ましてや瞬と志乃さんの娘である花音ちゃんを、そういう目では見れませんよ。だからって、あの子に向かって『きみのことは好きになれない』なんて言うつもりはないし、『迷惑だ』と思ったことは一度もない」  信号が黄色になる。車のブレーキをじょじょに掛け、ゆっくりと白線の手前で止まった。 「残酷なことをしているのかもしれない。だから、もう少し大きくなって、そのときにもおれのことを好きでいてくれて思いを告げてくれたら、ちゃんと正直な気持ちを告げます。瞬に『オレの娘を傷つけたのか!』と責められるかもしれません。だけど、おれの胸の中には花音ちゃんの以外の人がいると、ちゃんと伝えます」 「そうですか」  他人ごとのように先生が返事をした。  それっきり何も話さない状態に逆戻り。以前、はな屋へ行ったときのように、彼はCDを入れ、ピアノの音楽をかけた。  楠先生は、魂の番であるアルファとオメガは、狼の番のように生涯の伴侶にあたると言った。事実バース性は狼の番制度に似ていると学者や博士たちからも言われ、社会の頂点に立つ優秀な者をアルファ、その伴侶となる存在をオメガ、それ以外をベータと呼ぶことにしたのだ。  だけど若い狼は、なんらかの理由で番を失うと新たな自分の番となる存在を見つけ、子孫を残す。  生物は、いつだって増えること、進化することを望むから。  おれが先生を好きになったのも「動物敵本能」だ。  若く、優秀で、容姿も優れた健康的なアルファ。仕事仲間としての相性も悪くはないし、彼に触れられても嫌悪感はなく、においも好ましいと思っている。  男でも子どもを生めるオメガだが、その期限はベータやオメガの女性よりも短い。子どもがいないから遺伝子を、子孫を残そうとしている。  だけど、ある一定の人間は動物の本能に逆らい、子孫を残さない選択をし、魂の番を死ぬまで思い続ける。  ほかの生物から――いや、同じ人間からも「間違っている」と指摘されかねない。  しかし血が絶え、身の破滅しかない道をあえて選択するのも、人間である。  この地球上の生き物の中で一番ものごとを深く考え、思い悩むことを選択した動物だからだ。

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