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第13章 恋の媚薬2
なんだろうと思って手の中のチョコレートを眺める。
「バレンタインですね、ありがとうございます!」と鈴木さんが明るい笑みを浮かべる。
「そう。明日休みを入れているから一日早いんだけどね。図書館の皆さんに配ったの。大したものじゃないけど、ふたりにも義理チョコ」
「ありがとうございます。もうそんな時期なんですね」
忙しさのあまり忘れていた。
連日、花音ちゃんが「チョコのケーキを作る練習をしてるよ、薫ちゃん」とLIMEで連絡が来ていたのは、こういうことだったのかと腑に落ちる。
「すみません、やっちゃいました。チョコは彼に作るぶんだけだったのでホワイトデーにお返しします……」
鈴木さんが、あからさまに、しまったという顔をした。
「おれもです。チョコを用意していません」
ふたりと外に出て、笹野さんが鍵を掛ける。
「ホワイトデーのお返しを楽しみにしてるわね」
茶目っ気たっぷりに笹野さんが微笑んだ。
「ところで桐生さんは、どうするの? チョコレート、大和くんへ渡すぶんは準備できてる?」
「そうですよ、桐生さん! 前日になると既製品のチョコも数が少ないし、板チョコなんかも手に入りにくくなってしまいますよ。先生ぶんは、準備できていますか?」
話を振られ、心臓がドキッとする。
「いえ、今、気づきました」
「あら、やだ。今すぐ、アウトレットか、お菓子屋さんを回ったほうがいいわよ!」
「そうですよ。いつもお世話になっているんですから甘い物大好きな楠先生に、チョコ菓子をお渡ししたほうがいいと思いますよ」
「ですが、お渡ししても、ご迷惑になるだけではありませんか? 以前、おれと先生がつきあっているという噂が流れたこともあります。また再燃するのでは」
先生の思い人はおれじゃない。若菜さんだ。
笹野さんは彼のことを知っているし、鈴木さんも楠先生に思い人がいると人づてに聞いている。
だとしても全員が先生の事情を知っているわけじゃない。
中には噂が本当だと信じている人間もいる。
今のおれにとっては、おいしい話だが、先生は今も魂の番であるオメガを思っているのだ。彼を思っているからこそ嘘を真実にするわけにはいかない。
疑念を口にすれば笹野さんが「大丈夫よ」と肩を叩いてくる。「大和くん、全部口に出したり、態度に出る子だもの。いやなことはいやって言うし、迷惑なら迷惑って言うわ。でも、あの子、桐生さんと一緒にいるわ。噂なんか気にしてないってことよ」
「そうでしょうか……?」
「そうですよ」
首を何度も縦に振って鈴木さんが肯定してくれる。
「先生は同じ教師の方や事務の方、女子生徒からもモテます。ですが、ほかの方とは一線引いていました。送迎をしたり、食事を一緒にとったり、出かけることがあるのは桐生さんだけです。大丈夫ですよ、自信を持ってください」
「さあ、早く行って。バスに乗り遅れたら大変よ。チョコが買えなくなっちゃうわ」
「はい! お先に失礼します。お疲れ様です」
ふたりと別れ、バス停のほうへ向かう。腕時計を見れば、後一分でバスが来る時間だ。
「桐生さん!」
「笹野さん」
駐車場へ向かったと思った笹野さんが走ってくる。
「どうしたんですか?」
左右に目線をやってから彼女が耳打ちをしてきた。
「ひとつけ気をつけて。あの子、手作りのものは苦手よ」
「えっ!?」と思わず叫んでしまった。「でも楠先生、瞬――朝霧の奥さんが作った料理は食べますよ。外食もしますし、和菓子屋である、はな屋のご主人が作った手作りお菓子に目がないし」
「プロの料理人のものなら平気なのよ。でもプロじゃない人間が作ったものは駄目。バレンタインやホワイトデーは特にね」
「何かあったんですか?」
すると笹野さんが不安そうな顔つきをした。
「あの子の両親や弟について知ってる?」
「はい、聞いたことがあります」
「そう、あの子や父親がアルファでも父親は親らしいことをしなかった。おまけに、あの子の魂の番だったオメガを番にしたようなやつでしょ。だから子どもたちの親が『あそこのうちには関わるな』って言ってたの。そうしたら子どもたちが『ろくでなしの父親から生まれたろくでなし』って大和くんをいじめるようになったのよ。殴る・蹴るの暴力はなくても嫌がらせは、しょっちゅう。ノートに落書きをして使えなくしたり、文房具を壊してゴミ箱につっこむなんてことをやったの。で、バレンタインやホワイトデーには異物の入ったチョコや腐ったお菓子を渡したってわけ」
「そんな……先生は何も悪いことをしてないのに」
そうこうしているとバスが見える。
「そういうわけだから手作りは、なし。板チョコでも喜んで食べるわって伝えたかっただけ。じゃあね!」
「ご助言ありがとうございます」
そうして、おれはバスに乗った。
アウトレットの停留所で降り、バレンタインの特設コーナーへ向かう。
有名ブランドだったり、おいしいと話題のチョコレートは、ほとんど売り切れ。
それでも女性陣がチョコレートを買っている姿が見られた。
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