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第13章 恋の媚薬5

 それにもかかわらず先生に心配そうな顔をさせてしまって胸が痛む。 「いえ、ただ、少し用事を思い出しただけです」 「でも、そんなの聞いてませんよ、俺。いつもなら何かあったときLIMEで連絡をしてくれるのに、急にどうして……?」 「えっと……」  狼狽している彼の様子を見ていると。ますます罪悪感が募る。  かといって先生に嘘をつくことすら怖くて、できない。後で悲しませるんじゃないか、嫌われてしまうんじゃないかと内心おびえているのだ。 「先生! じつは桐生さん、ペットショップの猫ちゃんを見に行こうとしてるんですよ」  突然、間に入っていた鈴木さんが口を開く。  確かに最近、はな屋のシンデレラや先生の家の猫、動物園での触れ合いコーナーに触発され、動画を見るだけでなくペットショップを眺めたり、譲渡会に参加したいと思うようになったのだと鈴木さんに話した。  でも今日は、その予定はない。  鈴木さんの顔を凝視していれば、「任せてください」と言わんばかりに小さく首を立てに振った。 「猫、ですか?」 「そうです。でもペットショップはお試しで抱っこすると情がわくし、買うのはお金が高い。譲渡会も動物を飼ったことのない桐生さんじゃ審査がなかなか通りません。はな屋のシンデレラも外にお出かけをしたり、実家のほうにいて顔を出さないことだってあるでしょう?」 「そうですね。かといって動物園に行くのも、現状のこの忙しさだと難しいでしょう。――桐生さん」  何かを思いつような顔をした先生に声を掛けられ、今度はこっちが身体を強張らせてしまう。 「水臭いですね」 「へっ?」 「そんなに猫を見たり、触りたかったのなら、うちに来ればいいんですよ。相談してくれれば、すぐにお連れしたのに……待っててください。今、車を持ってきますから」 「あっ、あの……!」  先生を呼び止めようとしたが、おれの声も聞かずに駐車場のほうへ走っていってしまう。 「よかったっすね。先生のおうちへ行けますよ」 「ちょっと鈴木さん」 「先生がチョコを嫌いだから渡すのをやめようと思ったんですね」  率直に指摘され、おれは口をへの字にして恨みがましい目で彼を睨んだ。 「安心してください。先生、チョコ、好きですよ。嫌いって言うのは嘘ですから」 「どういうことですか?」  わけがわからず問えば、鈴木さんがにんまりと含み笑いをして肩を叩いてくる。 「なんにせよ、大丈夫です。おれもこの後、彼とデートなんで、お先あがりますね。お疲れ様っす!」  勢いよく頭を下げたかと思うと車のほうへスキップしていった。 「『そういうわけ』って鈴木さん、待ってください!」  追いかけようとしたところで先生の車がやってきて助手席の窓が開く。 「桐生さん、乗ってください」と先生から声を掛けられる。 「猫を見に行く」状態になったから、仮病も、ほかの用事でその場を逃げることもできない。  口元が引きつらないよう細心の注意を払いながら笑みを貼りつけ、「はい」と返事をしてドアを開けるしかなかったのだった。 「――着きましたよ」  駐車場を降り、オレンジ色の箱みたいな形をしているアパートを仰ぐ。先生の住んでいるアパートは市街地の中にあった。近くにはスーパーや八百屋、ドラッグストアが見られ、買い物をするのに便利そうだ。四階建ての最上階まで薄ピンク色の階段を歩き、角部屋の前に立つ。  鍵を開け、こげ茶色のドアを開いた先生に中へ入るよう促され、足を踏み込んだ。 「どうぞ」 「お邪魔します」  部屋の中は、先生のフェロモンであるお日様の香りと、かすかに花の甘い香りがした。  にゃーと猫の声がしたかと思うと先生のLIMEのアイコン画像になっている白と黒の猫たちが玄関へ駆け寄ってくる。 「ブラン、ノワール、ただいま。くつを脱ぐまで待ってろよ。桐生さん、来客用のスリッパを使ってください」 「ありがとうございます」  ベージュのシンプルなスリッパを履き、先生の後を着いて歩く。白と黒の猫は先生にピッタリくっついて歩いていた。  温もりを感じさせる淡いペールオレンジの天井に白い壁紙、深緑色のカーテンと草原を連想させる緑のカーペットが引かれた部屋へ案内される。  ベランダにつながる窓のそばには観葉植物が置かれ、ベランダにもハーブの植えた鉢らしきものが見える。ヨーロッパの街頭を思わせるスタンドライプが明るいベージュカラーのソファーの隣に立ち、ソファーの前には木製の小さな机がある。  い草のにおいがする畳には、こたつと座布団。天井板には正方形の和室照明。窓には障子、昭和を思わせる石油ストーブのある我が家とは全然違う雰囲気だ。  初対面のときはジャージ姿だったが、実際のところ先生はオシャレも、身だしなみにも気を遣っている。 「そこの椅子に座ってください。今、お茶を入れてきますので」  猫二匹と住んでいるとは思えないくらいに掃除が行き届いている。まるでモデルルームみたいだ。マフラーを取り去り、コートを脱いだ。居住まいを正してソファーに座り、カーペットにカバンを置く。

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