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第13章 恋の媚薬6
するっと足に生暖かいものが触れ、慌てて目線をやると黒猫が足に頭突きをしてくる。
触っても平気かなとドキドキしながら鼻の前に手を出す。手にもすり寄ってきてくれたので、あごの下を撫でることに成功した。ゴロゴロとのどを鳴らし、金色の目を細めている姿が愛くるしい。ジャンプして膝の上に丸く座った黒猫がミュウミュウ母猫を呼ぶような甘ったるい声で鳴く姿に、胸を鷲掴みにされる。やわらかな身体を撫でていれば、隣のソファーのネックサポートの上に白い猫が飛び乗ってきた。
おれの左横まで、ゆっくり時間を掛けて歩いてきて「おまえ、誰だ?」といわんばかりの目つきをする。青い目の視線が刺さる。
近くにいる白猫も撫でてみようかと思い、手をそっとのばす。が、白猫は無言のまま毛を逆立て、後ずさりした。
「ノワールのほうが人懐こい性格をしているので、すぐに仲よくなれますよ。逆にブランのほうが気位が高いので気に入らない人間には、すぐ爪で引っ掻くし、猫キックしてきます。ブランが自分から近づいてくるまでは触らないほうがいいですよ」
手を引っ込め、声のしたほうへ目を向ける。
白いマグカップがふたつと茶こし、赤い長方形の箱にデザート用のフォーク、小皿二枚が載ったプレートを先生が持ってくる。
「そうなんですね。メスとオスの違いかな? シンデレラもメスだからおとなしいんでしょうか?」
抱っこしても抵抗しないノワールの目を覗き込めば、みゃあと声がする。
先生はプレートを机の上に置き、カップをキッチンのほうへ戻ってしまう。コンロの火に掛けているミルクパンを見に行ったのだ。
「単純に性格の違いだと思いますよ。後、シンデレラはオスです」
「ええっ!?」
意外すぎる言葉に思わず叫んでしまう。
「もとはヨウスケという名前だったんですが、きれいな顔つきをしていたので近所の子どもがメス猫と勘違いしてシンデレラって呼び始めたんですよ。そうしたら、はな屋の猫もシンデレラっていう名前に反応するようになって、おじさんと、おばさんもヨウスケって名前を呼ばなくなって今の名前が定着したんです」
「そうだったんですね。ところで、これは――?」
机の上にあるボックスを指差す。彼お気に入りのケーキ屋の名前が描かれ、横には使用されている原材料と賞味期限が印字されたテープが貼られていた。
先生はミルクと紅茶の葉が入ったガラス製のティーポットを手に返ってくる。
「開けてみてください」と言われるまま上箱を取り払う。中には個包装になっているガトーショコラが整然と並んでいた。
「今日はバレンタインですから、いつもお世話になっている桐生さんに、ちょっとしたお礼をしたくて買ってきました」
「でも、チョコレートは嫌いだって……」
牛乳と煮詰めた紅茶の入っているポットを横に傾け、茶こしで葉が入らないようにしてミルクティーをカップの中に入れていく。
「本当はチョコも好きなんです。ただ、まだ学校で働き始めの頃に異常なくらいアプローチをしてくる人がいたんです。若菜さんが好きだからって告白を何度も断ったんですけど聞く耳を持たなくて、バレンタインにチョコを押しつけられ、ホワイトデーが来るとしつこくお返しとしてデートをするよう強要されたんです」
「そんなことがあったんですね」
「そうです。相手がオメガだったので強気に出ることもできなくて結局、デートの夜に発情期を利用して上半身裸の状態で迫られたことをきっかけに警察沙汰になりました。以来、学校では一部の人を除いて、チョコ嫌いで通っているんです。学食には人も大勢いますから本当のことを言えませんでした。
かといって学校で、あなたにチョコを渡せば子どもたちや、ほかの先生方の間で『楠は桐生さんと隠れてつきあっている』と噂になり、迷惑が掛かってしまいます。だから俺の家で渡したいと思っていました。鈴木さんが、猫に会いたがっていると教えてくれて助かりました」
鈴木さんは笹野さんと一番仲がいいし、若菜さんと先生が出会ったきっかけを作った人で、先生のおばだ。おまけに先生が赤ちゃんのときから面倒を見て、先生のお母様が亡くなってからは母親代わりもしていた。きっと先生のこの一件も知っているはずだ。
おまけに彼が、どんな性格なのか熟知している。あらかじめ鈴木さんにアドバイスをしていたのだろう。
チョコを嫌いなのは嘘だって、こういう意味だったのかと知れて、ほっと安心する。
「強引にここへ連れてきてしまいましたが、おいやでしたか?」
「いえ、そんなことはありません」
むしろ、うれしいくらいですと心の中でつぶやいた。
「こうやってアパートにお招きいただいて光栄です。先生の飼っている猫たちにも実際に会えて、おいしそうなお茶やガトーショコラを振る舞っていただけて、ありがたいです」
「よかった」と先生が、はにかんだ笑みを浮かべる。「食べましょう」
「はい、いただきます」
濃厚でしっとりした舌触りがするガトーショコラを口へ運ぶ。ほろ苦さの中にほどよい甘さが感じられる。噛むほどにチョコの香り高いにおいが広がっていった。牛乳のほんのりとした甘み温かいミルクティーが身体を内側から温めてくれる。
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