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第13章 恋の媚薬9

 きびすを返し、廊下へ行こうとしたら手首を掴まれてしまう。腕を引かれ、先生の胸の中に戻る形になる。  瞬間、間近に先生の顔があり、ふわと花びらが触れたかのような感触を唇に感じた。一秒経ったか、経たないかの時間だった。  彼はおれの手を離すと頬を両手で包んだ。 「かわいい……」  目を潤ませ、熱い眼差しをして微笑みを浮かべる。  一度も見たことがない表情に動揺し、何が起きたのか頭が混乱する。  呆然としていれば、ソファに座る状態にされ、ふたたび目を閉じた先生の顔が近づいてくる。両肩には彼の大きな手があり、逃げ場がない。目をギュッとつむれば唇と唇が触れる。  キスなら先輩とだってしたことがあるのに心臓が壊れてしまいそうなくらい動悸が激しくなる。  今すぐ彼を押し返し、キスをやめさせなきゃいけないのに身体が動かない。  恐怖や嫌悪感によって意識を支配されているからではなく、少しでも動かしたら、もっと深いキスがほしいとせがんでしまいそうだったからだ。  ――眠るたびに彼と恋仲になる夢を見た。己の欲望を発散させるとき、頭の中で思い描くのは、かつて先輩と過ごした夜ではない。先生の唇へ口づけ、肌を重ねる妄想をして何度も己を慰めていた。  長いキスをしているうちにおれの身体はソファーへ横たわっている状態になり、先生が馬乗りになっている。  唇が解放され、彼と見つめ合う。 「先生……」とつぶやいた唇を親指で撫でられ、身体に電気が走った。  まずい、このまま彼を求めたら、取り返しのつかないことになると不安に思っているうちに先生はおれの肩に頭を寄せ、そのまま覆いかぶさった状態で寝てしまったのだ。筋肉ムキムキ男の全体重が容赦なく掛かる。 「おっ、重い!」  少しずつ時間を掛けて先生の身体をずらし、腕をどけ、床にべしゃっと落ちる形で巨体の下から出てこられた。  すうすうと寝息を立て安心しきった子どもみたいにソファーの上で寝ているのが小憎らしい。  残業続きで休みがいつあるかもわからない状態だから疲れが出たのだろう。椅子に掛けてあったひざ掛けを彼の身体へ掛ける。 「――若菜さん」  その名前を耳にして全身が凍りついた。気がついたらおれはカバンやマフラー、コートを手に引っ掴んでアパートを飛び出し、がむしゃらに階段を駆け下りていたのだ。

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