71 / 102

第14章 咲いて散り、また咲く1

 タクシーの運転手に「少し待っていてほしい」と頼み、霧雨の中を歩く。  自動ドアが開き、琴のBGMが掛かっている店内へ足を踏み込んだ。  レジ前に置かれている椅子へと目線をやれば、香箱座りをして目を閉じているシンデレラの姿があった。 「いらっしゃいませー。あら、桐生さんじゃない! どうしたの? 大和くんが一緒じゃないなんて珍しい」と春代さんが出てくる。「明日の茶道部に使うお菓子の相談?」 「あの――」  こんなことを訊いてもなんの意味もないとわかっている。それでも胸の中のモヤモヤが妙に気持ち悪くて、しょうがない。世の中には白黒つけず曖昧にしておいたほうがいいことだってあるのに、気がついたら自宅ではなく、はな屋へと意識が向かっていたのだ。 「なあに?」  肩の力をふっと抜いてから春代さんの目を見据える。 「春代さん、以前、おれに『若菜さんを(ほう)彿(ふつ)とさせる』って言いましたよね。おれと若菜さんは声やにおい、性格などが似ていますか?」  心臓がドクンドクンとうるさく鳴り、足元から地面が崩れるような感覚を覚える。意識をしっかり保ってないと自分が自分でいられない。そんな気になりながら固唾を飲んで彼女の言葉を待った。 「やーねー、わたしったらそんなこと言った!? 若菜くんと桐生さんは、これっぽっちも似てないわよ!」と春代さんは手を上下に振った。  拍子抜けして、その場でひっくり返りそうになったおれは、金魚が水面に出て口を開閉しながら酸素を求めるような状態になり、しゃべれなくなってしまう。 「もう桐生さんったら急にどうしたの?」  カラカラ声を立てて笑う彼女に背中を思いきり叩かれたおれは「いえ、なんでもないです」と返事をするしかなかった。  ――先生がハグをしてきたり、キスをしてきたのは何か理由がある。若菜さんと自分どこかしら共通点があるからだと証明したかったのだ。  ことごとく否定され、なんてバカなことをやっているんだろうと正気を取り戻す。 「ちょっと甘いものが食べたいような気がして立ち寄ったんです。春代さんの顔を見たら、初めて先生にここへ連れてきてもらったときのことを思い出しまして」などと口からデマカセを言う。  手を離した春代さんは――お客が来なくて退屈で眠っているのか、はたまたただ目をつむって雨の音に耳を傾けている――シンデレラのところへ行って、満月を思わせる丸い頭を撫でた。 「そうねー……もしもあなたと若菜くんが似ているところをどこか挙げろって言われたら最初に出会った頃のあなたと幼稚園教諭の試験を落ちたときの若菜くんの印象が、少し似ている感じがしないでもないわ」 「それは、どういうことでしょう?」 「なんていうのかしらね。ちゃんと本人は目の前にいるはずなのに、そこにいるのは本物そっくりの映像で、触れたらすぐに消えちゃうんじゃないかって感じがしたのよ。幽霊みたいに怖いとか、神様・仏様みたいに霊験あらたかで神々しいってことじゃないわ。ただ、いつもどこかべつのところへ意識も、身体もあるんじゃないかって思えてね、どこかべつの場所を求めている気がしたの。砂漠で見る蜃気楼みたい子だったわ。逃げ水って言葉があるでしょ」 「追いかけても水のあるオアシスへは近づけず、むしろ遠ざかっているような感覚に陥る現象でしたよね」 「そうそう」と春代さんが首を縦に振る。「まじめで頑張り屋さんな、いい子だったわ。ここでフルタイムのアルバイトをしながら幼稚園教諭になれるよう面接をがんばっていてね。勤務態度もよくて勤勉だったわ。誰にでもわけ隔てなくやさしくて思いやりがあった。大和くんが健気にアプローチをしている姿も初々しくて、かわいかったわ。主人と、『いつか大和くんが大きくなったら、若菜くんとの子を連れてきて、その子といっぱいお菓子を買ってくれるわね』なんて話をしていたの」  ふふふと微笑し、シンデレラの頭を撫でるのをやめる。彼女は、しとしとと雨が降る外へ目をやった。 「でも若菜くんは、いつも人と見えない壁や膜のようものを作っていたような気がするわ。仲よくなれたと思ったら離れていってしまって、気がつくといつもどこかへ消えてしまう。急に『明日から来れません』と連絡があって、どうしたんだろう? と心配していたの。なぜか東京で大和くんのお父さんの子を身ごもって、栃木へ帰って出産したからお祝いをと思った矢先に、この世を去ってしまったわ。わたしなんかよりずっと若かったのに、花が咲いて散るように消えてしまった」  すごく抽象的な言葉だけど、なんとなく言いたいことはイメージできた。  冷蔵コーナーを見る。中にはどらやきやあんみつ、ピンクのハートや黄緑色のうぐいす、赤い椿(つばき)の練りきりが並べられている。わけもなく薄紅色と白い梅の花が目につき、自然と手にとっていた。 「人の一生は(はかな)いものだけど、あまりにも早すぎるわ。病気や事故、天災にあって亡くなったのなら、大和くんも若菜くんの死を受け入れられたと思うの。でも、あの子は自らの手で自分の人生を終わらせてしまった……」

ともだちにシェアしよう!