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第14章 咲いて散り、また咲く2

 目の端に涙を一粒浮かべた。彼女は慌てて指先で水滴を拭い去る。 「最初こそ若菜くんと桐生さんは似た雰囲気をしていたけど、今のあなたは、若菜くんとはぜんぜん違う。だからね、あなたはあなただし、若菜くんは若菜くんなのよ」  パチッと目を開けたシンデレラが椅子から飛び降り、軽快な足どりで店の出入り口へ向かう。  外は雨なのに、どこへ行くのだろうとおれたちは顔を見合わせた。 「おい、どうした?」  刃物を持った強盗犯が来たんじゃないかと警戒するような顔つきをした銀次さんが、店の奥から顔を出す。おれと春代さんの姿を目にすると彼は眉間の間にしわを刻み込んだ。 「すみません。おれが若菜さんの話題を出してしまったんです。こちらをいただけますか?」 「ああ」とだけ言って銀次さんがレジへ立つ。  カバンから財布とスタンプカードをとり出し、価格表示の部分を見ると、あらかじめ計算して額の半分の値段になっていた。 「サービスです」 「銀次さん?」 「今日はバレンタイン。それに、いつもごひいきにしてもらっています。うちの和菓子で元気になってください。雨もいつかはやみます」  白い紙袋とスタンプカードををいただき、お辞儀をして外へ出る。  いつの間にか空が晴れていた。  運転手に「お待たして申し訳ありません」と謝罪の言葉を告げ、家に向かってもらう。その道中で、大きな虹を目にした。  その後、先生からLIMEが来た。 「途中で寝てしまって、すみません」と書かれた文面を見て、酔うと記憶をなくすタイプなのだなと、こめかみの辺りに指をあてる。  もしも思い人以外にキスをして気まずい思いをしていたら、「俺の唯一無二は若菜さんだけですので申し訳ありません」と来るはずだ。酔うとキス魔になるタイプなら家にいたときに説明してきたり、キスをしてきたことを謝ってくるだろう。 「すっかり記憶が抜けているんだな」  どれだけ酒を飲んでも酔えないザルであるおれからしたら、まったく理解できない話だが、先生と気まずい関係にならなかったとポジティブに考えることにした。  そうして大学・高校で試験を受けた受験生たちの合否が発表され、一、二年生の通知表に最終評価が書かれた。  三月になっても滑り止め入試や補習、追試が行われ、卒業式の予行練習で大忙しだ。  ようやく先生たちも一段落ついたところで卒業式となった。  満開の桜が咲き、天気は良好。  図書館司書は休みだが、今年度最後の茶道部の日だ。顧問であるおれは早朝から茶室を掃除し、花屋で買ってきた枝桜を活け、部員全員のお茶の準備を遊びに来てくれた前任者の方とする。  そうして卒業式が終わり、ホームルームが終わると在校生がやってきて手伝いをしてくれた。  紺のダークスーツに身を包んだ楠先生もやってきて、卒業生と在校生で行う最後のお茶にする。お茶菓子は桜の練りきりと道明寺だ。 「ご卒業おめでとうございます。私は途中で産休と育児休暇をいただいて離脱しちゃったけど、今日皆さんの元気そうにしている様子と顔を見れて、本当によかったなと思います。茶道は就活でも、就職後にも役立つものです。立ち振る舞いや所作、心のあり方。ですので大学に行っても茶道のサークルに入ったり、お稽古をしたり、おうちで実践してみてほしいなって思います。これからも一期一会の出会いを大切にしてください」  前任者の方の挨拶に女子たちが目を潤ませる。中には、もう目元が赤くなっているのに再度泣き出してしまう子までいる。 「みんな、卒業、おめでとう。茶道は奥が深く、それこそ一生稽古しても真髄に到達できるかわからない修行だそうだ。以前からやっている人も、高校から始めた人も、顧問の方ふたりに教わったことを忘れずにいてくれ。俺からは以上だ」 「最後に桐生さん、締めをお願いします」  いよいよ、おれの番かと姿勢を正し、生徒たちの顔を見つめる。 「十一月から飛び入り参加した身で短い期間となりますが、皆さんとここでお茶のお稽古をした時間は、とてもすてきなものでした。お茶をひとりでやるときは日常で疲れた自分の身体をいたわり、心を癒す時間。自分の本当の心を見つめるときです。お客様がいるときは相手をもてなし、無言のコミュニケーションをとる時間です。たとえ言葉を口にしなくても、文字を使わなくても相手への思いやりや真心、心配りが伝わるようにします。 エスカレーター式に大学へ進学する人、ほかの大学の受験に合格した人、不合格になった人、憧れの職につくための学校へ行く人、家庭の事情で働く選択をした人、皆さん四月からはべつべつの道を歩むことになると思います。理想と現実が違う、思ったようにいかないという人も中にはいるでしょう。ですが桜の木が元気でさえあれば、たとえ散っても、また来年、再来年も花は咲きます。何かのご縁でお茶を習った者同士。このメンバー全員で行う私立北条高等学校の部活動は本日が最後となります。二度とない今日という日の門出を祝いましょう。卒業おめでとうございます」  そうして、みんなでお茶を飲み、記念写真を撮った。  卒業生が出ていき、大方の片づけが終わると生徒と前任者も帰っていって、先生とふたりきりになった。

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