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第14章 咲いて散り、また咲く3
鍵を掛け、職員室までの道のりを並んで歩く。
「今日、いいお天気でよかったです。やっぱり卒業式は雨より快晴のほうが子どもたちも、保護者の方も喜びますよね」
「そうですね。花曇りも美しいですが、なんとなく切ない気分になってしまいますから、晴れやかな空へ羽ばたく鳥のように巣立ってほしいですね」
まるで親のようなことを言うなと思って顔を上げれば、先生は窓の向こうの世界を見つめていた。
「……弟さんのことを考えています?」
「はい」と彼は目を細めた。愛しいものを見つめるような慈愛に満ちた目つきをしている。きっと若菜さんの子どもの姿を頭に描いているのだろう。「来年には小学校を卒業するんです。赤ん坊だった俺の面倒を見てくれたおばが『あっという間に大きくなっちゃうわよ』と言っていた意味が少しだけわかりました。俺の腕に収まるくらい小さくて何もできなかったのに、気づいたら寝返りを打って、ハイハイして、立ち上がってよちよち歩きをしていたのが、恐ろしいスピードで走り回るようになったんです。保育園に通い始めたと思ったら自分よりも大きなランドセルを背負っていた。お兄ちゃん、お兄ちゃんって甘えていた子が今では生意気を言ってる。再来年にはブレザーの制服にネクタイです」
「本当に、あっという間ですね」
子どもの成長は本当に早い。
花音ちゃんだって四月になれば小学生になる。
先輩がいた当時は、ふにゃふにゃ泣いているだけだったあの子が、おしゃまな言葉を口にして大人顔負けな行動をとるのだ。
「式には参列できません。一部の人は真実を知ってますから。それに、そのうち、あいつも本当のことを知るときが来ます。自分の苗字が竹本なのに、結婚もしてなければ番もいない兄の苗字が楠であることに疑問を持ってる。でも、たとえ腹違いでも、できる限りのことを弟にしてあげたいんです」
「弟思いなんですね」
そんなあなただから好きになったんですと心の中でつぶやく。
「ただの罪滅ぼしです。過去の俺の過ちをどうにかして精算したいという思いが強いだけ」
自嘲気味な笑みを浮かべて、彼はおれのほうへ目線をやった。見たこともないくらい真剣な顔つきをして足を止める。
「あの桐生さん」
「はい」
「――いえ、なんでもありません」
口元に手をやり、横へ顔をやる。
「そうですか。先生、この後のご予定は?」
「国語教諭で打ち上げです。夜は飲み会があるそうですが辞退しました。昼は揚げ物を食べに行きますが桐生さんも一緒にどうですか?」と普段通りの笑みを浮かべる。「それか夜、一緒に――」
「せっかくのありがたいお誘いですが、ごめんなさい。ご飯は、また今度、誘っていただけるとうれしいです」
「あっ、そうですか」
「打ち上げ、楽しんできてください。帰ったら、ちゃんと休養をとってくださいね。弟さんも、お兄さんが働きづめだと心配しますよ。それでは失礼します」
職員室に鍵を戻し、玄関を出た。
外には、まだ子どもたちがちらほら残っていた。友だち同士でスマホを使って写真を撮ったり、楽しそうに談笑している。
「薫ちゃん!」
女子四人から声を掛けられ、振り向き、口角を上げる。
「きみたちと学校で会えるのも今日が最後か」
「なーに言ってるの。部活でOGとして後輩を見に来るし、文化祭も遊びに来るのに今生の別れみたいな顔しないでよ。縁起でもない!」
セミロングヘアの女子の言葉に「それもそうだな。すまなかった。卒業おめでとう」と決まり文句を口にする。
「薫ちゃんは茶道部に前の顧問の人が帰ってきても図書館にはいるんでしょ? あたしたちが大学卒業した後に、いなくなったりしないよね!?」とショートヘアの女子に訊かれる。
「……どうだろうな」
「えっ、薫ちゃん。そのうち、ここ辞めるつもりなの!?」
「やま先とオフィス・ラブしないで専業主夫になるってこと?」
ロングヘアをした双子のような女子に訊かれ、息を吐く。
「お金の事情もあって、ここで働くのを決意したようなところもある。前任者の方が育児休暇を終えて復帰し、金が貯まったら出ていくつもりだ。おれも前任者のように個人開業したいし。後、先生には好きな人がいる。おれとの関係は、ただの仕事仲間。誤解だぞ」
すると四人は、なんともいえない表情で互いに顔を見合わせた。
「顔を見せてくれて、ありがとう。声を掛けてくれて、うれしかった。受験も卒業式も終わったんだ。この後は、友だちで打ち上げをしたり、部活の後輩たちや彼氏と目一杯遊んでこい。じゃあな」
「薫ちゃん、勝手にいなくならないでね!」「またすぐ遊びにくるから」と大声を出す彼女たちに手を振った。
出会いがあれば別れがある。
友だちですらないおれたちの縁は、いつ切れてもおかしくない。
先生のそばにいたいけど、彼の口から若菜さんや彼の生んだ子どもの話を聞くたびに小さな傷ができた胸が、ズキズキと痛む。幸せそうに笑っている姿を見られてうれしいのに、好きになってもらえないことがつらくて泣きそうになる。見守っているだけでいい、いつでも話を聞くと言ったのは自分なのに、そんなことを何年も何十年も続ける自信がない。
小さな花弁をつけた桜の花を見上げながらバス停までの道を歩き、家へ帰ったのだ。
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