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第16章 見えない心3
もしも、おれと先生が高校生くらいの子どもだったら、絶対にこうはいかない。
先輩を紹介したときだって家族は反対したのだから未成年の子どもなら言わずもがな。父に怒声を浴びせられ、母は涙を流し、時雨や兄たちもいい顔をしないだろう。
笹野さんだって頭を抱えるはずだし、春代さんや銀次さんも難しい顔をする
学校で噂になれば教師から呼び出され、いやなやつらから「あいつら子どもできて中退するかもよ」「ろくな仕事につかなそう」と裏でせせら笑われるのだ。
どちらも自立した大人でよかったと心底思う。
桜もなかを食べ終え、抹茶を飲み干した先生が抹茶碗の口をつけた部分をハンカチで拭い、正面を向かせた。
「とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」と小さく微笑んだ。
「恐れ入ります」
微笑み返した瞬間、目線が交差する。
わずかに見つめ合う形となったが、すぐに先生は花のほうへ視線をやった。
「すごいですね。花瓶に本物の桜が活けられているだけでなく茶碗や掛け軸も、桜で合わせられている。茶室でお花見ですね」
「はい、華やかさには掛けますが。お香も花のにおいにしてみました」
貝殻の香合を目にした先生は、はっとした顔をして口元に手をやり、無言になる。
「どうかしましたか?」と空とぼければ、「いえ、べつに」と作り笑いを浮かべる。
片づけを終え、茶室を出たおれたちは家へ行った。
キッチンでの準備をする。
「茶会だったら順番が逆ですよね。先に食事をしてから、お菓子なのに。もう少し、お昼の時間をずらしますか?」
「いえ、大丈夫です」
視線をせわしなく動かし、落ち着かない様子でいた先生が「その、お線香をあげさせていただけませんか」と尋ねてきた。
意表を突かれたが、ああ、先輩に許しを請いたいのかと合点がいく。
「魂の番である、あなたのオメガに手を出してしまいました」と謝罪する。そうして「昨夜のことは全部なかったことにしてほしい」と、おれに言うつもりなんだ。
かっと全身が熱くなり、言いようのない黒くてドロドロしたものが内側からにじみ出てくる。
「いいですよ。先輩もきっと喜びます」
「……だといいんですけど」
苦笑しながら彼は仏壇の前で正座した。
手の前で合掌している先生を横目で確認する。
「それにしても桐生さん、着物のままで大丈夫ですか? いつも着慣れている洋服のほうが動きやすいでしょう」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも、東京でお茶を習っていたときは一日中、着物という日もよくあったので平気です」
「そうですか……何か、お手伝いできることはありますか?」
「いえ、大丈夫です。どうぞ席に着いて待っていてください」
線香の白い煙が曲線を描いて上がっていく。
手持ち無沙汰な様子で待っている先生の前に土鍋で炊いた白米、豆腐と絹さやの味噌汁、向付けの刺身、煮物椀に玉子豆腐、焼き物には真鯛、八
寸はレンコンとにんじんの花びらだ。
量を明らかに少なくした自分のぶんも用意する
「カルフルですし、すごくおいしそうです。茶懐石を意識して作られたんですか?」
今日初めての朗らかな笑みに胸が高鳴る。
「そうですよ。先生のために作りました。志乃さんや料亭の方のように、うまくありませんが、お口に合うとうれしいです。お酒はなしで玄米茶を代わりに出しました」
「お心遣いありがとうございます」
「いえ、腕によりをかけた料理なので召し上がってください」
「では、いただきます」
箸を取り、ご飯を口にする。それから味噌汁を一口飲んだ。
「いかがでしょう……?」
「なんだか、ほっとするというか、心にしみる味がします。味つけも俺の好きな塩梅でビックリです」
メガネ越しにまなじりを下げる先生の姿を後、何回見られるのだろうとさびしい気持ちになりながら、「いつものおれ」を演じる。
「何度か先生とご飯に行ったでしょう。そのとき先生がおいしいと言っていたものを材料に使ってみたり、味を近づけてみました。後は素材の味や、ご飯を丁寧に洗って火で炊いたり、お出汁をじっくり時間を掛けて取ったから、いい味になったんですよ」
「そうなんですね。その……毎日は無理でも、ときどき作っていただけないでしょうか?」
「えっ……?」
彼の言葉の意味がわからず手を止める。
先生は醤油差しを取り、わさびを解いて、黒い液体の中に赤いまぐろのを浸し口の中に入れて咀嚼した。
「もちろん俺も料理をしていますが、こんなふうにうまくはできなくて、まずくはないけどうまくもない凡庸な味になってしまいます。作るものも簡単なものだけです。母は料理が一切できない人だし、おばも料理は最低限しかしませんから」
戸惑いを覚えていれば、不意に「若菜さんに作ってもらったことはないんですか?」と頭の中で思ったことを口に出していた。
慌てて口をつぐんだが、ときすでに遅し。彼の気分を損ねて出ていかれれば計画丸潰れだ。自分で墓穴を掘ってどうすると落ち着かない気分になる。
しかし彼はおれの発言を特に気にせずに玉子豆腐を食べ始めた。
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