84 / 102
第17章 セフレ1
楠先生とともに発情期を過ごして以来、週に一度は必ず彼のところへ行ったり、彼がおれのところへ来る。そんな状態が続いて気がつけば五月になっていた。
父と母は見合い結婚だ。亭主関白で頑固親父な父が、母に一目ぼれしてしまい、結婚を申し込んだそうだ。「誰よりも大切にするから妻になってほしい」と請われた母も、父の気概に惚れ込み、出会ってから三ヶ月後には結婚。その翌年には一番上の兄が生まれた。鈴木さんもお見合いをして、ダメ元で「この人!」と思ったアルファと交際したい旨を仲介人に伝え、番になることを前提とした真剣交際をしている。
マッチングアプリを使っていた瞬と志乃さんは、互いのことが気に入って性行為なしの仮交際をし、ふたりで退会してからは普通の交際を始めていた。互いの両親に相手を紹介し、籍を入れてから式を挙げたのだ(おれと先輩も呼ばれて参列した)。
笹野さんや兄たちは恋愛結婚。笹野さんは大学時代に出会ったご主人からデートの最中にレストランで指輪と花を渡され、プロポーズを受けたそうだ。兄たちは職場恋愛を楽しんだり、上司の紹介した相手と意気投合。職場近くで働いている女性と会話するきっかけがあって結婚に至った。みんな何かしら相手の人に愛の言葉を囁いたり、告白をしたり、プロポーズしている。
あの無口な先輩だって、「魂の番同士ですし、つきあってみませんか?」とおれに言ってくれた。人を見下すことのある父が、おれと先輩の関係を許すはずがないと説明したときだって「でも番となり、結婚するならご両親に挨拶しないと」と、けじめをつけてくれた。
その一方で、おれは先生から「好きだ」とか「愛してる」という言葉を掛けられたことは一度もない。
この先、彼から交際の申し出をされることもなければ、番になったり、結婚をする日は永遠に訪れないのだ。
家や外でデートして、キスして、セックスするだけの関係。どんなに情熱的な口づけをしたり、ベッドで朝まで求められても、職場ではただの仕事仲間。
あいもかわらず生徒たちから「つきあってるんでしょ?」とからかわれても「つきあってない」と否定する。
先生がおれをいやになれば、あっという間に終わってしまう。いつかは覚める泡沫の夢のようなもの。
「セフレ」――それ以外に、この関係を定義する言葉を知らない。
そして、その関係を望んだのは、おれ自身だ。
明日シフト休みのおれは仕事帰りに先生の車に乗った。ショッピングモールで食料品を買って彼の住むアパートへ向かう。
先生のアパートには、いつの間にかおれの服やパジャマ、下着やブラシ、基礎化粧品や歯ブラシなんかが置かれるようになって、逆もまたしかりだ。
ただいまの挨拶をすればノワールとブランが玄関までやってくる。
ノワールは先生にも、おれにも甘えん坊で、ブランはやっぱり先生の猫だ。それでも少しおれを認めてくれるようになったのか、気まぐれにこっちへ来て頭を撫でさせてくれることもあるし、手をのばしても後退りしなくなった(しかし目にも止まらぬ速さの猫パンチをお見舞いされる)。
「今日は何にしますか?」
冷蔵庫の中身を確認しながら、キッチンのコンロ下の店を見ている先生に声を掛ける。
「そうですね……なすとベーコンのアラビアータにシーザーサラダは、どうでしょう?」
「いいと思います。おいしそうですね」
黒のタートルネックだからトマトが料理中に跳ねてもシミにならないから洗濯が楽だなとほっとしながら、冷蔵庫からなすとベーコン、にんにくを取り、横にある細身のキッチンチェストからトマト缶を出す。キッチンワゴンの上に置き、再度冷蔵庫の前へ戻る。
「シーザーサラダは、どうします?」
野菜室を眺め、葉物野菜の袋を出し、ドアポケットの中にあるクルトンの入った袋とパルメザンチーズを手にした。脇の水道水でなすを洗い始めた先生が「シンプルなのにしましょう。卵はなしで牛乳とレモン果汁をお願いします」
「はい、わかりました」
そうして、ふたりで料理分担をしながら夕食を作っていった。
食べ終わった後は猫たちにもカリカリや水をあげる。
ブランとノワールはカリカリの取り合いをすることもなく二匹並んで仲よく、ご飯を食べている。
「すみません、ブランとノワールのご飯をやっておいてくれたんですね」
お風呂から出てきた先生は上下灰色のパジャマを着て、髪をバスタオルで乾かしていた。
「気にしないでください、先生もお疲れでしょう。おれが代わりにできることなら、なんでも言ってください」
ウォーターサーバーの水を彼愛用の紺色のマグカップに入れて渡す。
今年から一年生の副担任を任されるようになり、仕事量が増えたのだ。おまけに一昨日は体育祭で、昨日は体育祭の片づけだった。
今日は、中間考査の内容の確認と受験生である三年生のための大学入試試験の傾向・対策に基づいた授業内容の確認、過去問研究についての話し合いをして、その後は担任をしている先生と六月の三者面談のやり方やコツ、ポイントを教わりながら日程調整をしていたと車の中で話を聞いた。
ともだちにシェアしよう!

