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第17章 セフレ3
図書館を訪れたり、茶道部に所属している子どもたちが「楠先生は古文大好きなのが伝わるし、授業もおもしろいから、めちゃくちゃ勉強、楽しいんだよね」なんて話していた。
思い出し笑いをしながら目線をソファの横へ移す。
お腹いっぱいになったブランとノワールはソファの猫用ベッドの中で、丸くなって身を寄せ合っていた。互いの身体を抱きしめ合うようにして安眠している彼らが少し羨ましい気持ちもあるが、大切な仕事の邪魔はできないと立ち上がった。
空になったマグカップをキッチンでゆすいでいたら、水の音に気づいて顔を上げた。
「お風呂、出ていたんですね。すみません、気づかなくて」とメガネを外した先生が眉間を親指と人差し指で押さえる。
「いいんです。先生、すごく集中されていたので、お邪魔をしたら悪いと思って声を掛けなかったんですから。進み具合は、どうです?」
すると先生は、長く息を吐いて「もう少し掛かりそうです」と目をしばたたかせ、マグカップに入れたホットコーヒーを飲んだ。
冷蔵庫の中から彼が愛用している眼精疲労用の目薬を出して手渡す。
「先生は、いつも子どもたちや人に全力で接する方です。でも、あまり根を詰め過ぎると疲れも溜まりますし、体調不良にもなったりするので無理はしないでくださいね」
「薫さん……」
「では、先に寝室へ行ってますね。おやすみなさい」
そのまま彼の脇を通って、ベッドルームへ行こうとしたら、「待ってください」と手を掴まれる。
振り向けば、ソファから立ち上がった彼が頬を赤く染めている。
「どうかしかましたか?」
「あの……こんなときに不謹慎だと思われるかもしれませんが、その薫さんに頼みたいことがあって」
「頼みたいこと?」
「はい、自分でも頭が痛いなとは思ってるんですけど……」
なんのことだかわからず首をかしげていれば、抱き寄せられて彼の胸の中に顔がすっぽり埋もれてしまう。
彼の唇が耳元に寄せられ、小声で卑猥な言葉を囁かれたおれは顔が、かっと熱くなるのを感じた。
「先生、そんなことしたら、お仕事が終わらなくなっちゃいますよ!? それにここアパートです。ホテルじゃないんですから!」
「大丈夫ですよ。夜中に爆笑したり、大声で歌わない限りは壁ドンされないくらいの防音対策はされています」
「だからって……!」
「こんなときだからこそ仕事を頑張るためにシたいんです。一回だけでいいんです。、駄目ですか?」と熱っぽい目で見つめられれば、抱かれることを期待していた身体が疼く。
「じゃあ……本当に一回だけですからね」
表情を明るくさせた先生が「やった」とアイスのあたりを引いたみたいに喜んだ。
この後、始める行為を、それほど望まれていることにおれは頭が沸騰しそうだった。
手をつないでベッドルームへ移動し、猫たちが入ってこないようにドアを閉める。
先に先生がダブルベッドに乗り、あぐらをかく。
ダブルベッドに乗ったおれは彼の膝の上に座り、目の前でにやけた顔をしている彼の両頬に手をあてる。
「先生がアルファにいじめられているオメガの生徒を救ったり、誘発剤を打たれたおれのことを颯爽と助けに来てくれて、すごくかっこいいなって思ったのに……案外ムッツリスケベだったんですね」
悪びれる様子もなく、むしろ笑みを深めて「スケベな俺はいやですか?」と直球で訊いてくるのが生意気だと思いつつも、ときめいてしまう。
「……いやじゃないから困るんです」
彼の唇に軽く口づけてからパジャマのボタンを外して脱ぐ。ズボンも下着も脱いで中に着ていた白のタンクトップ一枚になった。目の前の先生のパジャマの上着を脱がして彼の頬や耳、首筋、鎖骨に口づける。
「キスマつけてくれないんですか? あのときみたいに」
顔を上げれば、お預けを食らわされた犬みたいに、しょんぼりした先生がいた。
「あれは発情期で頭がフワフワしてたからやっちゃっただけで……先生もやり方、知らなかったし」と言い訳を重ねる。「時計で隠せる場所だったからよかったですけど、もしも首なんかにういてたら生徒たちも授業に身が入らなくなるし、それこそ、ほかの先生方や保護者の方から注意されてましたよ!? 減給処分になったら大変です。第一、SNSで『うちの高校教師がキスマつけて授業してる』って拡散されて、『生徒と教室で寝てた』なんてありもしないことまで書かれたら、どうするんですか?」
「わかってますよ、それくらい」とあからさまに唇を尖らせ、目を泳がせる。
「先生、ちゃんとおれの目を見て言ってください」と責めれば、そろそろと視線を戻した。
「――でも、」
首の後ろへ手が回り、うなじを指先で撫でられる。いつになく精悍な顔つきをした先生に息をするのも忘れて見入ってしまう。
「あなたのここに歯を立てることを許してもらえないなら、せめて俺があなたのものだっていう証がほしかったんだ」
心臓や脳の機能が一斉に止まり、おれという存在が死んだのかと疑ってしまうくらいに、何もない無の世界を感じた。
名前を呼ばれているうちに意識を取り戻したが、なんで、そんな恋人に言うようなことを口にするんだろう……と今度はいやに胸がざわついてしょうがない。
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