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第18章 魂の番≠運命の番1

 五月の終わりになると中間考査の結果が出て一喜一憂するはずなのに、なぜか生徒たちは浮足立っている。  不可思議な現象を怪しみながらも本棚の本を整理する。  てるてる坊主を家に飾っている猫と、雨合羽を着て外でタップダンスをしている犬のイラストを壁に貼っていた笹野さんが「もう、そんな時期なのね」と首を縦に振る。 「笹野さん、何か知ってるんですか?」 「この時期はね、教育実習生が来る時期よ。北条高校のOB・OGが来たりして盛り上がるわ。生徒の中には年上のお兄さんや、お姉さんがタイプでスクールラブに憧れる子もいるわね」 「何人くらい来るんですか?」 「六人って楠先生が言ってたわ。第一陣、第二陣にわけて月曜と水曜に三人ずつ来るんですって。明日、国語教諭を志望している子もいるから先生も少しサポートをするみたい」  月曜はシフト休みの日だ。  でも先生は普通に仕事がある。通常業務と副担任の仕事に加え、実習生の面倒まで見るのなら大変だろう。きっと猫の手を借りたくなるくらいに忙しいはずだ。  もしもおれが先生と恋人だったら合鍵をもらって彼の部屋を掃除や洗濯をしたり、夕飯の準備や猫たちの面倒を見ることもできたが、セフレであるおれには何もできない。 「すみません」  生徒に声を掛けられ、「はいはーい」と返事をして笹野さんが、その場を去っていった。  月曜日、特に何をするでもなく家で抹茶を飲みながら、市の図書館や隣町の図書館で借りていた積読本を消化する。  普段はあまり見ることのない現代ものの恋愛小説を読んでいると、あっという間に夜だ。  夜八時過ぎに家のチャイムが鳴る。 「はーい」  花音ちゃんが志乃さんと一緒にお夕飯のお裾分けをしに来てくれたのだろうか? と玄関へ向かう。 「先生!」  誰かと思ったら楠先生だった。  真っ青な顔色をしていて見るからに具合が悪そうだ。 「……何も聞かずにドアを開けるのは不用心ですよ」  疲労困憊だといわんばかりの声で彼がつぶやいた。 「どうしたんですか? もしかしてスマホに連絡入れてくれたのに、おれ、無視しちゃいました……? それよりも家に上がって休んでください。お夕飯は食べましたか? 食べていないのなら準備します」  すると、ゆるくかぶりを振って弱々しく微笑んだ。 「ありがとうございます。でもアポなしで来たし、アパートでノワールとブランがお腹を空かせて待っているので、すぐ帰ります。ただ、どうしても今日、薫さんの顔を一目見たくて、ここに来たんです。……少しだけ抱きしめてもいいですか?」  一体どうしたのだろう? と思いながら戸を閉めて「どうぞ」と手を広げる。  肩口に顔を寄せ、彼の太い腕が背中と腰に回る。  おれも彼の背中に手を回し、長いため息をついている音を聞いていた。  一分ぐらいすると先生の体温が遠ざかる。 「いきなりこんなことをして、すみませんでした」  申し訳なさそうにしている彼の顔に胸が締めつけられる。少し背伸びをして彼の頭を撫でた。 「『おれが代わりにできることなら、なんでも言ってくれ』と言っただろ。謝らなくていい。こうやって、おれを抱きしめることで少しでも元気になれるのなら何度でもやってくれ」  キュッと唇を噛みしめて先生は泣き出しそうな顔をしたが、目をつむり、いつもの先生らしい表情になった。 「ありがとうございます。明日は、その……」 「実習生にいろいろと教えたりするの大変ですよね。また部活のときに会いましょう」 「……はい。では、また明日。おやすみなさい」 「おやすみ」  そうして彼が車に乗って帰るのを見送った。 「おはようございます」と読書用テーブルを拭いている鈴木さんに声を掛ける。  元気のいい挨拶が返ってきた。  久しぶりに鈴木さんと笹野さんとシフトが一緒の日だ。今日も仕事をがんばろうと意気込む。  事務室の中にはエプロンに着替えている笹野さんがいた。  朝の挨拶をしたら、険しい顔つきをした彼女が大股歩きで、こっちにやってくる。 「ちょっと桐生さん、大丈夫?」 「大丈夫とは、なんのことでしょう」 「大和くんから、まだ聞いてないの」  やはり先生に何かあったのだと察し、「どういうことです」と訊く。 「あの子の魂の番であるオメガは知ってるわよね?」 「――竹本若菜さんの話なら少し伺っています」 「なら話が早いわ。若菜のいとこが教育実習生として昨日から来てるの」  少し驚いていれば、まだ開館前なのに「おはようございまーす!」と大きな声がする。 「誰でしょうか?」 「……とにかく行くわよ」  鈴木さんが出入り口の前に立っていた。 「まだ図書館は開館時間じゃないので貸し出しは行ってないんです……」と説明している。  しかし相手の人は「えーっ! 僕が高校生だったときは朝の六時には使えたのに!?」と悲鳴のような声をあげた。  彼の顔を見て、おれは背筋が凍りついてゾッとした。  先生の書斎に飾られている写真の中から飛び出してきたみたいに若菜さんが目の前に立っていたからだ。 「笹野さん、駄目ですか?」と彼は目を潤ませる。  笹野さんは「ごめんなさいね」と一言謝って、話は終わりだといわんばかりの態度でいる。  ぶうたぐれている彼と目線が合い、身体が強張った。

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