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第18章 魂の番≠運命の番4

 おれが先輩と出会ってつきあったのも大学だし、笹野さんも今のご主人と大学時代に同棲していた。となると竹本先生も卒業したら恋人と番になりたいと思っているのかもしれない。 「どんな方なんですか? 差し支えなければ、お聞かせてください」  やさしい目つきをして竹本先生は顔を上げた。 「東京の下町出身の人で、アルファだからって驕り高ぶってない、気さくで人当たりのいい人なんです。大学卒業後は東京の企業に勤めることになっています」 「竹本先生は彼と番になりたいんですね」 「はい」と、はにかむ彼の姿におれは心から安堵した。  竹本先生が楠先生を「気になっている」と好意を寄せていたりしたら、どうしようって思ってたからだ。  でも、彼がおつきあいしているアルファの番になれば、先生は竹本先生がどんなに若菜さんに似ている人でも諦めざるを得ない。ましてや彼が東京へ帰ったら、よほど親しくならない限り二度と会うことはないだろう。  こんな利己的な考えをするやつは、やさしさの欠片もないろくでなしだと、もうひとりのおれが非難してくる。 「だったら、ご両親にも、その方と一緒にいたいことを説明して、ふたりで将来について話し合ってみたらどうでしょう?」 「……彼のご両親と喧嘩しちゃったんです」と竹本先生は肩をすぼめ、後ろめたいことを話すみたいにボソボソと小声でしゃべった。「祖母と母は『公務員じゃなきゃ絶対に許さない』ってしつこくて、彼に『公務員試験を受けろ』って言ったんです。そうしたらご両親が、彼が東京の大企業で内定をもらったのは僕と番になって、子どもが何人生まれても平気な生活をするためなのに、それを台無しにするのかって烈火のごとく怒ってます。それで……彼からも『ちょっと距離を置こう』って告げられてしまったんです」 「それは、またずいぶんと大変なことに――……」  いつ竹本先生と恋人のアルファが別れてもおかしくないし、たとえ別れ話がなくても自然消滅になってしまうパターンだろう。 「それから……楠先生に言われたんです。『あなたは俺の知っている人によく似てる』って」  いやな予感がしながらも、おれは落ち込んでいる竹本先生の話に耳を傾け続けた。 「楠先生が、僕のいとこである若菜お兄ちゃんと知り合いで、お兄ちゃんが生んだ子の腹違いのお兄さんだって知りました」 「やっぱり、あなたと若菜さんは、ご親戚だったんですね」  確かに竹本先生は対面しているおれを見ているはずなのに、亡くなった若菜さんを思い出しているのか、どこか遠くを見つめるような目つきをしていた。  半分も食べていないお弁当箱の蓋を閉めて、バンダナを巻き始める。バンダナを巻き終えると保冷バックの中にしまい、水筒のお茶を備えつけのカップで飲んだ。 「本当の兄みたいに、やさしくしてくれたんです。大好きでした。なのに突然亡くなって、父は『おまえは若菜が死んだ理由を知らなくていい』って教えてくれなかった。ただ祖母と母が『自殺なんてせずに、強姦してきた男に子どもを認知するよう脅して、とことん金を巻き上げればよかったんだ』とか、『子どもを残して自殺するなんて、やっぱり所詮はオメガの男。逆立ちしても女の母親みたいにはなれない』ってトイレの前で話しているのをたまたま聞いて、すごくショックでした」 「竹本先生……」 「だから先生の口からお兄ちゃんの名前が出て、少しだけ昔話ができて、うれしかったんです。それに――きっと彼は僕の魂の番だから、この痛みをわかってもらえると思うんです」  口元へ運んでいた玉子焼きが地面に落ちてしまい、駄目になってしまう。  彼は砂や土、細かい石がついて形が崩れた玉子焼きだったものをティッシュに包んで、ゴミ箱へ捨てた。  一連の動作を無言のまま目を動かし、追いかけていたおれは恐怖に震える唇を開いた。 「……竹本先生、楠先生の魂の番は若菜さんですよ。なんで、そんな嘘を」 「そうじゃないんです、桐生さん。あれは当時子どもだった楠先生が勘違いをしていたんです」 「勘違い?」  眉をひそめていれば、竹本先生が木でできたテーブルにひじをつき、指を組んだ。 「そうです。昨今の研究で魂の番だけでなく、運命の番というものが世の中に存在すると判明しました」 「運命の番? 初めて聞きます。なんですか、それ」 「魂の番になりうるアルファやオメガのことです」 「どういう意味だか、いまいち理解でないんですけど」 「かつては魂の番を失ったアルファやオメガは衰弱死をするだけだと思われていました。番の鳥が後追い死をしたり、人間も一番愛する人を失って後を追いかけて命を絶ってしまうケースがあるからです。しかしバース性のモデルである狼は番をなくした時点で新たな番を作る個体がいます。番制度のインプットされている鳥でも浮気をしているケースが存外多いんです。死ぬまで一夫一妻制であることを誓い、相手が死に、子どもがいない状態でも最期まで愛を貫く生物は思ったよりもいません。そして僕たちは本能に従いながらも頭でものごとを考える人間です」 「つまり……?」

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