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第18章 魂の番≠運命の番5

「魂の番は、この世に、たったひとりしかいません。ですが運命の番は一人から三十人近くいると言われています。それは魂の番であるアルファかオメガのどちらかが死んだときに残った片割れも後を追って死んで、遺伝子を残さないという大きなミスを起こさせないためです。本来の魂の番が亡くなったとき、運命の番から新たな魂の番となる相手がランダムに選ばれるんです。本人の意思に関係なく」 「じゃあ、若菜さんは――」 「楠先生の運命の番です。その証拠にお兄ちゃんが死んでも楠先生は身体的ダメージは何ひとつ受けていません」  おれは自分の胸元のシャツを左手で掴んだ。  そうだ……魂の番であるアルファとオメガは番っていない状態でも必ず喜びや悲しみ、痛みを共有するのだ。どちらか一方が風邪を引けば、もう一方も風邪を引き、どちらか一方が怪我をすれば、もう一方が怪我をしていなくても似たような症状や痛みを感じる。 「出会った瞬間、僕も、楠先生も気づきました。『この人なんだ』って。魂の番であるアルファと番っていた桐生さんなら、わかってくれますよね?」  先輩と出会ったとき、道には百人近くの人がいたと思う。  歩行者用信号機が青に代わり、みんなそれぞれの道を行く。  おれも公園へ向かって歩いていたが、ふと白檀のにおいがどこからともなくしてきたのだ。  着物を着ている人や仏壇で線香をあげていそうなご老人が近くにいたから最初は気にもとめなかった。  でも香りが、どんどん強くなって、なぜか無性に惹かれて仕方なかった。どこから香ってくるのか突き止めようとしていたら、男の人と目が合ったのだ。  芸能人みたいに目鼻立ちが整っているわけでもないのに一度見たら忘れられない顔をしていた。  この人を絶対に引き止めなきゃいけない。衝動に突き動かされたおれと彼は同じタイミングで声を掛けていた。  車のクラクションを思いきり鳴らされ、すでに信号が赤に変わり、道の真ん中にふたりで突っ立っていることに、ようやく気づいたのだ。  あの感覚を先輩もおれに感じたらしい。  だったら、昨日の夜、先生がおれを抱きしめにきたのは――本当の魂の番である竹本先生とキスをしたり、それ以上のことをしてしまった後ろめたさや慰めのため?  まさか、そんなはずはないと両手を握りしめる。  先生は家族のことで、つらい思いをした。初恋の人である若菜さんを一途に思い続け、その思いが強すぎるあまり発情期の来ていたおれのフェロモンにあてられ、彼とおれを間違えて抱いた。そうして仕事仲間であり、魂の番である先輩を失ったおれに同情して、そばにいてくれている。  それなのに……魂の番である竹本先生に会っただけで、何もかもどうでもよくなったというのだろうか? 「僕は今、迷っています」と竹本先生が目線をさまよわせる。「ご両親に謝って、彼と仲直りして東京でアルバイトを続けるのか、それとも母や祖母の言う通りにして魂の番である楠先生と番になって、ふたりで教師をするのか」  気がついたらおれは両手をテーブルについて勢いよく立ち上がっていた。 「桐生さん?」  おれの様子に竹本先生は当惑し、周りで食事をしていた生徒たちも困惑顔で、こちらを注目する。 「いやですね、まったく。地球温暖化のせいか、もう蚊が出てる! まだ六月にもなってないのに、いやになっちゃいますよ」 「そっ、そうですね……そろそろ半袖になる機会も増えますし、虫よけ対策は、しっかりしないと」 「ですね。竹本先生、色が白いから刺されたら目立っちゃいますよ。目の周りをやられたら妖怪みたいになっちゃう」  わざとらしくても笑みを浮かべ、ふたりして何が楽しいわけでもないのに、ぎこちなく笑い合う。  生徒たちも、しれっとお昼ご飯を食べるのを再開し、友だちや恋人、先輩・後輩と楽しく話し始めた。 「それから竹本先生が自分で決めるだけじゃなく、恋人の方や楠先生とよく話して決めるべきだと思います」 「悔いのない選択をしなきゃですもんね。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」 「いえ、むしろ大して相談に乗れなくて申し訳ないです。気分転換に今日、茶道部へ来てくださいね」  ランチバッグを手にし、帰り支度をする。 「はい、そうさせていただきます」 「それじゃあ」  会釈する彼に、こちらも頭を下げ、手洗い場へ行く。  歯磨きをしながら、もう潮時なのか……と早すぎる終わりを受け入れるために、気持ちを切り替えていた。

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