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第19章 素直な気持ち1
梅雨が訪れ、雨がよく降り、曇天の日が多い。肌寒くて半袖でいたら凍えそうになる。薄手のカーディガンが大活躍だ。
グツグツと目の前で煮込まれている、すき焼きの鍋を見つめながら楠先生と竹本先生のことを考える。
彼らが番になるかどうかは、ふたりの問題だ。外野が口出しすべきじゃない。
竹本先生は、おれと違い、先生の言葉を最初から理解している。
だから、おれたちのようにいがみ合ったり、どういう意味で言ってるのかを確認する必要がないのだ。
生徒たちも「やっぱり楠先生と桐生さんって、つきあってなかったんだね」と納得している。今では「楠先生と竹本先生ってお似合いだよね、めちゃくちゃ絵になる!」「いつ番になるんだろう?」という噂で持ちきりだ。
竹本先生の相談に乗った日の放課後、茶道部でお茶の稽古を子どもたちにつけている最中、竹本先生と楠先生が楽しそうに会話する姿をなるべく視界に入れないよう、努力した。
仕方がない。ふたりは魂の番なんだから相性抜群なんだと自分に言い聞かせて笑顔の仮面をかぶる。
生徒たちが帰った後、異常なくらいにどっと疲れた。早く家に帰りたい。そればかり考えて茶器を洗い、手入れをする。
「楠先生、この後は、どうされるんですか?」
「アパートへ帰るつもりです。家で仕事をやろうと思っています」
「猫ちゃんを飼っていると話していましたよね。黒猫ちゃんと白猫ちゃん」
ノワールとブランの話に心臓がドキッとする。
「ええ、そうですよ」
「僕の家、母が猫アレルギーで猫を飼えないんです。だから、先生の家の猫ちゃんを見せていただけませんか?」
「今から、うちへ来るということですか……?」と先生が困惑した声をあげる。
「はい、駄目ですか? 授業の打ち合わせもしたいですし、わからないところも教えてほしいです。いろいろと話したいこともあるので」
やはり竹本先生は東京にいる恋人ではなく、魂の番である楠先生を取るのだろうか? それともおれが昼間、相手とよく話したほうがいいと言ったから先生の家に行こうとしているのだろうか……。
打算的に嘘をついているのか、天然でそういう発言をしているのか見分けがつかない。
どちらにせよ竹本先生は、恋人と楠先生を天秤に掛けて、どちらと一緒になるほうが幸せになれるのかを選ぼうとしているのだ。
「いや……男ひとりの汚い部屋ですよ。人なんてあげられません」
はははと笑っている先生の声を背後で聞きながら、いつも、ちりやホコリひとつ、髪の毛一筋落ちてないくらいにきれいにしているでしょと心の中でだけツッコミを入れる。
「だったら、どこかでお食事するのは、どうですか?」
「いや、その……」
即答しないで、しどろもどろになっている先生に向かって笑顔を向ける。
「お熱いですね、お二方。まだ出会って二日目なのに話も盛り上がっているし、楠先生は男前、竹本先生は可憐で隣りにいるとお似合いですね」
戸惑いの表情を浮かべ、口をかすかに開けたまま木のように立っている先生とは対照的に、竹本先生は恥ずかしそうに微笑み、「そんなことはありません。桐生さんったら」と謙遜している。
「ここは神聖な茶室ですし、子どもたちもすでに帰りました。お互いをもっとよく知り、深くわかり合えるようにするなら、やはり先生のおうちで話したり、おいしいご飯を外で食べることをオススメします」
「ねっ、先生。桐生さんだって、ああいってくれてるんですよ。今すぐ出かけましょうよ!」
まだ大人になりたてで学生である彼は、はしゃいで先生の腕に抱きついた。
びっくりした様子で先生は「竹本先生」と、かたい声で言う。
胸がチリチリと焼けるように熱いのも、腹のあたりがムカムカし、脳みそが今にも沸騰しそうなのも、全部疲れのせいだ。速攻でバスに乗って、適当に夕食をとり、シャワーを浴びたら、さっさと寝たほうがいい。
「鍵はここに置いておきます。邪魔者は退散しますね。お疲れ様でした」
ドアを静かに閉め、ワイヤレスのイヤホンをつけて速歩きをする。スマホの音楽アプリで適当な曲を耳に流す。靴箱のところでサンダルを脱ぎ、黒いローファーに履き替えて外に出る。バス停のほうへ向かっているとグイと肩を掴まれるのを感じる。振り向けば先生がいた。
両耳にしていたイヤホンを奪われ、息を切らしている彼に「なんで、あんな勝手なことを言うんですか!?」と責められる。
「何のことです?」と目線を横にずらして尋ねる。
「俺が家に呼ぶ人間は、あなただけです。今夜だって一緒に食事をしたい、誘いたいと思ったのは竹本先生じゃなくて桐生さんなんですよ! それなのに、なんで、あんなことを言ったりするんですか!?」
「おふたりが魂の番だからですよ」
「……どこでそれを知ったんです?」
顔を上げ、うろたえている先生を見据える。
「竹本先生が教えてくれました。若菜さんは先生の運命の番ではあっても魂の番でないこと、竹本先生があなたの本当の魂の番であること、先生も竹本先生を見て魂の番だと気づいて若菜さんの昔話をしたことも全部知っています」
「桐生さん、俺は――」
「最初から間違っていたんですよ」
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