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第19章 素直な気持ち2
外へ出るのに首輪をしないで出かけたおれが悪いのだ。あのままアルファに犯され、手足を押さえつけていた男女の慰み者になればよかった。そうすれば先生に助けを求め、愛されたいと願い、ここまで欲深くなることもなかったんだから。
「発情期を起こしたときにおれが助けを求めたのは先生じゃない。先輩です」
「桐生さん、何を言ってるんですか?」
「番のいなくなったさびしさを埋めたくて、あなたのやさしさを利用した。おれが今でも好きなのは先輩ひとりだけ。ですから先生も魂の番である竹本先生と幸せになってください」
「あんた、本当に今日、おかしいぞ!? どうかしてる……竹本先生は東京に恋人がいるんだぞ?」
「でも、お相手の方と喧嘩中です。おまけに、ご家族からは『教師になって公務員と番え』と言われています」
鬼のような形相をした先生が、おれの両肩を掴んできた。
「俺は、恋人がいるのにほかのやつに媚を売ったり、目移りするようなやつは大嫌いだ。あの男を思い出して、いやなんだよ。あんな誠実さの欠片もない、父親としても、夫としても、番としても最低なやつと一緒にするな!」
「仕方ないですよ。アルファは優秀な遺伝子を撒くのが務め。それに犬猫みたいにところ構わず発情して人を誘惑するオメガが悪いんです。事実、おれは若菜さんを慕っていた先生をオメガのフェロモンで籠絡し、あなたを傷ものにした」
「薫さん……」
今にも涙を出しそうな先生の表情に胸が痛くなる。
だけど自分で幕を開けて演じた茶番劇を、いい加減終わりにしたかったのだ。
「楠先生ー!」と声が校内からする。
ちょうど停留所にバスが止まり、おれは先生の手を振り払って乗車した。
スマホを起動してLIMEで友だち登録している先生のアカウントをブロックし、電話も着信拒否にした。
その日以来、先生とは茶道部以外では話さない関係になった。車の送迎も、一緒にご飯を食べることも、先生の家でブランやノワールの世話をするのも、デートも、キスをして抱き合うのも全部なくなった。
夢から覚めたのだ。
「……薫ちゃん」
笹野さんは最近静かに怒っていて、鈴木さんもどこかよそよそしい。
茶道部の子どもたちも「桐生さんと楠先生、喧嘩でもしてるんですか?」って訊いてくる。
まだ個人営業には早いと思ったけど両方とも、そろそろ辞めたほうがいいのかも。瞬や前任者の方にも相談して、べつの人間を茶道部の顧問にしてもらったほうがいい。
そうすれば先生も目障りなやつを見なくて済む。
「か・お・るちゃーん!」
大声で名前を呼ばれ、一瞬、意識が途絶える。かき氷を食べた後のように頭がキーンとした。
耳を押さえ、まばたきをする。
「花音ちゃん、どうした?」
「どうしたじゃないわよ! お箸とご飯茶碗を持ってるだけで、ぜんぜん、お夕飯が食べ進んでないじゃない!?」
右手には取り箸、左手には白米の入った茶碗、手元には溶き卵の入った小鉢がある。
「ごめんなさいね、薫くん。すき焼きは嫌いだった? お茶漬けなら食べれそう……?」
「いえ、大丈夫です。すみません」
わざわざすき焼きを作ってくれて、朝霧家に招待してくれた志乃さんに気を遣わせてしまった。面目ないなと自己嫌悪する。
「そうだぞ、薫。肉を食え、肉。肉食えば、いやなことも忘れる」
横から手をのばした瞬に牛肉を小鉢の縁まで入れられた。
「おまえ、こんなに食べれると思ってるのか?」
目で訴えかけるが「そうだ、食え」と逆に睨まれる。
牛肉を一口かじり、噛んだだけで気持ち悪くなり、口元を押さえた。その場で吐くわけにもいかず、かといってトイレまで間に合わない。人の家のキッチンの流しで、とうとう胃液を吐いてしまった。
「おい、おまえ、大丈夫かよ!?」
慌ててやってきた瞬が目を剥く。
コンロの火を止めた志乃さんが「瞬くんが無理やり食べさせたりするからでしょ!」と大声を出して、おれの背中をさすってくれた。「薫くん、平気? 瞬くん、お水取って」
「お、おう!」
「大丈夫よ、大丈夫だからね」
志乃さんの言葉を聞いているうちに、なぜか母の顔が浮かんできた。同時に子どもを生む女性は強いなと思う。
オメガであるおれも一応子どもを生める身体だが、赤ちゃんを生めたところで彼女たちのように振る舞える自信はない。
落ち着いたところで水をもらい、口をゆすぐ。
しかし、のどの奥の焼けつくような痛みは消えない。
「ママ、薫ちゃん……どうしたの? お腹、壊しちゃったの?」
すると志乃さんは息を飲み、「薫くん、まさか……」と小声でつぶやいた。
「おまえ、先生の子を妊娠したのか!?」
大声で瞬が叫ぶと志乃さんが目を閉じ、花音ちゃんが「やだー!」と足をドンドン踏み鳴らした。「薫ちゃんは花音の婚約者なの! 花音のお婿さんになるのに、なんでおじちゃんの子が、お腹にいるのー! おじちゃんなんか、どっか消えちゃえ。死んじゃえー!」
えんえん泣く花音ちゃんに「また、そういうろくでもない言葉を覚えてきて……人に『死ね』なんて言うんじゃありません!」と志乃さんが眉をつり上げる。
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