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第20章 終わりと始まり2
「好きに言ってください。俺には、すでに心に決めた人がいるんです」
「先生……!」
「魂の番であるオメガとアルファが惹かれ合うのは事実です。でも心は自由だ。魂の番が現れたからといって愛する人をいとも容易く捨てたり、発情期のオメガだからといって有無を言わさずに犯すのは、人間として優れているアルファであっても決して許されない。それは人間として恥ずべき行為だ」
身体をわなわな震わせて立ち上がった竹本先生は、思いつめた表情をして楠先生に詰めよった。
「先生は、ずっと若菜お兄ちゃんのことを好きだったんでしょ? 僕はお兄ちゃんのいとこで、容姿もよく似てる。それなのに……どうして!?」
「きみとあの人では中身も、仕草も、性格も何もかもが違う」
「だったら桐生さんのどこがいいの? 桐生さんは、お兄ちゃんにどこも似てないのに……教えてよ」
楠先生はおれのほうを目を見て、はっきり答えた。
「彼が桐生さんだからだ」
「……はあ? 意味わかんないんだけど」
竹本先生の言葉に「だよな」と相槌を打ちそうになる口元を手で押さえ、声を出さないようにする。
「桐生さんは、ずっとそばにいてくれた。若菜さんとの昔話なんて暗いし、俺が子どもだったときの片思いの話だなんて誰も聞きたがらない。それなのに彼は、いつも耳を傾けてくれたんだ。過去に囚われ、自ら固い殻に閉じこもった俺に背を向けず、真摯に向き合ってくれたんだ。そんな彼を信じたいと思った。もう一度誰かを好きになって、その人と笑い会える幸せな未来を描きたい。心の奥に眠っていた気持ちを呼び覚ましてくれた人だ。だから俺が竹本先生を好きになる日は永遠に来ない」
すると竹本先生は先生を凝視し、握った拳を震わせていた。
しかし目をつむって肩の力を抜いたのだ。
「ばっかみたい」と、かろうじて聞き取れる声の大きさでつぶやいた。「お母さんと、おばあちゃんに先生のことを話しても『愛人の子どもを番にするな』とか『あの親あってこの子あり。どうせ浮気ばっかりする男だろ』なんて悪口言って反対してくるし。仕事はおもしろくないから、やり甲斐も感じられない」
「じゃあ東京に帰るんですか?」
おれが訊くと「もちろん、そうします」と竹本先生は即答した。「父から『おまえも大人だ。母さんや、ばあちゃんの言いなりにならなくていい。好きに生きろ』って言ってもらえたし、彼からも『もう一度、話し合おう』って連絡が来ましたから」と涙を浮かべたのだ。
天を仰ぎ、目の際を指先で拭うと、おれたちを見て破顔した。
「気の利かない楠先生なんて、どうでもいいです。のしをつけて桐生さんにお返しします。どうぞ、お幸せに」
そうして竹本先生はきびすを返し、その場を去っていった。
「ずっと考えていました」
強張った表情をした先生が顔をうつむかせる。
おれは彼の姿を無言で見つめた。
「おれは発情しているあなたの言葉を自分に都合のいいように取ったのか、と。確かにおれと桐生さんの番だった人と少し似ている。まるで腹違いの兄弟みたいに……だからこそ、さびしさを埋めるためなら毎回、後腐れがないように適当なホテルを選んだはず。でも初めて交わった日の翌日、薫さんは俺を家へ招いた。
茶を振る舞い、昼飯を手ずから作り、亡くなった番の仏壇がある場所で『抱いてほしい』と願った。発情期を終えた後も関係は続き、お互いの家を行き来する。あなたは、いつも俺を気遣い、そばで支えようとっしてくれる。そんなことがあるとしたら、それは一時の快楽を求めているのでなく心から俺という人間を求めてくれてたんだ。思いが通じたんだって、うれしかったんです」
「先生……」
「でも愛されている自信はなかった。うなじを噛もうとしても拒まれたときに怖気づいたんです。自分の臆病さを隠すために茶道を利用して偽った。態度で示せば言葉や文字がなくても伝わる。確かにそうだ。でも、それは、お互いが同じものを見ているときにしか通用しない。以心伝心――その言葉は頂きに達する師が弟子に修行の成果を伝えるもの。心から愛し合う恋人や伴侶でも、すれ違い、通じ合えないことが多い。ましてや他人になれば『言わなくてもわかるはず』が通用しないから言葉や文字が発展してきた」
彼に両手を取られ、握りしめられる。
先生は眉を八の字にして微笑を浮かべた。
「薫さん、俺はあなたが好きです。番となり、あなたと人生をともにしたい。あなたとつきあっているつもりで、ずっと接していました。雰囲気もへったくれもありませんが今すぐ言わせてください。――俺と番になることを前提に、おつきあいしてください」
「……おれを嫌わないんですか? あんなにひどいことを口にして、失礼な態度をとったのだから怒って当然でしょう」
「大切なことを言わなかった俺にも責任があります。だから、これでおあいこです。返事をいただけますか……?」
近くに生えている木々が風に吹かれて揺られる。葉擦れの音が心地いい。
「おれも、あなたが好きです。この先も、ずっと先生の……大和くんのそばにいたい……」
肩に頭を預けると、先生の右手が肩へ回る。
おれは込み上げる思いを抑えきれずに涙をこぼしたのだった。
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