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第21章 きみのいない夏1
木曜日の茶道部の活動を終え、東京へ帰ることになった竹本先生は「僕には大切な恋人がいるんです。彼と番えば、この身体は僕だけのものじゃなくなる。僕や彼、将来生まれてくる予定の子どもや恋人となった桐生さんを泣かせないためにも、精々その身体を大事に扱ってください」と皮肉まじりの別れの言葉を告げてきた。
「それは、こっちのセリフです。竹本さんこそ、その身体を雑に扱って倒れたりしないでくださいよ。あなたに何かあれば俺も病気になったり、倒れたりして薫さんに迷惑が掛かるんですから」
先生もなんだかんだいって魂の番である竹本さんの健康を気に掛けているのだ。
その後、瞬や笹野さん、鈴木さん、はな屋の春代さんと銀次さんといった身近な人たちに、先生と交際していること、いずれは正式に番となって籍を入れることを伝えた。
ありがたいことに、いろんな人から祝いの言葉や「安心した」「よかった」という温かい言葉をもらえた。
でも、やっぱり……先生のおばである笹野さんの「これで大和くんも幸せになれる。ようやく、あの世にいる姉さんや若菜も浮かばれるわ」と泣き笑いをしていたことが印象に残った。それから「終わりよければすべてよしだ」と瞬が笑顔でハグしてくれたときは少し鼻の奥がツンとした。(志乃さんには、夜泣きの赤ちゃん並みにぐずり、大泣きしている花音ちゃんをなだめる役割をさせてしまい、大変申し訳なく思う……)。
結局、先生を我が子や弟、孫のように大切にしてくれ国語科の先生方にも挨拶をして、校長や教頭、事務長なんかにも報告することになった(「北条高校にいるオメガの子どもたちが憧れる理想の番として、これからも仲よくしてください」と仰々しい言葉をいただいたときは、さすがに大げさだなと恥ずかしくなった)。
その後、家のPCを起動して久々に両親と弟に対面したのである。
アルファの男性とつきあい始めたことを報告したら、あの父さんが、初孫を前にしたときのような笑みを浮かべた。といっても、それはものの数分。先生の生い立ちを話したら案の定、頭の血管が切れて倒れるんじゃないかってくらい大声で喚き散らし始めた。
母さんも母さんで、「なんであなたは、もっと普通の殿方や、世の中のオメガの男や女が夢に描く素晴らしい人と結婚してくれないの」としくしく泣いて、ハンカチを二枚も濡らした。
だけど少しだけ状況が変わったこともある。
兄弟たちや義姉が今回は、おれと先生のことを応援してくれているのだ。
前回、先輩の性格や心根を知らないまま追い返してしまったことを後悔した時雨が、「やっぱり生い立ちや出生だけで相手を判断するのはよくないんじゃないかな?」と兄たちを説得してくれたのだ。
義姉たちも兄たちに助言してくれたおかげで、先生とオンライン状で話す機会を設けた。
普段、生徒相手や出張のときに堂々と発言している先生は、兄たちや時雨を前にすると動きや表情がロボットのようになり、受け答えはまるで大企業の面接を受けている学生みたいになってしまった。
彼の緊張を解すのは大変だったけど、途中で普段通りの楠先生に戻ってくれて、何気ない会話をしているうちに兄さんたちも、「楠さんならいいよな?」「薫の悲しむ姿はもう見たくないもんな」「もういい年の大人になったんだし、許すか」と先生とつきあうことを承諾してくれたのだ。
後で時雨にお礼の電話をしたら『薫兄の幸せそうな笑顔がまた見れたのもあるけど、楠先生が学校で活躍されている話や亡くなった魂の番の方のお墓を今でも守っていたり、義理の弟くんの面倒を見て将来も考えてあげていることや、血縁関係のない弟くんのおじいさんの介護も会いに行ったとき手伝っているのを聞いたら、認めるしかないでしょ。聖人君子並みにすごい人だよ。おれたち兄弟だって仲はいいけど、それは父さんや母さんが健在で経済的に裕福だからっていうのもある。それに、じつの親の介護でも大変だって話はよく聞くから』
「時雨……」
『いい人に会えたんだね、薫兄。姉貴ばっかり増えてたから、兄貴がひとり増えるのも、うれしいよ。父さんと母さんの説得は任せて』
「……ありがとう」
真剣交際をしているけど同棲はしていない。
おれの家に先生が引っ越したらブランとノワールも連れてこなきゃで、彼らが畳や木の柱で爪とぎをしたら瞬の知人の不動産屋が泡を吹いて失神するだろうし、罰金も発生する。かといって、おれが先生のアパートに引っ越したら、もらい手の見つかっていないあの家が傷むし、おれもせっかく自分の茶室で日々稽古できなくなってしまう。どちらも贅沢な悩みだ。
結果、番になって落ち着いてからふたりと二匹で住める場所を見つけようということで話は、まとまった。
七月になり、栃木に移住してから初めての夏祭りに先生と行くことになった。
有給をふたりで取って温泉宿に二泊三日のプチ旅行だ。
留守の間、ブランとノワールは朝霧家へお世話になることになった。ノワールは花音ちゃんや志乃さんにかわいがられている。ブランはというと瞬に「ご飯をくれ」「トイレを掃除しろ」「遊べ」「ブラシしろ」とうるさく注文をつけているそうだ。
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